見出し画像

先生に「私と一緒に暮らす?」と言われた思い出話

もう30年も前の話ですが、高2の5月、高校を転校することになりました。
しかも、神奈川から北海道への引越しもセットで。

1.高1の1月の夜、一本の電話

当時、私は神奈川県に住む高校1年生。
合唱強豪校で、合唱に明け暮れていました。
歌うのは楽しいし、50人近くいる部員はみんな個性的で刺激的。2年生からは副部長を務めることも決まっていて、とにかく毎日のハッピーが部活に起因しているような毎日でした。

そんな高1の1月の夜。
もう9時近い時間に、家に電話がかかってきました。
出ると、親戚の叔父さんでした。
「おおー、といちゃんか!久しぶり!
 声がしんちゃん(私の母)そっくりだなあ!」
この方は、昔八王子に住んでいて、私もよく遊んでもらった、私にとっては「八王子のおじさん」、父にとっては兄にあたる方です。
父は北海道出身で、確か八王子のおじさんも今は北海道に戻っているはず。
こんな時間に電話なんて、どなたか親戚のご不幸かな…?と思いましたが、
叔父さんの雰囲気もその後電話に出た父の口調もそういう感じではなかったので、その後は特に気にせず自室に戻りました。

まさかこれが、私の人生を変える運命の電話だったとも知らずに。

2.父、清水の舞台から飛び降りる

先日の叔父さんからの電話から1週間くらい経った夜。
部活から帰って、一人遅い夕食を食べていると、父が「話がある」と言います。

要約すると、こんな話。
・八王子のおじさんは、今は北海道に帰って、コンビニを2軒経営している。かなりうまくいっていて、もうかっているらしい。
・そのコンビニの本部の人に、もう一軒出店しないかと誘われているらしい。だが、2店舗で精いっぱいなので、お父さんに「お前やらないか」と電話してきた。
・自分は、いつかは自分の会社を持ちたいと思ってきた。コンビニ経営は、フランチャイズではあるが自分の会社を設立して契約する。だから、挑戦してみたい。
・だから、家族で北海道に引っ越したい。開店は5月だから、それに間に合うように。

父の夢が叶うとか何とかよりも、「私、あと3ヶ月くらいで北海道に引っ越さなきゃいけないの?学校は?部活は?」の思いの方が大きくて混乱したことを覚えています。

コンビニを経営するということは、軌道に乗るまでは(乗るかどうかもわからないけれど)深夜勤務もあり、家族でシフトを分担したり家事を協力し合わなければいけないということです。
そして、父が「やる」と決めた以上、我が家の北海道行きは決定です。
そこに選択の余地はありませんでした。

本当は、転校なんてしたくなかったです。
今とは違い、LINEもメールもスマホもない時代。
ポケベルだって、高校生はまだ持っていませんでした。
そんな時に神奈川から北海道に引っ越すというのは、高校生からしたら永遠の別れみたいなものです。
大好きな部活や友達を全部捨てるということです。

でも、経済的にそんなに余裕はない我が家。私が神奈川に残って一人暮らしをすることは不可能です。
それに。残ったところで、この部活漬けの毎日に家事をプラスして勉強もして…という生活力はまだまだ私にはない。
諦めるしかありません。

3.顧問の先生、衝撃提案

「転校することになりました」
部活の顧問のO先生に伝えました。
O先生は、当時20代後半の女性の先生です。
音楽の先生らしい上品さと姉御肌を合わせ持った、頼れる先生です。
合唱指導も情熱を持ってやってくださる、素敵な女性です。大好きな、憧れの先生です。

諦めたと言いながら、離れがたくて部活の度に泣いたり慰められたりしている私を見かねて、O先生が私にこう言いました。

「私と一緒に住む?」

聞けば、ご両親は主に地方の別荘で暮らしているそうで、先生は一人で実家にお住まいだとか。
学校からは電車で1時間くらいだけど、部屋は空いているし、あなたのご両親がよければウチはいいわよ、と言ってくださいました。

そ、そんな少女マンガみたいな展開、ある?

先生の家に居候して、家事を分担したり恋愛相談したり歌をきいてもらったり、夜なかなか帰ってこなかった先生に「先生デートですか?みんなには内緒にしときますね」とかなんとかいっちゃったり…。
ドラマみたい!そして超楽しそう!
部活も続けられるし、友達とも離れずに済むし、
こんなありがたいお申し出はない!

とは思いながらも、きっと両親は許してくれないだろうと感じていました。
現実問題、きっと先生には私の生活費を支払わなくてはいけないだろうし、いくら私と先生が同性だからといって高校が許可してくれるとも思えない。

多分無理だよね、と思いながら両親に「先生がこう言ってくれてるんだけど…」と伝えたので、
「まあそれはないね」と一蹴されてしまいました。

私は先生に、「家族と一緒に北海道に行きます」と伝えました。
今でもそのときの苦しい思いは忘れられません。

4.今、思うこと

もしあのとき、どうしても転校したくない、先生の家に居候させてもらいたい、と駄々をこねていたら、どうなっていたんだろう。
それは、30年経った今でも考えることがあります。
きっと、自分は部活を続けて楽しく毎日を過ごし、ほとんどの友達がそうだったように東京近郊の大学に進学したんだろうなと思います。
でも、家族には負担を強いることから、関係は悪化しただろうし、経済的な問題で進学はできなかったかもしれない、とも思います。

実際の私は、家族と一緒に北海道の高校に転校し、友達もできてそれなりに楽しかったし、神奈川にいたらできなかったいろんな経験をしました。
北海道内の大学に進学し、そこで今のダンナさんと出会ったわけだから、結果的には北海道に行ったことは私にとって良い選択だったのだと思います。

でも、「先生と一緒に暮らして北海道に行かなかった私」がいたとしたら、どんな人生を歩んでいたのかは、とっても興味深い!
それこそ、ドラマやマンガみたいな事件がたくさん起こっていたんだろうなあ…。

人生は大小問わず選択の連続。
そのタイミングによっては、選択できない場合もあります。
でも、選択ができなかったとしても、そのときそのときの状況に不満を持たず、毎日を楽しく過ごしていれば、「こっちのルートでよかった!」と思える日がくる。
今はそう思います。

次の選択、いつ来るかわかりませんが、
どんな選択でも、私は楽しく生きていくだろう、と確信できます。
それを教えてくれた、高校時代の「選択」でした。

ちなみに、「北海道に帰ってコンビニのオーナーになる」という選択をした父は、この3年後に膵臓ガンでこの世を去りました。
まだ47歳でした。
慣れないコンビニでの深夜勤務も、ガンに気づかなかった要因かもしれません。
あの選択が父にとって正しかったのかどうかはわかりません。
でもきっと、生まれ故郷で一国一城の主人として生涯を終えたのだから、いい選択だったのでしょうね。

※今回は、♯あの選択をしたから の投稿コンクールに参加しました。
長文読んでいただき、ありがとうございました!

#あの選択をしたから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?