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お義母さんの畑。

旧正月つながりで、田舎のことを少し書いておこう。

夫の実家の周りは、見渡す限り畑と山以外はなにもない。

いや、なにもないわけではない。隣りには家があり、その隣にかなり大きな牛舎がある。家の裏の道を挟んで向こう側に家が二軒。その隣の小高い丘には、以前は畑だった土地があり、その隅っこに義父のお墓がある。こんもり土を盛り上げただけで何の墓石もないお墓。畑は、以前はそのときどき作物が変わっていたが、今回行ってみたら人の背丈くらいの草がぼうぼうに茂って枯れていた。

風景を描写すればいろんなものがあるのに、都会育ちの私は、ことあるごとに「なにもないところ」と言ってしまう。おそらく夫の目には、私の目では捉えられないもっといろいろなものが見えているのだろう。
畑に突然しゃがみこんで、掘りはじめるナズナの芽とか。

夫はここで生まれ育った。義父は顔も覚えていないほど小さい頃に亡くなったそうだ。義母は女手一つで、主に農作業で生計を立ててきたという。

私が初めて実家に訪れたときにはすでに歩行が不自由だった義母が、せっせと畑仕事をしている姿を直接見たことはない。家の庭には小さいビニールハウスがあって、数年前はそこに白菜やエゴマがいつのまにか植えられて育っていた。杖にたよって一歩一歩をやっと歩く義母がどうやってその畑を耕し、農作物をつくるのかいつも不思議だった。

いまはビニールハウスは朽ちてぼろぼろになり、土も荒れ果てている。ただ、庭のあちこちに義母が何かしら植えたものがしぶとく育っていることもある。家の敷地の中庭はコンクリートで固められていて、畑といえるようなものはないけれど、隙間すきまに猫の額どころかネズミの額ほどの菜園があって、なんでここに!という場所にナスやネギが植えられていたりする。

去年の旧盆には療養病院の義母から「指令」がきて、ビニールハウスの裏のせまい隙間に生えていたアマドコロとツルニンジンの根っこを、夫がウンウン言いながら掘り出した。

今回の旧正月では、さすがにもうないだろうと思っていたが、
家の裏側にあったちいさな畑で、夫が発見した。
「…なんでここに大根が生えてるんだ」
草をひっぱってみると、かわいい大根がごろごろと出てきた。
おかしいなあ、去年ぜんぶ掘り出したのに。かあさん入院してから1年半はたってるからまた植えたはずはないのに。誰かが勝手に植えた?まさかね。夫はしきりに首を傾げたが、私に分かるわけがない。結論としては、以前植えた大根が種をつけてそれが実ったんだろう、ということで一人合点していた。

私はひそかに感動した。大根って、種からひとりでこんなに立派に育つんだ!
農作業を少しでもやったことのある人が聞いたら呆れかえるかもしれない。それくらい私は畑や作物についてまったく無知だ。

なんでお義母さんはこうあちこちに植えるのかね?と言うと、夫は、
「もったいないからだろ、空き地が」
と言った。

実家が本当に貧しかったことを、夫はよく語っていた。ただ、義母がどんなに苦労してきたかは、具体的に聞いたことはない。
残念ながら、義母から直接昔ばなしを聞くほどの関係性ではない。訛りが強いので最初は何を言っているのかさっぱりわからず、まともな会話ができなかった。田舎の人らしく口調がぶっきらぼうなので、コミュニケーションの齟齬で何度か傷ついたりもした。
今は療養病院にいるためなかなか会えないし、ますます会話の機会がないけど、以前よりは慣れて近しくはなっている。ただ、いまだに距離感がよくわからない。

土が空くのがもったいなくて、何かを植えずにはいられなかった義母の畑。

じつは、前々回書いた旧正月についての文で、(https://note.com/salmsori/n/n980ef50bda6a
「苦痛だったのは、いつなんどきでも白米を大量に炊いておき、三度の飯を食べさせようとすることだった」と書いてしまったことが胸に引っかかっていた。ちょっとことば足らずだったと。

義母がなぜそうしたのかは、頭では分かっている。そうせずにはいられない時代を生きた人だということを。
ただ、分かっていてもその場のムードを感情的に受け入れられるかどうかは別だったので、しかたがない。

裏の畑から収穫したかわいい大根は、自宅に持って帰ってキムチにした。

無農薬・自然育ちの大根、さぞかし美味いだろう!……と思ったが意外とそうでもなかった。というのがオチだ。
大根は甘みが少なくて、ちょっと苦辛かった。