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日誌(24/365 今日しか書けないと思ったから日誌を書く)

「○○しかない」「○○だけだ」という考え方が苦手です。
「本当に?」と疑いたくなってしまう。
相手を信じていないつもりではなく、その他の選択肢はどこへ行ってしまったのだろうか、と思う。
だから、AとBがあってどちらを選ぶかという考え方や提案の受け方が好きです。

そんなことを書き出した私ですが、今日しか書けないと思った次第です。
明日に私は誕生日を迎えます。
今の年齢で日誌をかけるのは今日まで、だから今日しか書けないと思った。
でも、たぶんその考え方は違うはずで。
昨日だって、今の年齢で日誌を書くことはできた。一昨日だって同じだ。
そんな毎日にあって、日誌を書かないという選択を繰り返してきた自分が今日までの間にたくさんいて、
誕生日直前になって急に思い立った。それが今日、この瞬間の状態だと思う。

夏休みの最終日になって宿題を始める小学生のようで、その姿は当時から大きく変わっていない。
計画的に、毎日コツコツ、といった考えがとにかく実践できない。
むしろ実践しないことを選択して、間際になって急に思い立つのが私の数十年の歩みだと思う。
変わったことと言えば、宿題ではなくて日誌になったこと、夏休みの終わりではなくて誕生日の前日になったこと。
大きな成長が感じられないことは少し寂しいけれど、当時の自分と今の自分が繋がっていると感じられることは嬉しい。

この1年も悲喜こもごも、たくさんのことがあった。でも、ほとんどのことを覚えていない。
どこかの場面でふと思い出す、記憶同士がリンクすることはあったとしても、今この瞬間に明確によぎるものはない。
記憶の貯金が増えたような、増えてないような、少しの不安はあるけれど、きっと大丈夫。そうやってまた1年間歩んできたのだからきっと大丈夫。

そして明日から始まる1年もきっと大丈夫。

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