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【死にゆくということ3】hitomi


いつからかはわからないけど

私は終末期に関わりたいと思い始めた。

私の思う終末期は学問的な終末期とは少し定義が違いそうだけど。

私が関わりたいと思っているのは「人生の終末期」と言ったほうがしっくりくるかな。

「死」を目前にしたというのはもちろんだけど、

老いと共にごく自然に死に向かって日々の生活を営んでいる人も含まれてる。



最期が近いと感じたとき、多くの人は人生について振り返るらしい。

どんな人生だったかな?


子どもの頃は、友達と駆け回って遊んだなぁ。怒られたこともあったけ。

学生時代は、楽しいことばっかり。時には喧嘩もしながらずっと仲間と過ごしたな。

働き始めてからは、仕事一筋。誰にも負けたくなかったし、負ける気もしなかったな。

そして、結婚して子供が生まれて大切なものもどんど増えた。休みの日はみんなで出掛けて楽しかったなぁ。

子供が手を離れて、仕事を辞めて夫婦の時間ができて孫ができて。

いろんなことがあったけどいい人生だったな。


そう思って最期を迎えられる人がどれほどいるだろうか。



年齢や期間は違えど人生の終末期においては、

突然の死を迎える人以外は必ずと言っていいほど人の手を借りなければならないことがほとんどだろう。


なんだって自分でできてたのに。。。

子供だって立派に育てたのに。。。

仕事だって誰にも負けなかった。。。


それなのに今は


何をするにも人の手を借りないとできない。

自分ではないにもできない。

世話になるばかり。

人の役には立てない。


人に囲まれ充実感に満ちた人生を歩んできたとしても

どんなにキラキラ輝く人生を歩んできたとしても

その素晴らしかった人生は忘れ去られ、

今の自分の無力感や孤独感にすべてが支配されてしまうような気がする。

まるで今までの人生がなかったかのように。


逆に、


あんなに孤独だったけど、今は自分を認めてくれる人がいる。

必要としてくれる人がいる。

自分にもできることがある。

あぁ悪くない人生だったな。

そう思えることもあるかもしれない。


どちらにせよ、人生の終末期のおける過ごし方で「人生そのもの」のとらえ方が変わってしまう気がする。


だからこそ、私は終末期に関わりたいと思う。

自己効力感だとか有能感だとか

そういう難しい話はしたくない。

とりあえず笑って過ごしてほしい。

(実際は、そのためにそういうことが必要なんだけど。。。)


一日一回でもいい。

笑ってほしい、心から。

今を楽しんで欲しい。

最期の最後まで。


何かを「してあげること」はできないけど、

一緒にで笑っていたいな

最期まで。


hitomi




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