2024.4.26 70年前の日本で電気料金の7割値上げを断行した男
吉田茂総理「日本を復活させることができるのは松永安左エ門さん、貴方しかいません」
終戦直後、日本は焼け野原となり、ボロボロの状態でした。
中でも、電力不足は深刻な問題になっていました。
戦中に発電所を爆撃され、従業員の多くは戦死してしまったことにより、各地で停電が多発していました。
そんな時、政府は『電力の帝王』の異名を持つ一人の男に声を掛けました。
その男こそ松永安左エ門。
安左エ門は戦前に小さな電力会社を設立し、日本一の企業にした生粋の実業家でした。
その企業は北海道を除く日本の全電力を支配したことから、電気業界のカリスマと称賛され、『電力の帝王』の異名を持っていたのです。
そんな安左エ門は第二次世界大戦が勃発したことで前線を退き、小田原の田舎町で隠居生活を送っていました。
しかし、戦後、日本が焼け野原になり成す術もなく絶望した政府は、藁にも縋る思いで安左エ門に助けを求めたのでした。
「どうせ私の命もせいぜいあと10年くらいのものだ。残りの時間は何としても日本の復興に使いたいんだ」
「このままじゃ日本は焼け野原から復活できない。しかし、電気さえあれば、真面目で勤勉な日本人なら再び産業を興し、もう一度復活することができる!」
「戦争はまだ終わったわけではない、儂は今からアメリカと経済戦争をする!」
『電力の帝王』と呼ばれた伝説のカリスマは再び前線に舞い戻り、
「電気の力で戦後日本を賦活させる」
という、日本国家の命運を背負った一世一代の挑戦が幕を開けました。
このとき、安左エ門は74歳でした。
これは、9割の日本人が知らない、戦後日本の復興を陰で支えた偉人の物語です。
この偉人の行動と、その行動の元にある考え方を読み解くことで、衰退を続ける平成以降の日本が失ってしまった“大切なもの”を取り戻すことができます。
そして、この“大切なもの”の正体を突き止めることで、平成以降の日本が衰退した本当の原因を突き止めることができるのです。
では、その“大切なもの”とは一体何か?
その答えは、松永安左エ門が戦後日本を復活させるために行った“ある奇策”に隠されていました。
知られざる松永安左エ門の戦い
「電気料金を7割値上げする」
時の総理大臣、吉田茂の命により、電気事業再編成審議会の委員長に就任した安左エ門は、ボロボロになった日本の電力を供給し、復興を後押しするために前代未聞の奇策を実行しようとしていました。
それは、当時の電気料金から7割もの値上げを断行することでした。
一体なぜ、そんなことする必要があったのか?
それは、当時、急激な電力需要の上昇に伴い、燃料の石炭が需要に追い付かなくなっているのに、電力会社の経営状態が悪く、発電設備も乏しかったからです…。
そこで、安左エ門は、
「焼け野原からの復興は、あらゆる産業を陰で支える電力の安定的供給なしにはあり得ない」
「電力を安定的に供給できるようにするために、電力会社の設備を良くしないといけない。そのためには、電気料金の値上げが必要不可欠である」
と訴えたのです。
しかし、こんな奇策を国民が受け入れるわけがありません…。
「電気料金を7割も値上げする?!そんなの無理に決まってるだろ!」
「私たちを殺す気か!」
「頭がおかしくなっちまったのか、このじーさんは」
国民からは、このように罵倒を浴びせられ、労働組合は大会を開き、安左エ門委員長の更迭を要求しました。
更に産業界や労働組合だけでなく、政府の内部からも反対の声が出てくる始末でした…。
安左エ門は、この時『電力の鬼』と呼ばれ、日本中の敵として吊るし上げられました。
しかし、どんなに批判されても安左エ門はめげませんでした。
「自分一人が悪役になることで日本を救えるなら、喜んでその役目を引き受けようじゃないか」
「私は商売をして儲けようとは思っていない。国を儲けさせて国民全部に良い生活をしてもらいたいだけなんだ!」
そのように言い、国民が豊かな生活が送れるように、“いかに社会に貢献するかを重んじた顧客最優先の姿勢が大事”という考えの下、毎日毎日老体に鞭を打ち、政府内部、諮問会議にまで赴き交渉を続けました。
しかし、何度お願いしても、誰もこの政策を実行することに対して首を縦には振りませんでした。
それもそのはず、電気代を7割も上げるなんて言う暴挙を実行してしまうと、電気代を払えない国民が増えて生活が崩壊し、国が滅んでしまう可能性すらあったからです。
毎日の交渉活動を精力活動を精力的に行う安左エ門でしたが、足が縺れ、倒れることがしょっちゅうになっていました。
何としてもやり遂げるという強い意志に反して、74歳という年老いた体が言うことを聞かなくなっていたのです。
「もうダメなのか…」
いつも強気で周りを圧倒する安左エ門の不屈の精神も、遂に折れかけていたその時、安左エ門の胸の中に、今は亡き恩師の姿が浮かびました。
その恩師とは、日本中の誰もが知る歴史的偉人でした。
安左エ門は若い頃、この恩師に、
「日本を再び強い独立国にしなければならない!」
と叩き込まれたことを思い出し、自分の心をもう一度奮い立たせました…。
そうして必死に行動していた時、一人の政府内部の人物から連絡がありました。
それは、当時の大蔵大臣だった池田勇人でした。
「安左エ門さん、貴方の言う通りにしたら日本は良くなるんですね」
「分かりました。貴方の案で行きましょう」
池田は情熱溢れる安左エ門の想いと実直な姿勢に感銘を受け、政府の重要人物に掛け合ってくれたのです。
そして、この奇策は2段階の引き上げという形で、遂に実現することとなります…。
しかし、本当の勝負はここからでした…。
安左エ門に待ち受けていた次なる危機
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