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『感覚の論理 画家フランシス・ベーコン論』心にリズムを刻め、証人はきみだ。

ジル・ドゥルーズ『感覚の論理 画家フランシス・ベーコン論』(山縣 煕・訳)法政大学出版局 2004年

A4サイズに近い大判である。内、4割でベーコンの作品が掲載されている。本論の各ページの上部には該当する図版番号が付されているので便利。内容は、ベーコンの作品を抽象画やアクションペインティングと対置し、そこに働く作用を分析して論じている。
本書より入手しやすく読みやすい『フランシス・ベイコン・インタヴュー』(ちくま学芸文庫)の方をまず薦めておく。作品掲載も多く、本書とあわせて読めば複眼的に理解の助けになると思う。

ベーコンの絵

無味乾燥であるがゆえに鑑賞者を退屈させない無意味さを求めて、ベーコンは具象と抽象のあいだを揺れる。「サハラ砂漠のような肖像画」を希求する、その形体の消失をドゥルーズは深い生成への到達であるとする。頭部の動物性=動物性性はそのプロセスの第一段階だという。 叫びの彼方には微笑があるのだが、しかしベーコンはそこに届かなかったと自省する。
ベーコン自身は「恐怖よりも叫びを描きたかった」さらには「口の動きや、口や歯の形状にいつも心を動かされます」と言っている。叫ぶ教皇の絵は、できることならやり直してモネのように描きたい、とも。(『フランシス・ベーコン・インタビュー』ちくま学芸文庫 p70、104)
「教皇」「頭部」の叫び声を上げる開口も、「絵画」のコウモリ傘も、身体から飛び出す・流れ出すための発作・痙攣、衝動であり動線である。 歪曲・不格好は見世物のように即興的になされ、動勢は循環し(おそらくは無限機関のように)形体を構成し続ける。

(身)体

顔面はなく、あるべきものは頭部だ。レヴィナス的な他者性を剥奪し、見物人を消し去るべく画家の企てはカンバスに収束する。頭部は身体に連なる部位で、動物的である。いや、ベーコンにおいては動物との混淆である。ドゥルーズはそれを「識別不可能な地帯、確定不可能な地帯」という。
身体→(身)体。
肉と骨が真っ向、突き合わせている、人間と動物が重なり合っている、見世物の中にはすでに見物人が含まれている。これら、巡回と遍歴(循環、無限機関)。あるいはまた「局在化の作用のない潜在性」の獲得。

証人(témoin)

第一の証人:「不動の証人」
眺められ入れ替わる証人:「深淵な証人」
(《寝台に横たわる二人の人物と証人たち》1968、三幅絵。)
第一の証人によって眺められている方の人物が、新たな証人へと変化・循環する。「証人ノ機能」が三幅画の中を移動し、役割は交代される。ドゥルーズによれば、 役割が移った第一の証人は自由になり垂直方向(能動または受動=増加または減少)のリズムを帯びる、という。 またベーコンの三幅画は分離しているからこそ、このような循環機能が生まれ、連続性を獲得できているのだ、とも。

これは鑑賞者もすでに証人として絵に加担を始めていることを示しているのではないか? もはや見る者も巻き込まれていくことを止められないのだ。

トリプティーク(三枚組絵、三幅画)

ベーコンの描くトリプティーク(三枚組絵)は時系列なのか、瞬時なのか、絵本なのか。「見世物は見物人がいないところでのみ生じる」形態はダンス(動き)のみを残し実態としては後退していく要素として描かれる。
トリプティークの3つのリズム
①能動的(増加・増幅)リズム
②受動的(減少・削除)リズム=垂直的
③『証人』のリズム=水平的。
リズムが形体になり、形体を構成する。 「証人」という謎めいた語句。
文字通り絵にそのような人物が配されている「証人」と、
循環・入れ替わりによって現前する「リズム的証人」がある。
(難解だが興味深い)

リズム

多感覚的形体を視覚的な表層にのぼらせる、その際に画家が絵にこめる潜在力を「リズム(生命の律動)」とドゥルーズは呼ぶ。平板な視覚よりも深い作用であるので、潜在ということになる。
象形的な表現(図解や物語)ではない。視覚から大脳へ向かう抽象的形態(抽象画)でもなく、触覚から神経を経て伝わる、輪郭のある「形体」である。それは情緒ではなく多感覚的に作用し、生命の潜在的力に直接働きかける。この潜在力が「リズム(心的律動)」である。

形体(Figure)

ドゥルーズの言う「形体」は運動である。曲線の、鋭角の、大小太細、などというユークリッド幾何的なものではない。関節も形状も筋肉も内部に可動性を保持しており、その点で動作の象徴である。しかし同時に身体はそこから逃走しようとしており、その限りにおいて真に動的であると言える。
絵画の三要素、構造 - 形体 - 輪郭 において、形体は構造を離れ、輪郭に閉じ込められ、またそこを脱して構造と再結合する。この形体の往来、絵の中の動的な現象が先述の「リズム」である。

ダイアグラム(訳では「標識図」、diagramme)

証人 - リズム - ダイアグラム。
「リズムは絡み合わされた形体のダイアグラム」。ダイアグラムとは、線・面・色を操作するもの、光学的な象形化を免れた「示唆する」働き。
混沌ではあるが、リズム(秩序)の芽生えでもある。 しかしそれを全面に増幅させることなく緊張を保つこと。あくまでも潜在的な力。
目と手、視覚と触覚の分離させて描くこと。視覚を見るためではなく感じるものとして働かせるために。偶然性やアクシデントを効果的に使いながら、それも全体を構成するための一部(痕跡)としての機能を放棄させずにおくこと、そのバランス。

ベーコンが目指すのは、抽象画(光学的)でもアクション・ペインティング(手覚的 manuel)でもない。あくまでも鑑賞者の触覚的感覚(le haptique)によって満たされるべき願望の、終わりなき収束を希求しているように私には思える。
物語りを排除し、社会通念やイメージを排除し、ありのままをありのままに(神経的、触覚的に)捉えてもらうための手段を探っているのだ。


ベーコンの絵は一つの事件である。
しかしそれを説明することは難しい。
ただ、神経を通して心が震えるのだ。



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