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樋口円香についての解釈――【カラカラカラ】個別コミュ

 本稿ではpSSR【カラカラカラ】樋口円香のコミュについて記載していきます。以前の記事では主に樋口の価値観について【カラカラカラ】を基礎に解釈していきましたが、個別コミュについて記載を大きく追記したので新たに記事を作りました。
 【カラカラカラ】のネタバレなので未所持の方は読まないでおくことをお勧めします。

以前の記事はこちらです。

https://note.com/salmonster/n/n3347d400f651

前提

 樋口にとっては本音と建前が重要な要素であり、カード名に空や殻などの複数の意味が含まれています。
 同様に、それぞれのコミュもタイトルや内容に複数の意味が含まれており、建前と本音、プロデューサーの視点と樋口の視点といったように対比構造的に解釈していくことができます。

『ニガニガ』

 タイトルは、樋口の飲んだコーヒーが苦かった、プロデューサーが苦々しい思いをしたなどの意味だと考えられます。

1 建前における意味

(1) 選択肢前まで
 最初の場面では、プロデューサーのセリフとテレビ番組のセリフが交互に並ぶ場面が展開します。

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 この表現により、プレイヤーはプロデューサーがどこかに置いたコーヒーを探していて、見つけて、飲んだという一連の動きを理解できます。
 ただし、ここでは「探した」や「飲んだ」ことが直接的には明示されていません。プレイヤーがプロデューサーの動作を理解できたのは、プロデューサーのセリフとテレビ番組のセリフを材料にして解釈したからだということに注目すべきです。
 また、選択肢の後にもテレビのセリフが登場するので、冒頭部分はコミュの構造を分かりやすく伝えるための導入(チュートリアル)といえます。

 次に樋口が登場します。挨拶するプロデューサーに対し、樋口は「来た時にしましたけど」と返します。樋口が挨拶したという客観的事実があるかどうかは分かりませんが、プロデューサーがその事実を認識していなかったことが明らかにされています。
 その後、少しの会話が続いて、樋口がコーヒーを手にしたことに対するプロデューサーのセリフから選択肢が発生します。ここで重要なのは、選択肢後に流れるテレビ番組のセリフが全く同じでありながら、そこから連想される意味合いが違うという対比構造になっていることです。

(2) 「え?」
 この選択肢では、プロデューサーが飲んだのは樋口が飲んだコーヒーだということが分かり、プロデューサーがうろたえる様子が描かれています。なお、コーヒーが樋口のものであったという事実は選択肢で共通ですが、どの事実から、どのように明らかになるかという点が異なっています。
 今回は、プロデューサーのコップが別の場所にあった事実から、プロデューサーが慌てたことで明らかになりました。

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 ここでのテレビのセリフは、プロデューサーから見て、プロデューサーを揶揄する樋口の発言として捉えることができます。
 また、樋口は自分がコーヒーを飲んだかどうかには言及せず、「飲んでいません」というセリフでプロデューサーの発言を否定していますが、「あなたの後には」という情報を付加することで逆説的に最初に飲んだことが明らかになります。追加された情報によって意味合いが変わってきています。

(3)「俺の――」
 この選択肢では、樋口はコンビニでコーヒーを買っていて、バーコードにシールが貼ってあったという事実が開示されます。プロデューサーがシールに気づき、樋口がそれを見て察することで、間接キスしたことが明らかになりました。

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 ここでのテレビのセリフは、樋口から見て、樋口の感情を逆なでする第三者からの発言として捉えることができます。
 また、樋口がテレビに八つ当たりしてプロデューサーもこれに同調しようとすると、テレビをつけたのは樋口であったことが明らかになり、結果的にプロデューサーも樋口を非難するような格好になってしまっています。ここでも、追加された情報によって意味合いが変わってきています。

(4)「ま、円香!」
 この選択肢では、選択肢直前の樋口がコーヒーを手に取った事実のみから、プロデューサーは自分が間違えて飲んだことをいち早く察知し、飲んでしまったことを明かしたうえで代わりの飲み物を買ってくると切り出します。そのため、間接キスを明らかにするための新しい情報は開示されていません。
 しかし、樋口はコーヒーを全然おいしくないと感じていたことが明らかにされ、コーヒーではなく微糖のレモンティーを買ってくるように言います。

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 ここでのテレビのセリフは、樋口から見て、コーヒーの苦さについて述べているプロデューサーの発言として捉えることができます。

(5) 小括
 このコミュでは「プロデューサーがコーヒーを飲んだ」という事実について、関連する事実が開示されていくことで事実の解釈、意味合いが変化していく様子が描かれています。また、テレビ番組の同じセリフ(事実)であっても、明らかになった事実や前後のセリフによって意味合いが全く異なってしまうことも描かれています。
 つまり、事実が存在することそのものよりも、事実が認識されて解釈された結論が重要なのです。これは、樋口が建前を作るプロセスを表しています。

2 本音における意味

 このコミュでは、樋口はプロデューサーが飲んでいるコーヒーの銘柄やその銘柄を最近よく飲んでいること、机の上に置いていたことなどを把握しており、普段からよく観察していることがうかがわれます。
 プロデューサーが飲んでいるコーヒーが樋口にとってはおいしくないことは、樋口から見てプロデューサーは全く異質の人間であるということを樋口に理解させるものであるといえます。
 また、苦いものを受け入れられるかどうかという点から、プロデューサーはより大人的な存在で、樋口はより子供的な存在であることを示しているとも考えられます。
 つまり、このコミュは樋口がプロデューサーの内面に関心を持っていることを示しています。


『水、風、緑』

 タイトルは、コミュの舞台となった場所の周囲にあるものを指していて、景色を意味していると考えられます。
 もっとも、樋口にとってはそこに水が流れ、風が吹いていて、緑が生い茂っているという事実しか見えていないことも意味しています。樋口が事実の意味よりも事実そのものに着目しているところはsSR【閑話】でも描かれています。

1 建前における意味

(1) 選択肢前まで
 プロデューサーが樋口の考えてることを知ろうとする様子が描かれていますが、その質問の仕方は巧妙です。
 樋口が肯定しそうな質問から入り、その流れで樋口の内心に近いところを質問することで答えを引き出そうとしています。
 しかし樋口も防御が固く、当然のことには「言われずとも」と答え、今日はあたたかいという客観的なことには肯定しながらも、自然が心地いいというプロデューサーの評価については否定も肯定もせず、樋口の好きな季節(内心の一部である好み)についての質問には答えようとしません。

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 このように、樋口は客観的な事実については答えますが、自分の内心や他者の内心など主観的なことがらについては答えようとしません。
 その後、川沿いを歩く樋口が転びそうになり、選択肢が発生します。

(2) 「(腕を掴む)」
 この選択肢では、転びそうになった樋口の腕をプロデューサーが掴み、樋口の体に触れることになります。
 これに樋口は「離して」と言い放ちます。樋口としては、転びそうになったのを助けてもらったことよりも、プロデューサーが自分の体に触れてきた事実に意識を向けていて、触れてきたことを嫌がっています。女性としては当然の反応ではあるのですが、分かりやすく明確に拒絶の意思を示しています。
 その後の「あなたのおかげで」というセリフも、プロデューサーが助けてくれてよかったというよりは、結果的に助かっただけであまり嬉しくない、という皮肉の意味に感じられます。
 そして、樋口が再び転びそうになったため、プロデューサーが助けるために樋口の腰を掴むこととなって、樋口の嫌がる様子がより顕著に描かれることとなります。

 「助けた」とは悪いことが起こるのを防止したという意味で、悪いかどうか、防止したかどうかなどの事実の評価が含まれています。また、助けようとしたかどうかは人間の意思であり主観的な要素といえます。
 つまり、樋口は助けたいという内心や転ばなかったという結果よりも触れてきたという行動(事実そのもの)を重視しています。

(3) 「(手を伸ばす)」
 この選択肢では、樋口は足を滑らせただけで、足を濡らしただけで済んでいます。しかし、樋口が転びそうになったのにつられて、プロデューサーも川に足を濡らしてしまいます。つられて足を濡らしてしまったことに対して、樋口は怪訝な表情をしています。

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 この出来事は、樋口とプロデューサーが同じ状況に立ったことを意味していますが、樋口はサンダル、プロデューサーは革靴を履いていてその点が異なっています。サンダルは濡れても大丈夫ですが革靴はそうはいきません。水に濡れることの意味合いの大きさで言えば、プロデューサーの方がより深刻で大きいものといえます。それにもかかわらず、プロデューサーは自身のことよりも樋口のことを優先してタオルを探しにいきます。
 最後の樋口のセリフは、「自分のように足を滑らせるならサンダルを借りた方がいいのでは」という趣旨で、「私とプロデューサーは対等な状況(プロデューサーの方がより悪い状況)なのに、なぜプロデューサーは自分のことよりも私のことを優先するのか」という樋口の質問を意味していると考えられます。

 この選択肢では、プロデューサーは樋口を助けようと思っていましたが、プロデューサーが助けなくても樋口は転ばず(結果的に影響はほぼなかった)、かえってプロデューサーが濡れた(結果的に大きな影響を受けた)だけで、その思いが結果に結びついたわけではありません。ここでも、内心や結果よりも行動が重要であることを表しています。

(4) 「危ない!」
 この選択肢では、樋口は転んでしまい、プロデューサーはとっさに声が出ただけで助けることはできませんでしたが、立てるように手を貸します。すると、樋口の右足のサンダルが流されていることが判明します。プロデューサーは、自身が濡れることもいとわず川へ入っていき、流されているサンダルを拾うことに成功します。
 この選択肢では、他の選択肢と違って樋口はプロデューサーに感謝を述べます。サンダルはスタッフから借りたものでしたが、だからこそ、拾えたことで他人に迷惑をかけずに済むことになりました。それはプロデューサーの行動によって実現されたものです。
 その後、水に落ちる音とともにプロデューサーが川の中で転んだ様子が描かれてこのコミュは終わります。結果として全身ずぶぬれになったのは想像に難くありませんが、それは描かれていません。
 ここでも、内心や結果よりも行動が重要だということが表されています。

(5) 小括
 このコミュでは、樋口は人間の内心や行動の結果よりも行動そのものを重視していることが描かれています。
 内心は主観的なものなので樋口が重視しないのはうなずけるのですが、結果と行動は客観的な事実です。ここでの違いは、行動は人間の内心が出力されたものだということです。

 つまり、樋口は、行動に注目することで他者の内心を知ろうとしています。他者の内心は客観的には分からず、樋口は建前の上では内心を考慮していませんが、他人の内心に関心を持っています。
 もっとも、ここでの関心は、他者が自分に対してどのような影響を与えてくるか、という建前を作る観点からの関心であり、相手の内心を暴きたいというほどのものではありません。

 また、樋口は体に触れられることを嫌がっていました。身体が内心の一番外側であると考えると、樋口にとっては他者が内心に触れてくるのはそれが一番外側であろうと嫌なことで、触れようとするだけでも嫌なことだ、ということを意味しています。
 これは、他者が樋口の内心に触れようとする行動によって、内心を暴きたいという意思を持っているのではないかと樋口が考えるからだといえます。

2 本音における意味

 「(手を伸ばす)」では、樋口は「私を優先するのはなぜか」という質問を遠回しに伝えています。これを踏まえると、「(腕を掴む)」で二度目に転ぶ直前に言いかけたセリフは、「プロデューサーに助けてもらう理由はない」ということを言おうとしていたのだと考えられます。
 樋口はプロデューサーの内心に興味を持つとともに、その行動が樋口の利益に向けられていることに気が付き、その理由を疑問に思っているのです。ここでは、樋口が自身の内心や価値について良いイメージを持っていないことが暗に示されています。


『掴もうとして』

 タイトルは、プロデューサーが樋口の考えを理解しようとあれこれ行動していることを「掴もうとして」と表現しています。
 一向に理解できない状況を意味する「掴もうとして掴めない」ことと、プロデューサーの行動を見た樋口の行動によって「掴もうとして(それによって)掴めそうになった」ことを意味しています。
 そして、樋口がプロデューサーの本心を試している様子から、樋口が「掴もうとして」いることも意味しています。

1 建前における意味

(1) 選択肢前まで
 
このコミュでは、樋口を気にかけてスケジュールの確認やレッスンの様子を見に来るプロデューサーと、そうした気遣いを拒絶するかのような樋口のやりとりが描かれていきます。撮影後、レッスン後、打ち合わせ後など、複数日に渡って繰り広げられていきますが、樋口は変わらず突き放すような淡泊な返しをしていきます。プロデューサーの努力や気遣いがむなしく思えてきます。
 そんなあるとき、樋口が今までになく優しく語りかけてきます。

 しかし、プロデューサーが目を覚ましたことで自分は今まで眠っていたことがわかり、先ほどの樋口の語りかけは夢の中での出来事のように思われてきます。目覚めたところから選択肢が発生します。

(2) 「水でも飲もう」
 この選択肢では、プロデューサーは水を飲もうとキッチンに行きますが、そこでコップを割ってしまいます。プロデューサーにとっては、自身の無力感に対してさらに追い打ちをかけられたようなもので、精神的にかなり辛い出来事に思えます。

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 しかし、コップは水をいれる容器であり、容器は空間(空)があるからこそ物が入ることからすると、コップは樋口の建前(殻)の比喩だと考えられます。
 空のコップが割れる描写は、樋口と分かり合おうと苦心するプロデューサーに対して樋口が本音を覗かせたことを暗示しています。
 つまり、樋口が毛布をかけた一連の出来事が事実であることを思わせます。

(3) 「……今、何時?」
 この選択肢では、樋口からの連絡で、翌日の仕事のための地図を送ることになります。送信するとすぐに既読が付き、樋口からの返事が返ってきます。
 この返事は夢と同じセリフであるとともに、プロデューサーが寝ていたことを樋口が知っていたことを意味します。しかし、これは毛布をかけたのが事実であることを強調させますが、依然として夢と解釈することも否定できません。

(4) 「今日はもう帰ろう」
 
この選択肢では、地図を送ることを自分で思い出して、樋口に送ります。ここでも夢と同じセリフが返ってきますが、文字だけでのやりとりであるため、その意味合いはプロデューサーを非難する内容とも取れます。毛布をかけたのが夢とも事実とも解釈できる点は同様ですが、こちらは事実であることをやや否定する趣旨だと感じられます。

(5) 小括
 このコミュでは、樋口が毛布をかけたという事実があるかどうかは誰も見ておらず、プレイヤーにも分かりません。しかし、これは裏を返せば樋口の内心に触れようとする者がいないこととなり、樋口が建前を使う理由がないことを意味しています。
 つまり、樋口がかけていないとすれば、樋口の建前の前に取り付く島もないプロデューサーの徒労と無力感が描かれていることになりますが、かけたとすれば、樋口はプロデューサーの行動に対してある程度の好感や良い評価を抱いていることが描かれているといえます。

2 本音における意味

 樋口はプロデューサーの働きかけを全て拒絶しています。しかし、プロデューサーの行動が樋口を気遣ってのものだということを理解していながら、あえて遠ざけるような行動をとっています。
 前2つのコミュによって、樋口はプロデューサーの内心に興味を持ち、プロデューサーの行動が樋口の利益に向けられていることを知っています。このコミュでは、その行動を何度も確認することでプロデューサーの本心を試して、確かめています。
 つまり、樋口はプロデューサーの行動を信頼したうえで、本当に信頼するに足る存在かを確認しているのです。特に、プロデューサーの内心について証明しようとしています。
 プロデューサーの行動を一定程度信頼していることによる気遣いや、テストを放り投げられないようにケアをしているという理由から説明できるように、樋口が試すような行動をしていることは、毛布をかけたことや優しい口調で語りかけたことが事実だということと整合します。
 もっとも、樋口の優しさは、仕事中に寝るようなプロデューサーの弱みを見つけたことへの喜びと捉えることもできます。これは毛布をかけたこととは整合しずらいですが、樋口がかけた事実そのものが不明なので成り立ち得ます。この時点では、樋口はプロデューサーの善性を証明しようとしているのか、悪性を証明しようとしているのかが定かではありません。


手すりの錆』

 タイトルは、樋口がもたれかかっている手すりが錆びていることから取られていると考えられます。
 もっとも、その意味するところはかなり比喩的で、樋口の建前や内心について表現したものと考えられます。

1 建前における意味

 プロデューサーは、樋口の行動を通して、理由は分からなくても少なくともアイドルを続ける気はあることを感じています。他に判断材料がないことが理由ではありますが、結果的にプロデューサーも樋口と同じように、客観的事実から判断するようになってきています。
 そして、今までのプロデューサーは樋口の本心を理解しようとするために、自分が正しいと思ったことを闇雲に行ってきましたが、それでは樋口の内心を引き出せませんでした。そこで、意を決して樋口の建前と対峙します。
 サインの出来が良かったことをほめるという建前で樋口と会い、会話していきます。樋口がどう思ってアイドルをしているのかを直接聞くことはありませんが、外堀を埋めるようにして聞いていきます。樋口のように言葉を選び、受け答えで一進一退しながらも、樋口の建前の内側に迫っていくプロデューサーはまさに食えない男です。
 しかし、樋口と対等に話したいというプロデューサーの発言から、話の流れが変わっていきます。

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 プロデューサーが樋口たち幼馴染の関係に近づきたいと言おうとした瞬間に、樋口がそれを遮り、プロデューサーは発言を訂正します。
 これはプロデューサーが樋口の地雷を見分けて回避できるようになっただけで、建前を完全に理解しているわけではないことを表しています。もっとも、樋口には伝わっていませんが、樋口の地雷を回避するには樋口の建前のような発想が必要になるので、その点でプロデューサーの理解が深まっていることもいえると思います。
 この少し後で樋口は一瞬笑顔を見せますが、これはプロデューサーが樋口を理解できつつあることへの表情ではないと考えられます。

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 プロデューサーは樋口のことを考え、互いに理解しあえるようになりたいと考えていますが、現状では地雷を回避できるようになっただけで建前は理解しきれていません。樋口の表情は、プロデューサーが自分のために行動してくれる一方で、依然としてプロデューサーの理解が樋口から遠いことへの表情だと考えられます。
 つまり、自分の価値を証明しようとしてくれる人間がいる喜びと、その人間に自分の内心が暴かれていないという安心感からの表情だと考えられます。

 その後、プロデューサーは幼馴染について言及し、樋口もこれに答えていきます。樋口は、好きとか嫌いという自分の感情よりも、一緒にいるのが当たり前という事実を見ていることを述べています。
 また、アイドルをしていれば一緒にいられるもんな、とプロデューサーが述べたのに対して、否定とも肯定とも取れない返事をしました。プロデューサーの問い、カットインの後にこのセリフが述べられていて、明言はしないもののかなり否定的なニュアンスが感じられます。つまり、逆説的に幼馴染と一緒に居続けたいと思っているわけでないことを意味しています。

 しかし、これ以上の会話は自分の内心に及ぶと判断したのか、樋口は会話を切り上げて帰ってしまいます。プロデューサーは未だに樋口を掴みかねていると感じたのか、ため息をもらしてコミュが終わります。

 プロデューサーは依然として樋口の内心を理解しきれていない状況ですが、樋口としては、この時点ではこれぐらいの距離感がちょうどいいと考えていると思われます。プロデューサーの行動が理解できた程度に応じて、その限度で信頼しています。
 直接的には明言しませんでしたが、幼馴染との関係が自分の内心と関係していることを表したのは、現時点での距離感に対応した信頼の表れだといえます。

2 本音における意味

 錆は金属を覆うもので、古くなったものの象徴であり、手すりは上へと登る支えを象徴しています。
 樋口にとっては、自らを硬く覆う建前を利用することが上昇や成長の支えでした。それが錆びて古いものとなっていることは、古い殻を脱ぎ捨てて、更に成長する時が近づいていることを表していると考えられます。

 樋口の幼馴染への言及は、幼馴染との関係は永遠ではないこと、居心地のいい安らぎを感じる好きな関係でありながら、自らを縛る足かせのような嫌いな存在だと考えていることを示しています。
 好きや嫌いといった内心だけで自分たちの関係という事実が変わるわけではなく、関係が変わるのは実際に何かが動き出した時です。樋口たちにとっては、浅倉がアイドルとして走り出した時がまさにその時でした。
 そして、樋口もまた浅倉を追いかけるように走り出しました。走り出したことに理由はなくても、走っていることで何かが変わるのではないかという漠然とした思いが樋口にはあるのだと思います。


True End『エンジン』

 仕事後の帰りの車内を舞台に会話が展開していきます。W.I.N.G.優勝という事実でプロデューサーと樋口の行動の正しさがある程度証明されたためか、二人の会話からは今までよりも強い信頼関係が見えます。二人のセリフ回しがとても面白いコミュだと思います。
 タイトルは、機関としての「エンジン(engine)」とプロデューサーを表す「厭人(厭な人)」を意味していると考えられます。

1 建前としての意味

 プロデューサーから、樋口がプロデューサー以外の人には普通の対応をしていることを指摘されると、中身のない雑談に適当な相槌を打っていただけだ、と返します。
 樋口にとっては対応したという事実と、それによって(実際はそう思っていなくても)ある程度の社交性を外部に示すことが重要であり、その中身はあまり重要でないのです。

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 プロデューサーが絶句している印象的な(おもしろい)シーンです。プロデューサーからは自分に対する対応しか見ることができないので、ある意味当然の反応です。
 続けて、プロデューサーへの対応について樋口が内心の一部を明らかにします。

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 確かに初対面の時の樋口の厳しさは警戒感によるものでしたが、現在の厳しさはプロデューサーの正しさを客観的に証明し、それまでは自分が受け入れられる以上に近づかれないための厳しさです。
 これを受けてプロデューサーは、自分が樋口の価値を証明すべく行動していることを言葉によって伝えようとします。言葉は内心を完全に伝えるには不十分ですが、様々な角度から伝えることによって伝えたい内心が浮かび上がってきます。

 そして、樋口はプロデューサーがなぜ樋口のために行動しているのか、つまり、プロデューサーから見た樋口の価値がどれほどなのかを問おうとしますが、結局は答えを聞くことを拒否します。
 プロデューサーから答えを聞いたところで、樋口が答えから目を逸らさず、きちんと認識できなければ樋口にとっては無意味であり、樋口自身もそれに気が付いています。樋口は、プロデューサーの正しさが客観的に証明できた度合いに応じて、プロデューサーを受け入れていこうと考えています。
 ここでも、自分の内心よりも客観的な事実に目を向けています。自分が本心から信頼していることよりも、客観的に信頼するに足ることを重視しています。
 樋口は、自分の価値は分からないし内心も信用できない、自分が空っぽの存在なのだという不安を抱いています。

 そして、答えを言うか言わないかという問答が続いて、最後のセリフにつながります。

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 樋口を象徴する印象的なセリフです。
 最終的にどこまで信頼できるかは証明の結果次第ですが、少なくともプロデューサーが行動で示しつつける限り、樋口はプロデューサーを信頼しています。

 このコミュは、樋口とプロデューサーとの関係が樋口の成長の原動力(エンジン)として動き始めたことを表しています。

2 本音における意味 

 人間と動物を隔てるものが理性や知性などの精神活動、つまり人間性であるとするならば、樋口が内心よりも客観的な要素を解釈することで行動したいと考えていることは、言い換えれば人間を嫌がっているといえます。
 気持ちや考え方の良しあしを重視し、W.I.N.G.優勝後も依然として樋口の内心を知ろうとして、樋口の内心や価値を樋口自身に認識させようとしてくるプロデューサーは極めて人間性の高い人間です。
 すなわち、『エンジン』とはプロデューサーという厭な人を指す「厭人」という造語なのではないかとも考えられます。
 プロデューサーが善性であろうと、既存の建前を破壊して新たな価値観を創造するためのプロデューサーの干渉は、必要なものでありながら不快なものでもあります。プロデューサーが悪性ならばなおさらです。どちらにせよプロデューサーは嫌厭の対象なのです。


結び

 以上が、私なりの個別コミュの解釈です。樋口の不安については感謝祭編でも取り上げられましたが、問題提起がなされただけでそれが解決されるかどうかは描かれませんでした。G.R.A.D.編や今後の追加カードがとても楽しみなところです。
 樋口は難解なところが多く、見えない部分も多いため解釈の余地が多く残されていて、とても奥深く魅力的なキャラクターだと思います。他の解釈や意見なども気になるところです。
 この記事により、みなさんのシャニマスライフがより良くなるよう祈っています。

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