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脳出血〜要介護5

6月28日に介護保険の要介護認定の調査があり、
7月12日に結果が届きました。

要介護5

とのことです。

この、7月前後あたりから
夫がようやくお金のことを気にするようになりました。

オレのキャッシュカード、どこにあるかわかった?
通帳は?暗証番号はわかった?
あけちゃんと亮ちゃん(亮輔=わたしの息子)が
お金に困らないようにオレのお金を使ってね

これまで、わたしたちは別居婚でしたので、
生計もそれぞれ別々に立てており
わたしは夫の貯金がいくらなのか?
毎月の収入がいくらあるのかさえ知りませんでしたが、
夫の住まいはローンも残っておらず、
わたしよりお金を持っていて生活に困っていないのは明らかなのを感じていました。

片や わたしは
離婚当時は郵便局の非常勤で勤務しており、
元夫の借金のために
マンションも車も、持っていた何もかもを失い
ほとんど何も持たずに
息子と娘を連れて家を出たので
わたしの就職が決まるまでのしばらくの間と、
お給料がもらえるまでの1ヶ月半は、
フードバンクや民間企業の母子支援の制度に頼ってどうにか日々を生きていました。

再就職するためにハローワークに通っていましたが、なかなか正社員で採用してもらえる会社がなく、本気で自殺を考えていました。

頼れる実家もなく、
それぞれに悩みを抱えている妹たちには相談することはできませんでしたので、
このままいつまでも収入のない状態が続くようなら一家心中するしかないんじゃないかと思っていました。

そんなときに、わたしに救いの手を差し伸べてくれたのが
郵便局で一緒に勤務していて仲良くなった親友でした。

彼女には引越し先のアパートを探すときにもお世話になり、
わたしが自殺を考えていたときには
仕事の合間に1日に何度も
『大丈夫だからね!今がどん底なんだから、これからは良くなるしかないんだから!』
と電話をくれた親友です。

そして、彼女からのご縁で、教育委員会で勤務させていただくことになり、
ようやく わたしたち親子の生活が
3食に困らずに、毎日お風呂に入れる程度には安定しました。

2年前には、息子が家を建ててくれて
それ以来
光熱費と家のローンは息子が負担してくれています。

わたしと夫は再婚を機に、
それぞれの家を出て 2人で生活することを考えていたのですが
夫は大阪で仕事をしているし、
わたしは名古屋で教員をしていますので
どちらかが仕事を辞めて一緒に暮らすという決断に至らないまま数年が経過していました。

夫が脳出血で倒れなければ、
わたしたちは 仕事を辞めない限り
一緒には暮らせないままだったと思います。

夫には、退院後は家に帰って来て欲しいと、切に願っています。

主治医からは
施設に移ることも考えて…と言われていますが、
夫が家に帰ってきてくれること
わたしは それしか考えていません。

子どものため、仕事のため…と、
10年間、離れ離れに暮らしてきました。

そろそろ一緒に暮らしたいです。
ただそばにいて
一緒にご飯を食べたいのです。

親友と久々においしいものを







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