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2023.8.12 習近平の学歴コンプレックス

貴方は、中国の富裕層の多くが今、中国を脱出して海外移住しているのをご存知でしょうか?

理由は、習近平政権への不満。

不動産バブルの崩壊やゼロコロナ政策…。
勢いが止まらない習近平の独裁に、国民の不満が爆発し始めたというわけです。

表現の規制が厳しいはずの国内では、
「習近平は裸の皇帝だ」
「彼はIQが低い」
といった声も上がり始めています。

一体なぜ、習近平は“裸の皇帝”になってしまったのか?

今回は、“習近平の生い立ち”と合わせて、少し書いていこうと思います。


毛沢東の秘書が暴露「彼は小学生博士」

習近平は、“小学生博士”と言われています。

これは、
「博士学位は確かに持っているが、彼の知的レベルは小学生程度だ」
ということです。

この“小学生程度の知的レベル”というのは、実は毛沢東の秘書を長く勤めていたエイという人物が、ボイス・オブ・アメリカのインタビューの中で習近平の話をしました。

習近平が地方の指導者として赴任した後、李鋭は彼の上司として視察しに行ったりしたわけです。

2019年、インタビューを受けた李鋭は、
「習近平のレベルというのは小学生以下だよ。何の中身もない」
という風にコメントしました。

直接、彼の上司として観察してきた人物が、アメリカの媒体であるボイス・オブ・アメリカでそう語ったのです。

習近平が、真面まともな教育を受けたのは小学生までだったということです。

農村に飛ばされた過去と奇跡的な出世

文化大革命の頃、中国には農村で肉体労働させ思想改造をする『下放』という政策がありました。

習近平は12歳の頃に、この下放を経験。

山西省という田舎に送られたのですが、彼はそれが我慢できず、一度だけ北京の自宅に逃げて帰ってきたのです。

それで自分の母親に警察へ密告され捕まってしまい、送り返されました。

彼はそれから10年間、送り返された田舎でずっと農作業をしていました。

その後、22歳の時に彼は、それなりの地位があった父の習仲勲チュウクンのコネで、清華大学に推薦されました。

清華大学は、中国の中でも名門大学です。
大学へ入学後、化学部に所属した習近平。

中学校さえ真面に入ったことのない人間が、いきなり一流大学の化学部に入っても勉強できるはずがありません。

文化大革命が終わったのは1976年ですが、革命後も大学内は物凄く荒廃していました。

ですから、彼は数年間、大学で学んだにもかかわらず、本当に勉強らしい勉強を何一つしなかったのです。

それから彼は、最終的に福建省の省長にまでなりましたが、最初は福建省の厦門アモイ市にいました。

福建省の在任中に、清華大学の博士学位を取ったのですが、その博士学位は何と法学なのです。

その法学の博士論文というのは、厦門のある女性教授が書いてくれました。

しかも、福建省から北京にある清華大学までは千数百kmあります。

千数百kmを毎日通える時間があったとは、とても思えません。

博士論文は他人が書き、通えない距離なのに無理やり通おうとする…。

これは彼の“物凄く大きい学歴コンプレックス”を表しています。

実際、政治家になるために博士学位など要りません。

しかし彼は、どうしてもこの学位が欲しいということで、非常にこだわっていたわけです。

なぜなら、彼はそもそも大学レベルではなく、中身の無い人間なので、人に見せられるものが必要なのです。

エリザベス女王「非常に無礼」

もう一つ、なぜ彼がコンプレックスの塊と言えるかというと、彼が欧米諸国に行って演説をする際、
「俺はこの本も、この本も、この本も全部読んだ」
と言うのです。

例えば、フランスに行けば演説の冒頭で、
「私はモンテスキューも読んだ。ヴォルテールも読んだ。パトンも読んだ。ユーゴーも読んだ。ロマン・ロランも読んだ」
と、フランスの作家の名前を最初からずらっと並べ立てたのです。

ですから、もし彼が来日することがあれば、きっと、
「私は『万葉集』も、『源氏物語』 も、『徒然草』も、『1Q84』も…」
と、書名を20分近く並べ立てるのではないかと…(笑)

しかし、彼はそれを言わないと
「自分がこれほど本を読んでいるのを皆誰も知らない」
と心配になってしまうのです。

「自分は知識がない人間ではない」
と言いたいのです。

しかも、国外だけではありません。
中国国内でもそうなのです。

国内で演説したときは、その本の表紙さえも見たことがないのに、112人の人間と代表作の名前を読み上げました。

昨年崩御されたイギリスの女王陛下エリザベス2世が、或る時マイクを消し忘れて、
「あの人はrudeルードだ。あの人は無礼な人間ね」
と、言ったことがありましたが、それは正に、習近平が議会の宴会で演説した直後なのです。

その演説でも、
「チャールズ・ディケンズの本も読んだし、バーナード・ショーの本も読んだし…」
と言っていたわけです。

そのような中身のない態度をとったことで、女王陛下にも呆れられてしまったのです。

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