まるでライブ、な護摩祈願
丹田に響く太皷のビート。ボウルの金環音が細かく時空を震え、4人のお坊様の織り成すお経という名の大合唱。中央に座るお坊様の扇子やら手印やら、絶えず繰り広げられるパフォーマンスの数々に思わず見入ってしまう。
そして終盤、高く上った力強い炎に思わず心の中で拍手喝采。
こ、これは、、、、まるで音楽ライブ&パフォーマンスではないか。確かに荘厳な儀式ではあるのだけれど、ついからだがビートを捉え、音に乗ってくるもんだから面白くなってきてしまう。
あぁなるほど、こうやってその道の方々はトランス状態・瞑想状態にはいり神とか見えない存在とコンタクトをとるのかもな。自分たちの守護の意味合いもあると思うけれど。
そして音や人の声の力、印とか形の力ってやっぱあるんだなぁ~。密教はじめ仏教奥深し。
なんてつらつら考えているうちに、ス~っと何かが経ち切れ離れていったような軽やかな感覚の中、人生初の護摩祈願を終えた。
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もとはと言えば、今年本厄の夫の厄除けにと誘ったのがきっかけ。
私の本厄の時はちょうど出産と重なっていたため、お産が厄除け~と特に足を運ぶこともなかった。
節目として、また算命学でも只今真冬真っ盛りな我が家の大黒柱の運勢も気になり、お不動様で厄除けお護摩をと。
最初は成田山まで行く気だったのだが、比較的近場な目黒不動尊へ赴くことになった。
実は20代に6年ほど隣の武蔵小山に住んでいたのに一度も訪れることがなかった地。お寺は昔からなんか苦手で。。。神社の方がしっくりくるし。
目黒駅から徒歩20分位歩いて到着すると、心地よい水音と共に身代わり不動に湧き水をかける人々が目に入る。程よく緑がうっそうとし、いい感じの境内ではないか。
階段をのぼってお不動様にご挨拶したのち、祈願の受付へ。
開始までの待ち時間の間、娘と本堂の中を見学して回る。こんなに仏像をまじまじと見物したのは、京都での三十三間堂以来かもしれない。
会場の中には、お宮参りの赤ちゃんとご家族や幼児連れ(4歳が幼児の厄年)を始め、30~40人くらいいらっしゃった。ちなみに赤ちゃんは終始寝ていたのか、太鼓が鳴り響こうが壮大な大合唱が聞こえようが、ほぎゃあとも言わずお利口にしていた。
そして皆が固唾をのみ見守る中、冒頭のお護摩パフォーマンスが始まった。
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会の最後に真ん中の多分えらいお坊さまが、説法をしてくれる。お不動様の働きについて。
それと今日は新月というだけでなく、一粒万倍かつ神仏を大切につながると新しい始まりがある重要な日だったらしい。知ってか知らずか、訪れたみなさんはお不動様に呼ばれたのかもしれませんね~という内容。
それはさておき、私としては長年祈りの場としてこの地を収めてきた事のすごさと、お坊さまたちが重ねてきたライブパフォーマンスに脱帽なのであった。