2021.10.25 100年前の大事件から紐解く小室(KK)問題の黒幕たち
もし皆さんが、明日に結婚会見を控える、眞子内親王殿下と小室圭さんの婚約騒動について…。
「なんで小室圭なんかと結婚するんだ!」
「なぜ宮内庁はもっと事前に調べておかなかったんだ…」
「今後の皇室が心配…」
と感じられているなら、もしかしたら、メディアの一方的な報道に操られているかもしれません…。
なぜなら、100年前の皇室にも現在の婚約騒動と同じような事件が起きていて、その裏には、私たちが絶対知らされない政治利用があったからです。
今回はまず、その100年前に起きた重大事件について書いていきます。
最後までご覧頂ければ、現在起きている婚約騒動の見方が少し変わるかもしれません。
時は1920年夏。
ある1通の知らせが皇室内部を揺れ動かしていた。
「こんな事実が他の者に知れたら…皇室は終わりだ…」
当時陸軍トップを務め、元老でもあった山縣有朋は1人頭を悩ませていた。
「陛下(昭和天皇)の婚約者、良子女王に色覚異常の遺伝子が見つかった」
山縣は事の重大さを誰よりもよく分かっていた。
「もし今後、陛下のご子息、つまり後の天皇陛下に『色覚異常』という目の障害が出てしまえばどうなることか…」
「陛下は、日本の陸軍・海軍を統率する『大元帥』のお立場…」
「しかし、色覚異常を持つ者は軍人になれない…」
「つまり、次にお生まれになる天皇が色覚異常ならば、『軍人になれない者が軍隊を率いる』という矛盾を抱えてしまう…」
彼の頭の中は、このような最悪の未来でいっぱいであった…。
さらに心配事はこれだけではない。
山縣の心配の裏には、当時の世界情勢もあった。
当時、世界を見渡すと、明治末期から世界で次々と君主制の国家が消滅。
日本のお隣の中国は辛亥革命により崩壊し、ロシアも革命によりニコライ2世は処刑。
ドイツも革命により、皇帝のヴィルヘルム2世は亡命。
このように世界各国で、君主制の雲行きが怪しく、次は「日本なのではないか」という恐怖が山縣を襲っていた。
「このまま、日本を亡国にするわけにはいかん…」
「このご結婚を破談させる」
そうして、山縣は動き出した。
早速、良子女王の父、久邇宮邦彦王の元へ向かった。
緊張した面持ちで、山縣は口を開く。
「良子女王に色覚異常の遺伝子が見つかりました。このままでは、お生まれになる次期天皇にも色覚異常が起きるかも知れない」
「その次も、その次の天皇にも色覚異常があるかも知れない。今回のご婚約はご辞退して頂きたい」
少しの間も空けずに邦彦王が口を開いた。
「お前の発言は娘を傷つけ、傷ものにしたのと同じだ!」
邦彦王は山縣の言葉を聞き、憤慨し、猛反発した。
昭和天皇と良子女王のご結婚は3年も前から決まっていたこと。
さらに、婚約を発表しておきながら、これを取り消されたなら、女性にとっては大きなダメージである。
良子女王は恥ずかしくて、外も歩けなくなってしまうだろうし、何より久邇宮のメンツは丸つぶれ…。
邦彦王の反発は当たり前のことであった。そして、山縣に向かって言葉を続けた。
「結婚は、天皇陛下(大正天皇)がお決めになったことだ」
「天皇が一度決めたことを、後になって取り消すことなどできない。天皇の権威に関わるではないか。」
「綸言汗の如し。天皇の言葉は汗と同じなのだから、一度出たら引っ込むべきではない。久邇宮家が軽々しく辞退すれば、何が起こるか?逆に世間を騒がせてしまうではないか」
「あらぬ噂が立って、皇室に迷惑をかけてしまうかもしれない」
それでも山縣は、決して引き下がろうとはしない。続けて、邦彦王に婚約辞退を促した。
「それでも、今回は引き下がって頂きたい!」
「お世継ぎに、もしものことがあってはいけない。意見書では、色盲因子は遺伝するので男子に色盲・色弱が出る可能性がある。お世継ぎにもしものことがあったら大変だ」
「一度、婚約の内定が出たとしても、皇室の血統に傷をつけるようなことがあってはならない」
「色覚異常のお子様が生まれたら、皇室に迷惑をかけてしまうではないか」
その後も山縣、邦彦王の両者は譲らず、皇室の血統を守りたい山縣と娘を守りたい邦彦王…。
皇室を想う純粋な気持ちが生んだ相反する正義の衝突…。
このまま、二人の議論は続き、永遠に終わらないかに思われた…。
しかし、半年以上も平行線を辿ったこの議論は、ある日突然終わりを迎えることになる。
昭和天皇と良子女王の結婚が正式に確定したのだった。
但し、ここにはおかしな点が残っていた。
それは、あれほど必死で結婚を止めようとした山縣が、あっさりと意見を変え、結婚を認めたことである。なぜ、山縣はこの結婚を認めることになったのだろうか?
実は、この100年前の結婚問題は、
「昭和天皇の婚約者、良子女王に色覚異常が発覚して賛成・反対に分かれたが、何とか結婚した」
という単純な話では終わっていなかった…。
この時、山縣が結婚を認めたのには理由があった。
まず、突然、山縣有朋を国賊かのように扱う“怪文書”が出回り始めた。
「3年も前に決まった婚約を色覚異常ごときで破棄させるとは何たることか、その謀略を裏で操っているのが山縣有朋だ」
このような怪文書が、貴族院議員や新聞社など様々なところへ何者かにより送られ、本来、秘密裏に議論されていたこの結婚騒動が、いつの間にか日本全体へ広がる大問題となってしまっていた。
「山縣を許すな!」
「裕仁親王のご結婚を認めろ!」
と、騒動は明治神宮での3000人以上のデモにまで発展。
遂に山縣は、婚約を認めざるを得なくなり、最終的に、昭和天皇と良子女王は結婚に至った…。
さらに、この事件には不可解な点がまだまだ数多く残っている。
当時首相で、婚約解消派だった原敬は、昭和天皇の婚約が決定した後の1921年11月に暗殺。
その裏には、原敬と久邇宮邦彦王のある対立があったという…。
この事件後、山縣有朋の権力は失墜。
山縣系の政治家は辞職。
原敬の暗殺の知らせを聞いた山縣は、心労からの病気、そして死亡…。
山縣の『国民葬』は、1ヶ月前に病没した大隈重信の多数の民衆が集まった『国民葬』と比較すると、かなり閑散としていたという…。
秘密結社に1000万円…?
明治神宮で行われたデモの為に秘密結社が作られ、その費用は現在の価値で1000万円にも昇るという…。
その金は一体どこから出たのか…。
このように、100年前の皇室問題には、山縣有朋や原敬など、当時の政治権力を握っていた男たちを失墜させるという裏の思惑があったのです…。
100年前に起きていた、昭和天皇と良子女王の結婚問題…。
日本の未来を想って結婚を破棄させたい山縣有朋と、娘の未来を想って結婚させたい久邇宮邦彦王の対立…。
それだけでなく、山縣有朋含む大物政治家の政治権力を失墜させるまでの大事件になりました。
そして、この100年前の皇室問題と現在起きているKK問題を照らし合わせると、人物や賛成反対の動きは違えど、様々な共通点が見えてきます。
結婚決定から婚約破棄の動き。
100年前の皇室問題でも、昭和天皇と良子女王の婚約が決定してから、破棄の動きが盛んになりました。
そして、今の皇室でも、眞子内親王殿下と小室圭さんの婚約が決定してから破棄を求める声が大きくなっています。
婚約に関するデモ
2021年10月10日、眞子内親王殿下の結婚に反対する行進デモが、都内で行われました。
対して、100年前の昭和天皇と良子女王の時は、結婚させるためのデモが明治神宮で行われました。
メディアが大々的に取り上げる。
本来、皇室のこういった話は、大々的に取り上げられません。
しかし、KK問題も100年前の皇室問題も、どのメディアも息を合わせるかのように取り上げました。
100年前の宮内省はメディアの袋叩きに遭い、宮内大臣は責任を取って辞職。
これと同じように、宮内省ではなく、現在の宮内庁に対しても批判が高まっています。
歴史は繰り返します。
シナリオはいつも同じ。変わるのは役者と舞台だけ。
歴史の真実は、小説のように簡単で美しいものではありません。
本当に歴史を動かしている存在は、決して表舞台には登場しないからです。
歴史には裏があり、それは現代でも変わりません。
もしかすると、今回のKK問題も、100年前の皇室問題と同じような道を辿るのかも知れません…。
100年前の皇室で何が起こっていたのか…。
今の皇室で何が起きているのか…。
皇室の歴史を辿れば、今の情報が鮮明に見えてきます。
しかし、私たちは自ら学ばない限り、このような情報を受け取ることはできません。
戦前まで、皇室の批判は『不敬罪』として取り締まられていたため、その影響もあってか、戦後ずっとマスコミの間では、
「皇室の尊厳に傷がつくような情報は公には出してはならない」
そのような、自主的に報道規制をかける、菊タブーというものが存在していました。
そのため、皇室にまつわる不都合な真実や内部機密が表に出ることはなく、基本的に皇室に関する報道は新聞、テレビもできるだけ、当たり障りのない美しい部分しか流せない状態です。
もちろん、研究の世界にも菊タブーは存在しているため、自身のキャリアに傷をつけないため、多くの研究者は、皇室の内部にまで踏み込んだ内容を公に出すことは難しいのです。
さらに、この『100年前の皇室事件』に関する文書は、皇室の尊厳に傷をつけてしまいかねない内容が多数残されているため、関係者によって、その事実は徹底的に隠蔽。
『昭和天皇実録』に至っては、1万ページを超えるにもかかわらず、この事件のことはたった1ページしか記載されていません。
そうして、これまで誰1人として、その真相を知ることができないままとなっていたのです。
しかし、これらの真相を知ることができなければ、裏に潜む政治利用や誰かの思惑に気づくこともできません。
皇位継承の問題や血統問題など、無知でいることにより、皇室の伝統を途切れさせてしまうような論調に加担してしまう…、ということにもなりかねないでしょう。
しかし、実際に100年前に起きた皇室問題の歴史を知ることで、未来の日本を想って奮闘した山縣有朋や娘のために強大な山縣の権力に立ち向かった久邇宮邦彦王の葛藤だけでなく、裏でこの結婚を政治の道具として使った男の思惑。
昭和天皇の義理の兄が起こした不祥事。
良子女王の足を引っ張った嫁姑問題。
皇室の存続問題の元になった『女官改革』。
など、様々な要素が絡み合った100年前の皇室事件の真相を知ることができ、それらを照らし合わせながら、今のKK問題を見ることができるようになるでしょう。
KK問題を含む様々な皇室問題を、他の人とは違う一歩引いた視点で見ることができるようになり、テレビのニュースや新聞、ネットで見るような報道のモヤモヤが解消され、さらに、問題の本質が見えるようになるはずです。
そのような、日本人が知らされてこなかった正しい歴史、美しいことも恥ずかしいことも含め、今回は“本当の歴史”をより多くの人に知ってもらいたい、そういった気持ちで書き綴らせて頂きました。
今回も最後までお読み頂きまして、有り難うございました。
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