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2022.3.16 ロシア人のルーツとウクライナ侵攻

2月24日に、ロシアはウクライナへ全面侵攻してから、
・ロシアとウクライナがなぜ対立しているのか?
・両国の関係は、これまでどのような歴史を辿ってきたのか?
等々、両国に関する記事をいろいろと書いてきましたが、

今回は、少し『ロシアとウクライナの関係や民族についての歴史』を書き綴っていこうと思います。

『ロシア(Russia)』の語源は『ルーシ(Rus)』に由来します。

『ルーシ』は、ルーシ(ルス)族というノルマン人の一部族の名です。

ノルマン人はヨーロッパ北方の海上の覇権を握り、9〜10世紀に北欧を中心に強大化しました。

ルーシ族は族長のリューリクに率いられてロシアに入り、元々この地にいた
スラヴ人を征服します。

862年、リューリクは、ノルマン人国家のノヴゴロド国を建設します。

882年、ノヴゴロド国は、リューリクの親族であったオレーグが建国したキエフ公国に継承されます。

さらに、15世紀にモスクワ大公国、17世紀にロマノフ朝へと継承されていきます。

つまり、ロシアの王朝はルーシ族に起源があります。

民族的には、ノルマン人のルーシ族が支配者層を構成しながら、現地のスラヴ人と混血同化していきます。

キエフ公国は、正式には『キエフルーシ』と呼ばれており、『ルーシ』の名を引き継ぐルーシ族の正統という意味が込められています。

ウクライナ人は自分たちこそが『ルーシ(ロシア)』であり、ロシア人がそれを勝手に自称するべきではないと考えています。

ウクライナ人は、自分たちの歴史はロシア人によって奪われたと主張しています。

しかし、ロシア人にも言い分があります。

「ロシア人がキエフ公国を滅ぼしたのではなく、13世紀にモンゴル人が滅ぼしたのだ」
と。
そして、
「モンゴル支配から、いち早く勢力を回復したのがモスクワ大公国だ」
「モスクワ大公は傍系ではあるものの、リューリクの血統を引いているリューリク家の一族であり、『ルーシ』を継承する充分な正統性がある」
とされています。

それでも、ウクライナ人から見れば、
「キエフ公国の本流に対し、地方の分派に過ぎなかったモスクワ大公国には正統性がない」
「その傍系が力と暴力によって、自分たちを強制的に従わせた」
と捉えているのです。

いずれにしても、スラヴ人と混血同化されながら、ウクライナ人とロシア人はルーシ族を共通の起源に持ち、不可分一体の共通の歴史を歩んできたのであり、両者を明確に区分することは困難です。

最後に、ロシアのプーチン大統領は、
「ロシア人とウクライナ人は一つの民族であるとの信念は決して捨てない」と宣言しています。

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