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趣味を見つけて また気楽になった話

最近更新していなかったのには、ひとつ、理由がある。小説を書きまくっていたのだ。

小説を書いて、体調が良くなった?話をしてみたい。わたしはパニック障害だとか適応障害だという症状を持っている……で、これはもしかしたらもう過去形になるかもしれない。


小説――わたしは昔からオタクだった。中高生の時は、ひたすらに小説を書きまくり、自分で読んでいた生活だった。

だが、いつの間にか、大人と言われる年齢となり、それらを捨てた。と、同時に、映画や小説、アニメなどのストーリー性があるコンテンツをあまり見なくなった。

結果、どうなったのか?

なんとなく味気ない日々を送っていた。その上に、仕事での「これをするべき」みたいなやつが乗っかかって来て、人生の楽しみ<責任となり、あれやこれやとメンタル不調を10年ほど抱えている。


ふ、とした拍子に、何故か小説が書きたくなった。

この10日くらいで、10万文字ほどを書いたらしい。多分、ちょっと異様に見えるかもしれない。

寝食を忘れかけ、熱に浮かされたように、書きまくった。この一年、音声配信やnoteでの発信など、色々なことをしてきたが、今回が一番「夢中」になった。

ようやく、今日、それが落ち着いたので、こちらに戻ってきた形だ。


パニック障害とか適応障害というやつの、「発作」的な症状は、ここ数ヶ月出ていないし、仕事もスムーズに手に着くようになってきた。(適応障害は仕事由来なの)

そして、今日、やたらとすっきりとして、外に出てみたのだ。わたしに強く残っていた症状は、「外出恐怖」だった。さて、どんなもんかな、と。

昔感じていた世界が戻って来た。

10年以上前の、学生だった頃の世界。この世の中は、冷たいけれど、安定して存在していた。情緒を豊かに持っていた。

だが、社会人だという謎の圧力で、無駄なものを捨てようと、論理的ではないものを捨てようとしてきて、わたしは生まれ持った何もかもを放り投げていた。情緒性も、物語性も。

小説の何が良いかと言うと、ストーリー性があるということ。地べたを這いつくばるようなリアルな世界の上の、高い目線の、人生のストーリーが味わえるということ。

小説というストーリーを自分で書いて、味わって、わたしは自分の世界に戻って来た。そこには、自分のストーリーがあった。

だから、わたしはエネルギーを取り戻したのだと思う。実際、書いた小説も、あれは違う人の仮面を被った"わたし"の話だ。


この10日間、わたしは自分がパニック障害だとか、適応障害だとか、そんなことをすっかり忘れて、没頭していた。前に言ったか忘れたけれど、一番調子が良いのは、「自分が体調不良であることを忘れている状態」だ。

その状態に入っていた。だから、またわたしは"自分"を取り戻して、人生のコントロールを手中に収めつつあるのだと思う。


多分、わたしは、そういう病気じゃなくなる。そういう確信がある。きっと、近いうちに。

そして、この記事を書いた後も、きっとわたしはなんちゃら障害だとかそういうことを忘れて、遊ぶんだろうな。

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