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File5:京都イタリアン欧食屋Kappa オーナーシェフ 石橋 玄次さん

京都で唯一の野菜ソムリエ協会認定レストラン

S'allier 第5回目のお客様は、京都で唯一の野菜ソムリエ協会認定レストラン「京都イタリアン欧食屋Kappa」のオーナーシェフ石橋 玄次さんです。

京都イタリアン欧食屋Kappaオーナーシェフ 石橋 玄次さん

京都イタリアン 欧食屋 Kappaは京都のビジネスの中心地である四条烏丸から徒歩で5分ぐらいの場所で店を構えるイタリアンレストランです。京都で唯一の野菜ソムリエ協会認定レストランで、コースで使用されるお野菜はなんと50品目にも及びます!
美味しいだけでなく、見た目も美しく栄養も豊富なお料理の数々を生み出す石橋さんにそのこだわりと料理への想いをたっぷり聞かせて頂きました。

農家や漁師直送のこだわりの食材でおもてなし

―先日6周年を迎えられたんですね。おめでとうございます。
最初から野菜にこだわった店にしようと考えられていたのですか?

亀岡(京都府亀岡市)の出身なのですが、創業するに当たって自分に所縁の深い食材を使いたいと思ったんです。そこで、母親の知り合いの農家さんに無農薬でキュウリ、トマト、インゲンなどを作っているところがあり畑を見せてもらいました。料理で使う場合、野菜のサイズ感も重要な要素になるのですが、それを指定してオーダーすると相手に手間を掛けてしまう一報でこちらの思ったものと違うということが起こりがちです。ダメ元で自分で収穫しに来て良いか聞いてみたところOKを頂けたので、自分で収穫してそれを買い取るという形にさせてもらいました。
そのうち土の良いと野菜のおいしいことに気づき、それから野菜にこだわるようなりました。今でも野菜は八百屋さんを通さず農家直送で仕入をしています。

種類も色どりも豊富なサラダと前菜

―野菜だけでなく、お肉やお魚もこだわっておられますね。
お肉については「亀岡牛」というブランド牛を使っています。文字通り、亀岡で肥育された牛で、夏と冬の温度差が約35度程度になる過酷な気候により肉が締まっているのが特徴です。店で使用する肉は京都のものにしたいと思って探していた時に初めて存在を知り、取り扱ってい事業者さんを紹介してもらいました。飼育現場から屠殺場まで見せてもらって、この肉ならばと思って採用しました。
魚は、妻の実家が高知ということもあり、その伝手で仕入れています。実は、義父が宿毛で漁協の組合長をされていた方と友達で、その日に採れたもののうち良いと思うものを目利きして
送ってもらっています。箱を開けるまで何が入っているか分からないので、日々驚きがあります。珍しい魚が入っていることも多々あり、例えば、「オジサン」というスズキ目ヒメジ科の魚は最近でこそ広く知られるようになりましたが、有名になる前から使っていました。

こだわりの食材が満載

原点はお料理上手なお母さま

―子供の頃からシェフを目指されていたんですか?
料理人か医師になりたいと思っていました。ただ勉強があまり好きではなかったので高校1年生の時に医師ではなく料理人の方に進もうと決めました。それからはずっと飲食店でアルバイトをしていました。高校卒業は栄養士の専門学校に進学したのですが、これは母から学校に行かないと取れない資格を取っておいた方が良いと助言されたからです。ちなみに、調理師学校は編入すれば良いと聞いていたのでそのつもりでいたのですが、栄養士の過程を卒業後すぐ飲食店を展開する会社に就職しました。専門学校での調理実習の際、調理師の勉強をしている学生よりも調理ができたのでわざわざ学校へ行く必要はないと気づいてしまったんです。(笑)

―料理を志すきっかけは何だったんですか?
母がものすごく料理上手なんです。実家は石橋家の本家でお正月などには親戚一同が我が家に集っていました。そこでおせち料理はもちろん、ピータンを使った前菜やローストビーフといった手の込んだ料理を作り振る舞っていたのが母です。今から30年ぐらい前のことですが、親戚のおじさんやおばさん、それに従兄弟たち皆が「美味しい、美味しい」と言いながら幸せそうに母の料理に舌鼓を打っていた様子が脳裏に鮮明に残っています。
そんな母が誇らしく、そして、その姿にあこがれて自分も作ってみたいと自然に思うようになりました。
そこで、小学生の頃から土曜日の昼食は自分が作るなど、料理をする機会が増えて行きました。思い通りの味付けができ、食べた人が「美味しい!」と笑顔で言ってくれるのがうれしくて、料理を作ることが好きで好きでたまらなくなりました。

人を幸せにできる経営者になりたい

―専門学校を卒業して就職された先がイタリアンレストランだったんですか?
いえ、中華でした。もともと学生時代にアルバイトをしていた店にそのまま就職しました。京都市内で複数の飲食店を経営している会社です。その後、その会社が東京に新規出店した和食店に1年半勤務しました。そして、23歳の時、京都の知り合いから自分の店で料理長をしてくれないかと誘われ転職しました。
そうした中で人材教育や経営に興味を持ち、独立したいという気持ちが湧いてきました。経営者になりたいという思いが強くなりましたが、それでも料理店を経営する以上は料理のこともしっかり知っておきたいと考えました。これまで中華、和食と経験して来ましたが、洋食は未経験。そこでイタリアンを勉強するためにイタリアに渡ることを決めたんです。ビザなしで渡航できるギリギリの3カ月間、イタリアを放浪しました。とはいえ、最初は知り合いのイタリアンのシェフと一緒に渡航し、いろいろ連れて行ってもらいました。そして、その後2週間ホームステイを経験してイタリアに慣れてから一人で動き出しました。
イタリアから帰国後、渡航の際にお世話になったシェフの店で2年働いた後、独立しようと思って退職しました。

―すぐに独立されたんですか?
いえ、独立を考えて退職したものの、再び新卒で就職した会社の門戸を叩きました。そこの社長を人間的にとても好きだったので、その人の元で成長した自分を試したいと思ったからでした。しかし、そこで自分が経営者として足りていないということを実感することになります。それでも諦めず頑張った結果、35歳で独立を果たすことができました。それから6年、いろんな方に支えられてここまで来ました。7年目も突っ走って行きたいと思います。

―経営者として何か夢はありますか?
「働く大人が輝く社会を目指したい」というのが一番の想いです。そのための会社であり、店でありたいと強く思っています。そのため、倫理法人会の活力朝礼を取り入れてモチベーションアップを図っています。個人として、あ実業家であり、Youtuberとしても有名な講演家の鴨頭嘉人に師事しているのですが、その鴨頭さんみたいに人に良い影響を与え、幸せにできる人になりたいと思います。

―ありがとうございました。


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