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ひめゆりの塔

「人生の意味を問う自分が滑稽に思えて仕方がなかった」

8月15日
終戦記念日

この日、私は沖縄にいた。


沖縄へ来たからには
絶対足を運びたかったひめゆりの塔。
冒頭の言葉は
ひめゆりの塔へ行って私が強く思ったこと。


1945年
沖縄戦争は
たった75年前の出来事なんだと改めて驚いた。


一瞬にしてたくさんの命が消えていった。


【誰のため?なんのため?】


沖縄戦争体験者さんのインタビューの中で
こんな話があった。


「兵隊さんが最後死ぬ時
天皇陛下万歳と言うんだ、と聞いていた。

でも実際は違う。
みんな"お母さん お母さん"と呟いていた。
家族の名前を呟いて死んでいった」


私は終始涙が止まらなかった。


人を殺しては行けません。


例外はあるのでしょうか。


国をあげれば大量殺人は正義でしょうか。



死んでいった1人1人に
人生があり物語があった。


沖縄戦争に限らず
国や時代を理由に理不尽に殺められた全ての命が繋がって今の自分があるのだとしたら


「自分が生きてる意味」
を問うのは滑稽だと私は思った。


人は1人で生まれて1人で生きていくくせに
1人では生きられない。
必ず人は繋がっている。



自分が生きようが、死のうが
大したことではきっとない。
どんな今日を過ごしたとしても
明日、この世にいなかったとしても
変わらず世界は、社会は回り続ける。


生きる意味などない。
人生に意味などない。
死ぬその時まで生きるというだけ。


私はこれからも
守るべきものの為に生きていきたい。

余裕のある時は、人にたくさん優しくしたい

次の世代へ幸せのバトンを繋げたい

ただ、その時まで生きたい


世界から戦争がなくなることはないのかもしれない

第三次世界大戦がはじまってしまうかもしれない

明日は我が身

今ある日常を、幸せを噛み締めて生きていきたい。

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