カテゴリー分けを卒業★幸せを最優先
今まで
自分の中にあった
カテゴリー分けされている
思い込みを
ひとつずつ
ゆっくりと
紐解いてみたの
たとえば
何となく
自分の中にある
深い意味を持たない
チョットしたことで
好ましい人かどうかを
カテゴリー分けしていた人が
思っている以上に
多くいたのだけれど
そのほとんどが
自分の浅く視野の狭い
何の基準も持たない判断で
決めつけていた事ばかりで
その
カテゴリー分け
していた人への思いが
年々
理解できたり
許せたりしているの
思い込みや
決めつけから生まれた
私のカテゴリーボックスが
年々経験値と共に
少しずつ
曇りが晴れて
視野が広がり
あらゆるものの本質が見えて
比較対象がいなくても
幸せを
感じられるようになってゆけば
嬉しいな
そんな風に思いながら
カテゴリーボックスの中を
整理整頓しているの
同じことをしても
同じ結果にならない事が
数えきれないほどあるように
個人差が
すべての事に
宿っていると思うの
何となく
理解できている安心感や
コントロールできている
安堵感から
これをしたら
こうなるというような
数学のように答えを
求めてしまう事があるけれど
人生には
その様な流れはないと思うの
私の祖父は
小学校しか
行っていなかったらしいのだけれど
独学で
読み書きをマスターし
外国語なども理解してたようなの
学歴はなかったけれど
様々な能力や人脈によって
人生豊かに暮らしていたの
かと思うと
親戚の中には
誰もが知る大学に進学し
様々な能力は
高かったのだけれど
人と話す能力や
繋がりあう能力が
あまりなかった事で
人生の豊かさを
受け取り過ごす事なく
自ら・・・という人もいたり・・・
何となく
安定・安心を得られるかもしれない
人生のサンプルはあるけれど
その方法が
すべての人に
フィットするかどうかは
わからないと
身近な方から
教えてもらった気がするの
この世界で
思い煩う事を占めるのは
人との繋がりだけれど
その悩みの多くは
つい
相手の言動や・行動など
無意識に
自分が思い描いてしまう事に
あるんじゃないかなって
感じているの
相手の発言や行動を
予測することなく
コントロールする事もせず
事実・現実をそのまま
受け止める事が出来たならば
心地のよくない感情も
思い煩う事も
きっと
とても
小さなものになると思うの
無意識に
自分サイズに
重なるかどうかを
つい
どんな場面でも用いて
不快指数を
上げたり
下げたりしてしまっているのかなって・・・
同じように映る人たちも
能力・才能・個性・魅力など
個人差が微妙にあって
同じ人は
一人もしないと思うの
共感は
人との距離を近くしてくれる
ステキな能力だけれど
ある事には
共感できても
すべての事に
共感を望むのは
互いに自由を楽しむ事を
難しくしてしまうんじゃ
ないかなって
感じているの
特に女性同士の繋がりでは
共感というものが
縁を繋げる
大事な心の動きになる事が
多いから
自分を軸として
ライフスタイルが
似通った人といる方が
楽に楽しく過ごせると
感じているの
憧れるような人といるのも
短時間ならば
優越感を共有出来ても
長い間繋がるようになると
無理が重なり
好ましくない感情が広がって
来ると思うの
逆タイプの人の場合でも
最初は
自分持つ能力で
相手を助けたり
サポートしたりしながら
感謝されて
自分の心が
満たされてゆく事も
あるけれど
次第に
与えてばかりいる自分が
虚しくなったり
自分と常識の重ならない部分が
心を揺れ動かして
辛くなってしまうと思うの
どんな法則も
すべての人に重なる
法則はないから
どんな分野でも
いくつもの方法が
次々と生まれているように
真実は
自分の心が解放され
楽になれたり
幸せを感じられたら
それがその人にとっての
正解なのかもしれないなって
感じているの
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