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2021.6.11 民主主義の祖=日本?

西洋の民主主義は日本より進んでいたのか?
教科書が教えない“3つの謎”

今も昔も、自由・平等・人権といった民主主義は西洋の方が進んでいて、日本は遅れていた…。
そして、軍国主義の日本は戦後、アメリカから民主主義を教わり発展を遂げた。これは学校でも普通に教えられている話ですが…。

史実をたどってみると、
「民主主義は西洋からの輸入品」
という理屈では、どうしても説明がつかない不可解な謎が浮かび上がってきました。

【謎①】日本だけが、アジアの中でいち早く民主化できたのはなぜ?

まずは同じアジアの国々が、民主主義とどう付き合ってきたのかを見ていきます。

例えば、清の時代の中国は、イギリスに2度も敗戦…。
日本にも日清戦争で敗れましたが、たとえ外圧を受けても決して民主化しません。
その後、共産党が政権を取った現在でも、未だに一党独裁体制。

野党を作ろうとした民主活動家を逮捕して、懲役10年以上の弾圧を加えるなど、民主主義が根付く気配は一切ありません。

また、朝鮮戦争でアメリカの支援を受けたお隣の韓国はというと、1979年、将軍によるクーデターが勃発。
翌年には非常戒厳令を発令して、大統領など有力政治家を拘束しました。
実質的に民主選挙が機能し始めたのは1987年以降と、かなり最近になってからです。さらに台湾でも、史上初の総統選挙が行われたのは1996年のことです。

このように、西洋が発祥とされる異質な“民主主義”文化を取り入れるには、本来、途方もない時間や労力が掛かるのかもしれません。

しかし、その一方で、日本は1889年に近代的憲法を制定。
翌年には帝国議会を開催するなど、アジアの中では群を抜いて早かったのです。

その後、1925年には日本の全国民(非納税者)に選挙権が与えられましたが、アメリカで黒人の政治参加が認められたのが1960年だったことを考えると、事実を見れば、日本の方がその導入は随分進んでいたようです。

なぜ日本だけが、自由選挙や議会政治という民主主義の制度をいち早く取り入れることができたのか?
実際には、欧米の民主主義と似たような土壌が、日本には明治以前から既にあったのではないでしょうか?

【謎②】日本国民の間で、聞き慣れないはずの“民主主義”への抵抗が起きないのはなぜか?

たとえ国のトップが、
「これからは民主主義を導入する」
と決めたところで、新興国では民主選挙をいきなり実施しても、少数派がすぐにクーデターを起こしてしまうなど、なかなか安定しない場合が多いです。

近年でも、アメリカ軍が介入した中東のイラクやアフガニスタン、そしてリビアなどアフリカ諸国の事例を見ても、ことごとく暴動に発展し、民主化への道のりはほど遠いものです。

一方、日本の例を見ると、明治維新が起こった後、江戸幕府に代わって新政府が誕生。
すぐさま明治天皇と政府は新しい国家運営の基本方針である『五箇条の御誓文』を発表しました。
その第一条は、
「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」
(これからは多くの人の意見を聞く場を設け、政治上の大切なことは公正な意見によって決定しよう)
というものでした。

このような民主政治の根本原理が、出来立ての新政府の第一方針として、いきなり打ち出されたのですが、不思議と、それに対する国民からの反発はほとんど起こっていません。
その後、わずか20数年でアジア初の近代憲法を制定したり、選挙に基づく議会開催を行うなど、むしろ一致団結して新しい文化を吸収。
富国強兵や近代化の大発展を成し遂げ、アジアで唯一、世界の一等国の仲間入りを果たしました。

さらに敗戦後、占領軍は「デモクラシー」という聞き慣れない用語を持ち込みましたが、日本国民はそれを何の抵抗もなく受け入れ民主化。
戦後、またしても大発展を遂げることとなります。

ところで、1945年7月。
敗色濃厚の日本に対して、連合国が発したポツダム宣言の“降伏条件”の中に、面白い一文があります。
その第10条に書かれていたのは、
「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル“民主主義的傾向ノ復活強化”ニ対スル一切ノ障礙(しょうがい)ヲ除去スヘシ」
という一節。
“民主主義的傾向の復活強化”
これはつまり、戦前から日本国民の間には民主主義の傾向があったと、連合国側も認識していたことを示しているのではないでしょうか?
しかしなぜか、このようなことは日本の教科書では教えられず、
「軍国主義の日本は戦後、アメリカから民主主義を教わり発展した」
が定説となっています。

【謎③】なぜアメリカの黒人は、自国の大統領を差し置いて日本に嘆願書を送ったのか?

1919年に開かれたパリ講和会議。
第一次大戦の悲劇を繰り返さないようにと、『国際連盟』創設のための議論が進められていました。
当時、植民地支配と共に世界で横行していたのが、
「白人以外は人として認めない」
という激しい人種差別。

国際連盟の規約に『人種平等の原則』が盛り込まれるかどうかを、アメリカにいる1200万人の黒人たちは、固唾を飲んで会議の成り行きを見守っていました。

当時、この会議の議長を務めたのは、アメリカのウィルソン大統領…。
黒人社会の指導者たちは、自国の大統領に嘆願するかと思いきや、それを差し置いて、
「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくすことに尽力してほしい」
と、わざわざ日本の使節団に嘆願書を手渡したのです。

さらに、
「われわれ(アメリカの)黒人は、講和会議の席上で『人種問題』について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。」
と、全米黒人新聞協会がコメントを発表。
人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を人種平等への旗手と見做していたのです。

当時の日本は、西洋と比べ民主主義の遅れた国家と見られていたはずですが、このような記述が残っているのは、一体なぜなのでしょうか?

当時の大英帝国代表は、この会議の前、人種平等に関する日本案には
「いかなる形式のものであろうとも、イギリスは絶対に同意しないであろう」
と語りました。
また、アメリカに関しても、
「こんな危険な(人種平等)条項を含む規約を批准しようという夢を見るような州は、アメリカには1つもないだろう」
と言われ、
「ジャップには絶対に喋らせない」
と、策略さえも巡らせていたようです。

途中、様々な妨害を受けながらも、日本代表の粘り強い交渉の結果、日本の『人種平等』案は16票中11票の圧倒的賛成を得ます。

しかし、議長のウィルソン米大統領は、
「全会一致の賛成が得られなかったので採択されない」
と宣言し、参加者を驚かせました。
過去2回の票決は、
「全会一致の規則は適用されていなかった」
と、フランス代表団が抗議を行うも、
「我々の一部にとってはあまりにも障害があるので、規約にそれを挿入することはできない」
として、大統領は聞き入れませんでした。

こうして、黒人たちの悲願は、奇しくも自国の大統領によって裏切られることとなったのです…。
ちなみに、アメリカが黒人に平等な市民権を与えたのは、この40年も後になります。

この決定に怒ったアメリカの黒人たちは、全米各地で大規模な暴動を起こし、それをきっかけにアジアやアフリカなど、世界各地における独立運動が活発になっていきます。
当時の出来事を報知新聞は以下のように書いています。
<アメリカの人種紛争は文明世界にとって不名誉なことであり、もしもアメリカが他の国々に正義と人道の原則を説教したいのならば、まず自国内の人種問題を解決しなければならない>

民主主義は西洋からの輸入品=一種の“自虐史観”?

もし、今まで学校の授業で教わってきたように、民主主義は西洋が生み出した文化であり、常に日本は後れを取っていた…と考えていたら、これらの謎の答えは見つかりません。

しかし、戦前~日本建国に至るまでの歴史を、史実を基にしっかりとたどっていけば、見える絵柄はガラリと変わってきます。

民主主義や人権を「西洋から学んだ輸入品」と考えるのは、一種の自虐史観です。
我が国においては、古来より人民を『大御宝』と考え、その自由平等を尊重し、それぞれの長所を発揮させるという人間観が伝統的でした。
例えば、日本では階級差別や人種差別、奴隷制などが、西洋をはじめとする諸外国に比べ、はるかに薄かったという史実は、この人間観から来ています。
この点を良く知れば、西洋の自由民主主義や人権思想に共鳴しつつ、日本には日本なりの根っこがあり、それをさらに太く、深く伸ばしていけばよいということがよく分かるでしょう。

・日本の敗戦後、昭和天皇が出した『新日本建設の詔』に込められたメッセージ
・明治維新の際、明治天皇と政府が発布した『五箇条の御誓文』
・聖徳太子の十七条憲法に込められた『和の国』の理想
さらには、神武天皇の建国宣言や天照大神が登場する日本神話にまで遡ると、日本という国は、古来より伝統的に自由・平等・人権という民主主義が根付く土台があったのだということがよく分かります。

それは、決して西洋からの輸入品などではなく、古来より日本が伝統的に持つ独自のDNAなのです。

第二次大戦後、世界一の軍事力と経済力を誇ったアメリカにも、実は、一種の自虐史観に陥り、自信を失いかけていた時期がありました。
そして、そこからの復活を支えたのは、レーガン大統領が“自由の国”というアメリカの根っこを見つけ出し、見事に回復させたことにありました。

国家という共同体には根っこが必要であり、その根っこの健康状態によって国民が元気になったり、気力が萎えたりします。

自分自身の根っこを持つ人は、他国民の根っこに対しても共感と尊重の態度を取ることができます。
逆に根っこのない根無し草のような人では、自国を卑下して他国を崇め奉るか、他国を見下して自国の空威張りに終始することになってしまうでしょう。

今こうして書いている私自身も、学校教育で教わっただけの人生のままであれば、根無し草のような人間だったかもしれません。
しかし有り難いことに、根っこを持つ日本国民の一員という自覚に芽生えたからこそ、その後の社会において、どんな国の人と接しようとも、特に引け目を感じることがありません。
日本の根っこがもたらしてくれた静かな自信と力によって、余裕と共感をもって他国民と渡り合えることができます。

しかしながら、敗戦後の日本は、自虐史観に基づく教育を植え付けられたことで自信を喪失…。
さらには、ただの年号や出来事の暗記科目に終始する歴史教育によって、世界最古の歴史や文化伝統を持つ日本の根っこと繋がる機会を奪われ、長きにわたって分断されてしまいました。

そして、バブル崩壊後の30年にも及ぶ経済停滞。
日本独自の根っこが無く、自信が持てないからか、「世界基準」「国際基準」といった言葉にやたらと弱く、国際人の定義を履き違え、国民総出で英語を学ばせたり、こぞってアメリカ的経営を信奉する始末…。
その結果、大して成果が上がらないどころか、どんどん日本独自の根っこが失われていく。

「今だけ、金だけ、自分だけ」の個人主義の価値観が蔓延り、私よりも若い世代は日本の未来に希望を失うなど、まるで多くの国民が根無し草のように漂っています…。
これはまるで、1980年代に危機を迎えたアメリカのようではないでしょうか…。

しかし、歴史を見渡せば、アメリカの事例だけではなく、国家の危機に瀕して根っこを思い出し、共同体としての結束力を発揮することで、それを乗り越える。これは、過去の日本でも繰り返し行われてきたことでした。

日本は2600年を超える歴史を歩む中で、根っこと繋がり、これまで何度も危機を乗り越えてきました。

1度目の危機は幕末。
欧米列強による植民地支配の魔の手が迫り、国内が分裂寸前の中、明治天皇は『五箇条の御誓文』と『教育勅語』を発表。
国民に根っこと繋がる重要性を説き、エネルギーを与えることで、急速な近代化と富国強兵を成し遂げました。

2度目の危機は大東亜戦争の敗戦。
史上初の外国による占領、辺り一面焼け野原で仕事も食料もなく、共産主義が広がりつつあった時代…。
この最中に発せられた『新日本建設の詔』において、昭和天皇は冒頭で『五箇条の御誓文』を引用しました。
2度の国難において、我が国の民をまとめたのが『五箇条の御誓文』でしたが、ここには和の国と日本の根っこがよく現れています。

現代の日本の状態といえば、共産主義の中国が軍事的に膨張し、北朝鮮は核武装に走り、韓国は反日迷走を続けています。
国史上、何度目かの国難とも言えるでしょう。
しかし、根っこを遮断してきた戦後教育により、どんどん根っこの存在が忘れられつつあります。
インターネットの普及により、一部の人は自虐史観から目覚めてきていますが、根っこを忘れた“反中”“嫌韓”では一時の憤激とはなっても、永続的に和の国らしい勁(つよ)さを回復する努力には結びつかないでしょう。

日本は山岳の多い国ですが、その山岳には見事な大木が生えている場所がたくさんあります。
その大木を実質的に支えているのは根っこの存在です。
木の外見は幹と枝葉しか見えませんが、事実、根っこが地中深くに根を張り、木全体を支えています。
その根っこが太く、長く伸びている木ほど立派に力強く立っていられます。
先述したように、日本は有史以来2600年を超える歴史を持つ世界最古の国。
それだけ先人たちの築いた太くて長い根っこが、私たちの足元に埋まっている国です。
日本の歴史や文化伝統をしっかり学び、その根っこを自覚した人ほど、先人たちの根っこから栄養や力を受け取ることができます。
そういった人は日本にいても、世界のどこにいても力強く立っていられます。
なぜかというと、それは1人で立っているように見えて、実は1人ではありません。
その人の足元には、これまで日本という国を守るため、立派に戦ってきた先人たちの生き様があり、無数の人の強い後押しを受け取っているからです。

自国の歴史や文化伝統から、自分の意見を堂々と語れる立派な日本人であれば、それはそのまま海外で通用します。
欧米の国々は、自国の根っこについて子供の頃から熱心に教育する文化があるため、自国に誇りを持ち、その根っこを自覚している国民が多いと言われます。
しかし、そのどの国も日本ほど長い歴史を持つ国はありません。
私たちの足元には、世界有数の宝が眠っているというのに、それに気づかないままというのは、とても勿体無いことではないでしょうか。

私自身の経験から、根っこを自覚せずにいると、ついつい、この世界にただ1人で存在しているように感じたことはありませんか?
目の前の仕事が上手くいかない…
家庭で嫌なことがあった…
など、些細なことばかりに目がいき心が彷徨ってしまう…。
私たちの足元には力を与えてくれる根っこが埋まっているのに、それと自分がくっついていないから、まるで根無し草のように漂ってしまう…。

また、今の教育では激しさを増す“グローバル化”についていくため、子供の頃から英語、とにかく英語を話せるようになろうという流れが加速していますが、たとえ英語を完璧に学んで海外に出たとしても、自国の歴史や文化伝統を自分の言葉で語れない人が尊敬されることはありません。
考えてもみれば、アメリカには英語ができる人は2億4000万人近くいるわけです。
ただ英語が話せるというだけで、その中でどのような価値を提供できるのでしょうか?

戦後、歴史教育が変えられたことによって、世界で一番立派な根っこを持つ日本人は、その根っこと身体が切り離されてしまいました。
今、私たちが気づかなければ、先人たちが受け継いでくれた偉大な根っこは、細く弱くなり、いずれは消えてしまうかもしれません…。

今こそ、私たちの足元に眠る宝に気づくべき時ではないでしょうか。
そして、私たちの子供や孫の世代へ、その根っこを受け継いでいくべきではないでしょうか。
すべての日本人が、足元に眠る根っこという宝に気づき、それとくっついて栄養を受け取った時、きっと日本はこれまでにないほど強く、自信や希望に満ち溢れた国として世界の中で輝きを取り戻すことでしょう。

今はコロナ禍といった状況の中で、ようやくワクチンによって日本にも回復の兆しが見えつつありますが、国民すべてが明るい兆しとなるにはまだまだ先になりそうです。
そういったまだ光が見えない環境を強いられ続けてしまうと、人はどうしても孤独になりがちで、自分自身を根無し草のような存在に身を置いてしまいがちです。
そんな時こそ、足元に眠る先人から受け継いだ世界最古の根っこの存在を思い出してほしいと思います。
そこから、先人たちから受け継いだ栄養を受け取り、そしてまた力強く生きていってほしいですし、日本を偉大な国にする力となってほしいと思います。

今回はいつもの倍の長さの記事でしたが、最後までお読み頂き有り難うございました。

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