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夜に駆けるに、天体観測を重ねた三つの理由

2019年下半期、新型ウイルスが大流行する前、まだワクチンもソーシャルディスタンスもなかった時代に突如としてシーンに現れたユニット・YOASOBI。ユニット結成から間髪入れずに放たれたナンバー・夜に駆ける。当時25歳の平凡なバンドマンがPCひとつで作り上げ、当時19歳のしおらしい若者が歌い上げたこの曲は瞬く間にヒットチャートを駆け上ってき、2020年で1番売れた曲となった。かくいう私も、一連の流れの中でYOASOBIというユニットの虜になってしまった。

そんなYOASOBIと、そして夜に駆けるについて自分なりに色々考えてみた結果、ひとつの答えが導き出されたので、文字に起こして共有したいと思った次第である。といっても素人ライター兼音楽知識偏り野郎の戯言であることは拭えない事実なので、「あっふーん」ぐらいの気持ちで読み流していただければ幸いだ。


さて前置きが長くなったが、結論から先に述べる。タイトルから察していただけるように、夜に駆けるは天体観測なのである。なんのこっちゃ分からないだろうが、夜に駆けるは天体観測なのである。そう思ったのだから仕方ない。
念の為に説明しておくと、天体観測は国民的バンド・BUMP OF CHICKENが2001年に発表した楽曲のことである。私には、夜に駆けると天体観測が重なって見えるのである。

夜に駆けるは、平成後期から令和にかけての音楽文化の象徴のような存在である。ボカロ音楽の延長線上としての高い自由度、攻撃的な転調、紅白でサブちゃんを唸らせたほどの激しいメロディの上下と複雑な譜割り。まさに現代JPOPの集大成ともいえる唯一無二の楽曲である。
だからといって、夜に駆けるをひとくちに「現代の音楽」と一括りにすることは出来ない。ここで私が注目したのがBUMPの天体観測である。
天体観測もまた、夜に駆ける同様に当時の音楽界に革命を起こした楽曲である。悔しいことに筆者自身が当時の天体観測ブームを体感してはいないのだが、それでもネットに残るデータや当時を知る方達のネットでのつぶやきを見れば、ブームの凄まじさは想像に難くない。

実は夜に駆けると天体観測は、案外似ている点が多い。そして両者の共通点を紐解くことで、いかにしてこの2曲が革命的であったか、そしていかにしてYOASOBIとBUMP OF CHICKENが深く愛されているのかが見えてくる。


夜に駆けると天体観測の共通点について、大きく3つに分けてお話していこうと思う。

①等身大の若者が歌う「夜」と「成長」

まず1つ目について、
言ってしまえばどちらも「夜の歌」だねーという点である。夜に駆けるは言わずもがな、天体観測も「午前二時フミキリに望遠鏡を~」という歌い出しを聴いていただければ分かるであろう。
それだけでもいいのだが、さらに注目したいところがある。それは「若者」がこれを歌っている点、そしてそれぞれ「成長」を歌っている点である。

天体観測がリリースされた当時、ボーカルの藤原基央は21歳。夜に駆けるがリリースされた当時、ボーカルの幾田りら(ikura)は19歳。とてつもなく若いのである(夜に駆ける作詞曲者のAyaseは当時25歳。それでも若い方)。
普通音楽家というものは20代中盤、あるいは30代になってから初めて脚光を浴び始める。20前後の若者がシーンに踊り出ようと思っても、音楽家としての経験や円熟味を全てすっ飛ばして、努力とセンスとカリスマ性のみで登りつめていくしかなく、至難の業だ。特にロックバンドという分野に関してはその風潮が著しく思える。しかしBUMP OF CHICKENとYOASOBIの人達は、それをやってのけてしまっている。
そんな20前後の若者の、何色にも染まってない純粋で真っ直ぐな、等身大のメッセージが乗っているのが夜に駆けるであり天体観測なのである。

また「成長」という観点についてだが、2曲の歌詞を順に見比べていこうと思う。

どちらの曲においても言えることがある。夜という情景で、主人公は衝動的な気持ちに突き動かされ何かを一生懸命に成し遂げようとしている。それは、「君」に対するアプローチであるとともに、「自分」にも試されているようなものである。

「衝動的な気持ち」
【深い闇に呑まれないように精一杯だった】(天体観測)
【初めて会った日から僕の心の全てを奪った】(夜に駆ける)

「何かを成し遂げようとする」
【見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ】(天体観測)
【騒がしい日々に笑えない君に 思いつく限り眩しい明日を】(夜に駆ける)


そうやって「君」に対して必死にアプローチを行っていた「自分」だが、身に起こったイレギュラーをトリガーに、ある時ついに自分自身が何かを失ってしまう。天体観測では「見えてるモノ」を、夜に駆けるでは「自らの笑顔」を失う。

「イレギュラー」
【予報外れの雨】(天体観測)
【「終わりにしたい」だなんてさ つられて言葉にした時 君は初めて笑った】(夜に駆ける)

「自分自身が何かを失う」
【見えてるモノを見落として】(天体観測)
【騒がしい日々に笑えなくなっていた】(夜に駆ける)


そして大サビの突入とともに物語が一気に動き出す。今まで出来なかったこと、あるいは過去にやったきりやっていなかったことを、ついに始めようとする。

【前と同じ午前二時 フミキリまで駆けていくよ】(天体観測)
【差し伸べてくれた君の手を取る】(夜に駆ける)

自発的な行動により前向きになった自分は、「君」とともに未来へと駆けていく。

【キミと二人追いかけてる】(天体観測)
【二人今 夜に駆け出してく】(夜に駆ける)


登場人物の心情や情景描写は違えど、主人公が「君」との交わりの中で成長していくという過程を描き、同時に「君」との尊い関係性を説くというアプローチが、非常に似ている。
たんに愛や友情や勇気をテーマにした前向きソングではない、失敗や挫折をもとに過去から未来へ、成長を遂げる過程の中で生じた愛や友情や勇気を、藤原基央とikuraは歌っている。
またこういった叙情的な歌を当時20代前後の若者が歌うことで、リアリティさが増幅され説得力に満ちたものとなる。さらに「夜」という情景によって、ティーンエイジャー特有の迷いや不安、愚直さといったセンチメンタルな感情が掻き立てられる。

若者が、若者の「夜」と「成長」にフォーカスを当てて歌った、天体観測と夜に駆ける。BUMPとYOASOBIが若くして日本中の心を掴むことができた大きな要因はここにあるのではなかろうか。

ここで一つ補足。夜に駆けるという楽曲は、原曲となった「タナトスの誘惑」やミュージックビデオの内容から、自殺をテーマに扱ったモノであるという見方がある。主人公が死んでるのに成長もクソもないだろという意見もあるだろうが、あくまで曲中の物語で主人公の心情にいかに変化があったか、という視点で考えているのでご理解いただきたい。

②前衛的で挑戦的なイントロ

先程述べたような詞のよさ、メッセージ性の豊かさの他にも、作曲という観点からも両者の共通点を見い出せる。

なにより、天体観測も、夜に駆けるも、イントロがすこぶる素晴らしいのである。イントロといえば、曲のファーストインプレッションを決める曲にとってサビに次ぐ見せ所である。さまざまな音楽雑誌や音楽番組で、プロが絶賛している光景をよく目にする。ウブの素人だけでなく、プロでさえも唸らせてしまうイントロを両者は持っている。

天体観測のイントロといえば、歪んだギターがいくつもに重なって織り成す印象的なリフ。これは、合計8本ものギターを多重録音し流れ星を表現しているという。
夜に駆けるのイントロといえば(といっても歌唱から曲が始まるので厳密にはイントロではない)、ギターのカッティングを皮切りに始まるピアノの上下激しいメロディライン。一歩間違えればカオスになりかねないが、ちょうどいい塩梅が保たれてメロディが進行していく。

言ったら悪いが、ここで述べた技術やアイデアは決して真新しいものではない。ただ天体観測を作り上げた藤原基央と夜に駆けるを作り上げたAyaseは、これらの高レベルなテクニックや手法を見事に大衆的な音楽に落とし込んだという功績がある。
印象深いイントロはこの世に沢山あるが、前衛的アイデアと耳馴染みの良さをここまで高いレベルで両立させている楽曲は天体観測と夜に駆けるだけなのではないか。大言壮語に聞こえるが、私は真面目にそう思う。


③物語⇔音楽というスタンス

ここでは天体観測と夜に駆けるの比較と言うよりはBUMP OF CHICKENとYOASOBIの比較になる。

YOASOBIというユニットの2つ名として、メディアなどで「小説を音楽にするユニット」と呼ばれることがある。実際に、2021年10月までに発表されているYOASOBIの楽曲には全て、原作となる文学作品が充てられている。

対してBUMP OF CHICKENの音楽は、歌詞の物語性の深さからしばしば「絵本のような音楽」と比喩されることがある。特に「K」「グングニル」「ラフ・メイカー」「ダンデライオン」といった活動初期の楽曲に対して特に強く言われる。

ここから暫くBUMP OF CHICKENのお話になるが、
BUMP OF CHICKENというバンドはお茶の間からの評価もさることながら、同業者からの支持と音楽界に与えた影響力がとんでもないモンスターバンドである。RADWIMPSの野田洋次郎、SEKAI NO OWARIのFukase、米津玄師あたりは特に界隈でも有名な筋金入りのBUMPフォロワーである。後輩アーティストだけではない。Mr.Childrenの桜井和寿やスピッツの草野マサムネら大御所からもたいへんに厚い支持を獲得している。
そして何よりも一番凄まじいのが、音楽シーンへの影響力である。BUMP特有の斜に構えた攻撃的かつ包容的なワードチョイスや、先程述べた物語調で進んでいく曲構成といったこれらの特異点は、BUMPの登場から数年後に始まったボーカロイドという文化に多大なる影響を与えた。
この手の詳細な関しては、各所で記事になっているので、そちらをご参照願いたい。
(私が参考にしたサイト:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76468)

要するに、今では大発展を遂げているボカロ文化の礎を築いた存在こそがBUMP OF CHICKENなのである。

対してYOASOBIであるが、このグループの略歴を見ると、元々ボカロPとして活動を始めていたAyaseがスタートさせたプロジェクトである。夜に駆けるやその他YOASOBIの楽曲は全てikuraという生身の人間が歌唱しているが、作曲方法はボカロ音楽を作る時のそれと全くおなじDTMを使ったものである。そして夜に駆けるをはじめとしたYOASOBIの楽曲のデモ版は、ボーカロイドである初音ミクの声をあてがって作られている。

このような背景を見るに、YOASOBIは「BUMP OF CHICKENが築き上げたボカロ文化から産まれたアーティスト」となる。極論、YOASOBIにはBUMP OF CHICKENのDNAが多少なりとも混じっているのである。
見出しの冒頭で触れたような、音楽の中に物語が共存するというスタンスにおいてBUMP OF CHICKENとYOASOBIが似ているというのは、ある種必然的なものであるとも言えよう。
見出し①と見出し②ではいかにしてBUMPとYOASOBIが国民的アーティストへ躍り出たかについて触れたが、両者の音楽はムーブメントを形成するティーン達にもしっかり響いていることも忘れてはいけない。サブカルに代表されるような若者中心の文化圏においても、BUMPとYOASOBIは圧倒的な地位を保っているのである。

おわりに

以上、3つの視点について天体観測と夜に駆けるの共通点、ひいてはYOASOBIとBUMP OF CHICKENの共通点について考えてみた。

物語のような歌詞。そこに添えられるメロディというエッセンス。そしてそれらを上手く調合させる音楽家としての力。これこそがYOASOBIとBUMP OF CHICKENに共通する凄みであると私は考える。


余談であるが、「若者向けの夜の曲」でブレイクした彼ら彼女らは、奇しくも2021年では「大衆向けの朝の曲」を歌うこととなった。YOASOBIはフジテレビ系列のめざましテレビのテーマソング。BUMP OF CHICKENはNHK連続テレビ小説の主題歌。朝を舞台にしても夜を舞台にしても輝けるBUMPとYOASOBIは、紛れもなく超一流のアーティストである。

そんな2組が、2021年の紅白歌合戦に出場することが決まった。個人的に思い入れの深いこの両者が大晦日に同じステージに立つというのは、ワクワクが止まらない。
キャリアも曲のジャンルも違うBUMPとYOASOBIだが、これからも若者のカリスマとして、そして老若男女から親しまれる国民的存在として、音楽界を駆けていくであろう。


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