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入り口のおばあちゃん。

マンションの入り口のポーチに座っているおばあちゃんがいる。

私はこのマンション団地に住んでもう8年目になるが、自分の階の住民ですら、すぐ隣りの「赤い髪のおばさん」以外はまったく面識ない。

ちなみに、韓国のマンション(通常、高層の住宅建物は「アパート」と呼ぶ。日本でいうアパート的な建物はヴィラとか連立住宅と呼ぶ。ここではややこしいから「マンション」としておく)は大体「廊下式」と「階段式」があって、廊下式は一つの階に廊下に沿って複数の世帯が並んでいる形式、階段式は一つの階に玄関が向き合うかたちで世帯が二つだけある形式だ。
最近造られたマンションはほとんどが階段式なので、うちのような廊下式のマンションは大抵築三十年以上たっている古いものだ。

うちのマンションなんかは古い上に安くて、廊下をはさんで向き合う形でずらっと部屋が並んでいるため、世帯数が多い。そしてあまりに頻繁に、あっという間に引っ越すので、一体どんな人たちが住んでいるのかちっともわからない。

大体、同じエレベーターに乗り合わせても挨拶をしない。目も合わせない。最初はそれがすごく居心地悪かったが、慣れてしまうとむしろ挨拶するタイミングが難しくなる。同じ階に降りた見慣れない人が同じ方向に行くなあと思ったら、向かいの部屋の住人だった、ということもある。数カ月前は違う人が住んでいたような気がするんだが。

唯一顔見知りなのは、髪を赤く染めた目つきの鋭い隣りのおばさんで、引っ越してきたばかりのときに律儀に挨拶したせいか、廊下で会うと私には話しかけてくる。共用ベランダで煙草を吸い、廊下で会話がぜんぶ聞こえる大声で携帯で喋るという、あまり好ましくはないおばさんだけど、どうもこの階の主っぽいので、会えば私もなるべく軽いトークはするようにしている。

話を戻すと、入り口のおばあちゃんは、いつからか毎日のように見かけるようになった。椅子兼用のショッピングカートにちょこんと腰をかけて、じっと外を見ている。
マンションの習慣上、とくに挨拶もせず通りすぎていた。

一度目が合ったとき、軽く会釈したところ、おばあちゃんがかん高い声で「ちょっと、私を立たせておくれ」と言うので面食らった。

聞くと、「腰が痛くて立てない」と言う。どうやってここまでやってきたのかわからないが、ともかく誰かに助けてもらえるまで待っていたのだと。脇に手を添えて、ここまででいいという場所まで送った。
体躯の小さなおばあちゃんからは何日か同じ服を着たままの状態特有の匂いがした。
おばあちゃんはショッピングカートにすがるようにしてゆっくり廊下に消えた。

 腰が痛くて立てない、と言ったわりに、その後もおばあちゃんはしょっちゅう入り口に座っていた。以来、こんにちはと挨拶するようになった。時間的余裕があるときは、今日は寒いですねとか暑いですねとか声かけるが、その返答は半分くらい私には聞き取れない。なので適当に相槌を打って離れる。

日差しの強い今日も、おばあちゃんは定位置にいた。
挨拶すると、最初のときと同じように「腰がちぎれそうに痛い」と訴えるのだった。
腰が痛くて動けなくて、今日はごはんも食べられなかった、と。以前たしか、孫と一緒に住んでいると言っていたはずだが、その人に手伝ってもらえなかったのか、聞こうと思ったが聞けなかった。

「病院には行ったんですか」
「さっき行ってきて薬もらってきた」
「ごはん食べましたか」
「ちょこっと食べた。朝は動けなくて食べられなかった」

そう話すと、もう私にはそれ以上なにか言う言葉がなくなってしまう。所在ない会話では「アイゴー」というのが実に便利だ。私はしきりにアイゴーを繰り返してうなずくしかなかった。

ちょうど別のおばあちゃんがやってきて話しかける雰囲気だったので、その場を離れた。

エレベーターに乗って、しばし考える。私は、まるでボランティアでもするようなマインドでおばあちゃんに声をかけているようだ。自分事と切り離して。ところが、自分の人生の先にあのおばあちゃんの姿があるかもしれない、という考えが一瞬生々しく迫ってきた。
おばあちゃんだって四十年ほど前なら私よりも若々しく逞しく、ひたすら今を生きるのに必死だったはずだ。
いくつもの分かれ道のある人生の地図の、どこかの道の先が、あのおばあちゃんの姿につながる。

だからといって、何ができるわけでもない。韓国の高齢者福祉状況も、私はまったく無知だ。ますます老人ばかり増えるなかで、地域社会は、私は、どうなっていくのかなと漠然と思いを馳せるだけだ。

また明日も明後日も天気がよければおばあちゃんはポーチに座っているだろう。私は簡単に挨拶するだろう。ご近所づきあいのないこのマンションで。掛け捨ての保険のようなものに近い気持ちで。