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うめぼしとポンズの国へ

一年間の東京滞在が決まったのが去年の12月。
ただ12月の時点では、コロナ禍の入国規制でノルウェー人の夫のビザ取得がいつになるかわからなかったので、渡日時期はまだはっきりしていなかった。
そんな状況だったのだけど、子供たちには早ければ春にノルウェーを離れる旨を伝えた。

当時7歳のマツの方は、はじめは大喜びだったのだけど、出発がせまるにつれて仲の良い友達と離れることに不安を感じたり、とは言いつつもやっぱり楽しみだったり、と出発まで気持ちは揺れていて。

その反面、4歳のアイナの方は、伝えた時から一貫して「日本行き」を穏やかに受け止め、心を躍らせているようだった。アイナが最後に訪日したのは、彼女が一歳半の時。当然だが、訪日した際の記憶はない。彼女が五カ月の時に他界した私の父にも会えずじまいで、そのことを時々マツに「アイナはじーちゃんに会ったことないでしょー」と指摘され、泣いていたこともあった。

コロナ禍で訪日が叶わない三年間も、オンラインで実家の母や親戚とつながっていたし、私が不器用なりに作る和食を食べ、マツや私が話す日本語の理解はできていた。それでも、アイナは日本のアニメよりノルウェーの子供番組を好み、家の中でも私やマツにもノルウェー語で話しかけていた。そんなこともあって日本との気持ちの面でのつながりはマツほど濃くないように感じていた。だから、幼稚園や地域のお友達との別れを惜しむこともなく、日本行きをただただ待ち望む彼女の姿は、もちろん親としてありがたい反面、少し意外だった。

幼稚園では、日本とのつながりを本人自らよく話題にしていたらしい。週末におじいちゃんおばあちゃんに会ったと話すクラスメートに、私も日本のばーちゃんとオンラインで話しているんだ、日本におねえちゃんがいるのだとか。(いとこのことをおねえちゃんと紹介していたようだ)
担任の先生は、日本行きが決まった後も、「日本のこと、ここで話題にするだけじゃなくって、一度実際体験できるのはいいことだね。文化、食生活、日本の幼稚園も」とアイナの背中を後押ししてくれていた。

後で知ったのだが、幼稚園でも先生は「日本にいったら何がしたい?」と本人にもたずねてくれていたようだ。
アイナの答えは、「日本で、うめぼしとポンズが食べたい!」
唐揚げ、寿司といったノルウェーでも人気の和食でもないUmeboshi、Ponzuとは何ぞやと、先生はすぐその場でアイナとグーグル検索してくれて、漬物や調味料であることもアイナのつたない説明で把握してくれた。そのことを、迎えにいったときに先生とアイナで楽しそうに報告してくれた。

アイナは実家の母が漬ける小梅のウメボシが大好きで、食事時間以外でも私の目を盗んでは食べていた。そして「貴重なウメボシ食べ過ぎないで」、としょっちゅうわたしに怒られていた。

また、最近ノルウェーの地元のスーパーで手に入るようになったポン酢も好きで、サラダやパスタにまでかけていた。日本のスーパーには、KIKKOMANだけじゃなくっていろんなメーカーのいろんな味のポンズが売ってんだよってそういえば話したことがあったっけ。
 
そうか、日本でうめぼしとポンズを思う存分味わいたいのね…。
 
それ以来ノルウェーを出国するまで、アイナは幼稚園でいろんな先生に「日本楽しんできてね~!」と声をかけていただくたびに、ピョンピョン飛び跳ねながら嬉しそうに「うめぼし!ポンズ!」と答えていた。
そして「うん、うめぼし、ポンズ、楽しんできてー!」と朗らかに掛け合ってくださる先生方。

そんな先生方とアイナの「うめぼし!ポンズ!」の掛け合いコールは最終登園日まで続き、日本に到着したら今度は実家の母とLINEで「うめぼし!ポンズ!」のコールが始まった。

彼女なりの日本とのつながり-梅干しとポンズーを尊重してくれて、暖かく力強く送り出してくれたノルウェーの幼稚園の先生方。感謝しかない。

(写真は熟成中の小梅。母にききながらはじめて漬けてみた)

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