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ロシア・サンクトペテルブルクを訪ねて 1

ロシア連邦・サンクトペテルブルク。かつては首都とされた古都へ歴史の息吹を感じるために訪れた。
社会主義時代を思わせる街並みの中に、帝政時代から残るであろう建物が並び、時代の長さを感じさせる……。今でもテロの危機や修理されないままの崩れた壁や道……美しさと物悲しさが同居しているように感じた。

東京→モスクワ→サンクトペテルブルク

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モスクワ乗り換えで古都サンクトペテルブルクへ。

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美味しんぼや映画を見ながらの機内食。以前別な国へ行った際の料理より美味しく感じた。

「帝政ロシア・ソビエト連邦」二つの時代が残る街並み

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ロシア サンクトペテルブルク センナヤプロシャジ駅の近くにて滞在。

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街並み_05

街並み_01

ソ連時代の戦跡と思われるものや、傷跡の様なものもみられた。第二次世界大戦中、この街は独ソ戦の激戦地となり多くの人々が亡くなった。周りを包囲され、食糧などの備蓄が亡くなった際には遺体を食べるなど凄惨な場面も多くみられたのではないだろうか。

ネヴァ川_04

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ネヴァ川をはじめ、沢山の河川が連なり「北方のベニス」とも呼ばれる。
多くの船が往来し、乗船すればガイドのアナウンスを聞くことができるが、その多くはロシア語のため日本人には難しいように思う。

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トロリーバス・メトロ・乗合バスなど多くの交通手段があり、郊外への移動も容易におこなえる。地下鉄の駅は非常に美しく社会主義賛美のための荘厳さがいたることろで表されている。モスクワ・サンクトペテルブルクの地下鉄運行は時間間隔でおこなわれており、東京以上の本数で運行されている様に感じる。事前情報では撮影ができないと聞いていたので撮影はおこなっていないが、実際には大丈夫でると帰国後に分かった。

壮大で威厳を感じる「カザン大聖堂」

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遠くからも目を惹く大きな聖堂。
ロシア正教会の大聖堂には複数の同名の聖堂が存在し、これらの聖堂はロシア正教会においてもっとも重要視されるイコンのひとつ、「カザンの生神女」に由来する。

カザン大聖堂_02

入り口には帝政ロシア時代の軍人クトゥーゾフ元帥の像が建てられ、その亡骸は聖堂に安置されている。中は撮影禁止であるが、荘厳で美しい気配が漂っている。

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1917年のロシア革命後、ボリシェヴィキによって閉鎖され、1932年ソビエト政府によって無神論博物館とされた。ソビエト連邦の崩壊後の1996年ロシア正教会に正式に返還され、現在ではサンクトペテルブルクのロシア正教会の首座教会となっている。

美しいモザイクの教会「血の上の救世主教会」

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1881年3月31日、ロシア皇帝アレクサンドル2世の暗殺に由来するモザイクが美しい教会。
1917年のロシア革命以降、教会はソビエト政権によって略奪され、教会内部も損害を被った。政府の指令で1930年代初期に教会は閉鎖され、第二次世界大戦中は野菜倉庫として使われた。人々は教会を「ジャガイモの上の教会」「ジャガイモの救世主」と冷笑的に呼んだ。教会は他の建築物同様、レニングラード包囲戦で損害を被り、戦後は近くのオペラ劇場のための倉庫とされた悲しい歴史をもった教会で、1997年8月、およそ60年ぶりに一般公開された。

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都市を見渡す展望台「聖イサアク大聖堂」

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巨大な黄金のドームが特徴的な建物で世界で3番目に大きな聖堂「聖イサアク大聖堂」。ピョードル大帝の守護聖人“ダルマチアの聖イサク”を由来とする。
ロシア革命後にはソビエト政権下で博物館となった。独ソ戦・レニングラード包囲戦では、黄金のドームがドイツ軍にの標的となることを避けるため、ドームを灰色に塗り潰された。ロシア・ビザンチン建築様式(ギリシャ十字の平面プラン、中央部に巨大ドーム、四方に小ドームを配置)を基本として建設。巨大なスケールで作られた教会内部は恐ろしいまでの荘厳さであった。

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螺旋階段を登り展望台からは、歴史が残る街を見渡すことができる。高所が苦手な私には少しハードルが高い階段もあり、かなり恐ろしかった……。

作家も愛した静かな祈りの場「ウラジーミル生神女大聖堂」

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バロックと新古典主義にまたがったデザインの5つのドームがある教会。
作家ドストエフスキーの家の近くにある教会で自身も通っていたことでも知られるが、無神論を掲げるソ連時代にあって、1932年に閉鎖されたが、1989年に教会として回復した。中では現在も熱心な正教徒たちの祈りの場所となっている。

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近隣にはゆかりのあるドストエフスキーの住んだアパートが残されており、現在は博物館として一般公開されている。
ドストエフスキーは同じところに長く居住することは好まず、何度も引っ越していたという。作家が最期の日を迎えたのがこのアパートであった。

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美しい青のドーム「トロイツキー大聖堂」

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遠くからでも遠近感を無視したサイズで存在感を発揮している。

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1828年〜1835年の間にワシリー・スターソフによって帝政様式末期のスタイルで建築された。80m以上の高さのある大聖堂は、圧倒的な存在感を放っている。ロシア革命後の1922年には、この大聖堂の貴重な宝物は略奪され、それは1938年に大聖堂が閉鎖されるまで続いた。
2006年、修復の足場から出荷、中央のドームと周りのキューボラ(円頂塔)の一つが崩壊したが、最重要のイコンは被災を免れた。2010年には修復が完了し、見学ができる様になっている。

素朴で温かな食事

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ビーツを利用したボルシチやロールキャベツなど日本でも知られるロシア料理。
どのレストランでも比較的安価に楽しむことができる。
どこか家庭的で素朴ながら味わい深い料理が多く、日本人にも好まれるものが多い様に思う。

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カザン大聖堂近くの「カチューシャ」

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エルミタージュ美術館近くの「Gosti」

上記の二店がリーズナブル・優れたサービス・美味しい食事・美しい内装と特におすすめ。

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ホテルの近くにはスーパーがあり、いろいろなものを購入可能。惣菜料理も美味しくリーズナブル。ロシアでは酒類の販売(バーなどでの飲酒は可能)は22:00までとなっている。

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