見出し画像

44.今日は何の日??~忠臣蔵の日~

皆さんこんにちは。
田中滉基です。


突然ですが今日が何の日か皆さんはお分かりですか??
自分も実は何の日なのか分からなかったですが
調べてみると聞いたことある歴史的な出来事が起きた日でした。

それは。。。


忠臣蔵の日


皆さん一度は聞いたことあるのではないでしょうか。

自分も歴史は中学までしか習ってきていないですが
この出来事は聞いたことがあります。


よくドラマだったり、映画で見ることがありました。
その中でも自分が一番思い出に残っている番組がこちらです。


クレヨンしんちゃん テレビスペシャル
クレヨン大忠臣蔵 桜の巻


なんと子供の時に皆さん見ているのではないでしょうか。
クレヨンしんちゃんx忠臣蔵を
モチーフにしてたアニメが放送されています。


ざっくり簡単に説明をすると
悪代官のぶりぶりざえもんに風間君が切腹を命じられた
仇をとるために仲間とともに
成敗しに行くという内容です。

ぶりぶりざえもんのほかに、アクション仮面、カスタムロボなどの
キャラクターも出てきてすごくおもしろかったのを覚えています。

ぜひ興味のある人は見てみてはいかがでしょうか。


話は戻りまして、忠臣蔵を調べてみると
以下のような出来事だということが分かりました。

1701年(元禄14年)3月14日(旧暦)、江戸城・松之大廊下で、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩(あさの たくみのかみ ながのり)が、高家(こうけ)の吉良上野介義央(きら こうずけのすけ よしひさ/よしなか)に斬りかかったことに端を発する。
事件当時、江戸城では、江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉(とくがわ つなよし)は激怒した。
そして、幕府は浅野内匠頭に即日切腹を言いつけ、浅野のみ刑に処せられたことに浅野家家臣達は反発。筆頭家老(ひっとうがろう)である大石内蔵助(おおいし くらのすけ)を中心に対応を協議したが、浅野家再興の道はなく、主君の仇討ちのために吉良邸に討ち入ることを表明した。
1702年(元禄15年)12月14日(旧暦)、大石以下47人(四十七士)は、吉良邸に侵入し、吉良上野介を討ちとった。四十七士は吉良邸から引き揚げて、吉良の首を浅野内匠頭の墓前に供えた。そして、吉良邸討ち入りを幕府に報告し、幕府の指示に従って全員切腹した。


仲間の無念のために自分たちの命を懸けて討ち入りに入った
大石内蔵助はすごくかっこいい武士でそれについてくる仲間が
46人もいたというのは人望も厚かった人物だったのだなと感じますね。

自分も今のこの時代で一緒に信念持って生涯をかけてともに
切磋琢磨できる仲間とともに夢を追い求めていきたいですね。


今回はここまで。
新しい試みでしたが知らなかったことも知る機会になるので
これからも継続していきたいと思います。

それではまた次回の記事をお楽しみに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?