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『すべての、白いものたちの』白よりも白く

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』河出書房新社 2018年

望洋とした、しかし繊細でたおやかな文章である。
詩篇のようでもあり、しかし断片の連なりに貫かれた筋がある。
1966年の母親に捧げるオマージュのような、哀感と想像と、深い慈愛。
時と場所を変えて現れる白に、思いをひとつ、またひとつと乗せていく。
今、著者もまた娘をもつ母親である。

白さ、その前・その後

白を描くためには黒が要る。本書に黒はない。あるのは、汚された白である。汚れと白は対比して目に映るが、異質なものでも対立するものでもない。とても近い、だからこそ悲しみをたたえて、そこに共にある。

白は生まれ変わる。
かつてあった白。白くなくなる悲しみを越えて、また新たな白が現れる。著者は自らその白さの中へ身を投じ、あるいは、白そのものになっていこうとしているのではないか。

この本は、共に立つ〈白〉と〈穢れ〉のはざまに、かろうじて差し挟まれた表現であろう。そのために言葉は選ばれ、文字に結晶した。雪のように。

私から見た本書の景色は以上である。あとはその様相を断片的ではあるが引用し、蛇足ながらひと言を付記しておく。

まだ生きられていない時間の中へ、書かれていない本の中へ、

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』p11より(以下の引用、すべて同書より)

始まりを告げる白い文体。ないけれど、あるものへと、一歩。

何が始まったのかはわからないまま、まだ、二人はつながっている。

p20

呆然とし、しかしほんのわずかな安寧もある。

もう、涙は出なかった。

p22

本当の悲しみは、涙のあとに襲ってくるものだと思う。

こんな濃霧の明け方に、この都市の幽霊たちは何をするのだろう。

p29

すべてが境界の内側で息を殺していた。

p29

ふしぎな形で抱きあっている

p33

この街の悲劇の歴史とともに悲しみが去来する。新しい白と古い白の境界。

やがて数千数万の雪片が通りを黙々と埋めてゆくとき、

p63

それでも雪は、すべてのものへ分けへだてなく降り積もってゆく。

何故だ どういうことなのだ、こんなことになっているのは、と思うとき

p66

生きていれば誰もがふと感じる、あの思い。共感する。
それを受けて、p73の『みぞれ』は私の最も好きな一編。「雨でも雪でもない」その不思議な曖昧さこそを、やさしいと感じる自分がいる。

雲の後ろに月が隠れた瞬間、雲は突然しらじらと冷たく光りだす。

p87

月の力があれば、雲も光背を背負える。月 - 光 - 雲、場としての空。

生命を与えてくれる水だけが透明なのだ。

p113

刺すような喜びであったはずだ。

p113

喜びを修飾するのに鋭利な形容詞を用いている。染みるような、ではない。

いいから起きなさい、ごはん食べよう。

p162

眠る場所があり、食べるご飯があり、家族がいる。あらゆるぬくもり。

沈黙のわずかなぬくもりに向かって、

p169

しかし、ふと…

一読後、ブログ記事を書くために再読しながら、初めには気がつかなかった微かな雑味が口に残る心地がしている。
わずかばかりの、添加物。
それが何なのかはわからない。私の非無垢な部分が、白さに嫌悪を感じ始めているのだろうか。私のそれは白とはまた別の、澱みを由とする黒きものかもしれない…


雪の結晶のように消えやすい情緒、白のように汚れやすい純真。
感情より先に、感覚と肌触りで滑るように読まれるべき作品だと思う。

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