心を清める「茶味」
茶会のことを少し書きます。最初に招かれたのは7〜8年前だったと思いますが、とても影響を受けました。有楽流で最初に瞑想と『茶味』の読唱があります。この『茶味』を聞かされたときに『ステキ』と感じまたショッキングでもありました。
茶会には様々な業界の人々が招かれていて、私にとって非現実な空間で、まるで夢をみているのではないかと思えるような場所、主人も客も静寂の中にキラキラと輝く何か尊さのようなもの、そして華麗さがあります。眩いという表現が適当でしょう。
気持ちが塞ぐときは「茶味」を読みます。読み返すと心が掃き清められたかのようになってすっきりします。何がそんなにステキなのか要約することは難しいので少し私の好きなところを抜粋しましょう『精行倹徳』です。
『精行とは行に精しくということで、一々の動作に心がこもるの意味である。〜中略〜 一粒の飯、一本のマッチも今わが目前一瞬の用を弁ずる事によってこの物の一生は終わるなりと観ずれば、決して之を軽々しく用いる心は起こらぬのみか、このささやかなる物に宿る広大無辺なる自然の力、天地の恩に気がついて、感謝の生活、知足安分の境地にはいらずにはいられなくなる。これが即ち倹徳である。ここに於いては誇るべき奢りもなければ、愧ずべき不及もない。』P19〜20
その思想はアートで、強く清らかで美しい。
暗い時世も茶味の灯があれば大丈夫。
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