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2023.1.2 日本人だけが持つ『美しさ』とは

日本の宝。
これは間違いなく、私たち日本人が持っている歴史と言語や言葉、四季折々の自然、郷土、文化そのものです。

日本ほど北から南まで、色々な景色が見ることができて美しいと思える国というのは他にはないと思っています。

しかも、文化が豊かです。
これは、徳川260年の幕藩体制の賜物ですが、県を超えれば言葉が違って、食べ物が少し違ったり、味付けが違ったり、色々なお祭りがあったり、しかも歴史の古いものがあったりします。

それにもかかわらず、日本人全体が、北海道の人であれ沖縄の人であれ、何となく日本人だというだけで、同じ意識でパッと固まって動けて協力し合えるのです。

しかし、中国人を見てると、例えば、上海に住む友人を北京の友人に紹介しても、まるで赤の他人のような感じなのです。

「ああ、そうですか」
という感じです。

ところが、新疆ウイグルに行った時に、私と一緒に現地に行った陝西せんせい省出身の人たちが、中国領土内のウイグルで同郷出身の人と会った時の喜び方というのは凄かったのです。

抱き合い、人目も気にせず大声で喜ぶのです。

さすがに日本国内では、仮に新潟や奈良の人が沖縄へ行って、同じ県在住の人に会っても、抱き合ってまで喜んだりはしませんよね。

でも、例えばイギリスに行って日本人同士が会ったら、
「おお!」
となるではないですか。

イギリスなら日本人も多いかもしれませんが、イギリスに比べて日本人がいないとような東欧などで日本人に会ったら、
「おお、日本人ですか」
となるものです。

しかし、中国人というのは、同じ中国人に会っても知らないふりなのです。

ところが、同じ国内でも少し離れた国内で同郷の人に会うと、大声で喜んでいるのを見ていると、これは国単位でしかないのだなと思ったのです。

だから、愛国教育とか色々と、たくさん強制的に国民に詰め込んでいかないと駄目なのでしょう。

彼らは、愛郷心はあるけれども、愛国心というものは、それほど無いのかもしれません。

つまり、中国人の愛国心というのは、かなり作られたものだと私自身思っていますが、日本人は日本人というだけで、まだまだ結束力があるのです。

こうやって、
「愛国心、愛国心」
と言おうが言うまいが、日本人は身の中に愛国心を持っているのです。

『愛国心』という言葉自体も、少し手垢が付いているような言い方に聞こえます。

けれど、要するに愛郷心、つまり郷土と国というものが恐らくイコールになっているのです。

私が中国で感じたのは、中国人というのは、郷土と国があまり結び付いていなかったという気がしたのです。

その辺りで、中国人には無いものを持った日本人は、やはり違うのだと思います。

韓国であっても、個人的な経験からすれば、ソウル出身の人と農村部といった少し貧しいと言われる地域やその昔、反体制運動が多かったような光州や木浦もっぽといった所の人たちとでは少し態度が違い、ソウルの人たちは少し見下しているところがあるという話を聞いたことがあります。

恐らく今の日本では、別にそこまでのことはありません。

例えば、鹿児島から来た人に、大阪の人が何か見下すなんてことはしないですよね。

「あっ、鹿児島なんですか?」
みたいな話になるはずです。

こういう共通の感性が、誰かから教えられたわけでもないのに持っているというのは、やはり日本は、そういった意味でも強い国なのです。

強い国だったからこそ、戦後、GHQがどんどん弱体化させようとして、色々な楔を打ち込み、マスコミや教育界を通じて打ち込み続けてきた結果、
今に至りますが、それでもまだ完全には壊れていないのです。

ここまで自然が美しく、雪山もあれば、南海のビーチもあり、しかもどこへ行っても水が豊富にあり綺麗です。

日本のようなは中々ありません。

大陸ではあっても、オーストラリアは凄く水不足で、シャワーなども5分ぐらいしか浴びることができませんし、芝生への水やり禁止令も出るくらいですし、中国は本当に水が汚く、生水など絶対に飲めません。

そうやって他国との違いを見ると、日本は本当に良い国です。

そんな美しさの中で、それを自分の精神生活、日常生活の一部として粛々と
暮らしているのが、やはり日本人が持っている『美しさ』なのだと、私は思っています。

最後までお読み頂きまして有り難うございました。

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