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古い教科書のコピーに、いなくなった生徒を見つけた

国語の教科書にはいろんな教材があるので、教材ごとに資料や板書計画などをまとめています。
それらは仕分けファイルに入れていて、使う時だけ取り出して、授業用のファイルに移します。

だから、新しい単元に入るときは、一年ぶりに過去のプリント類と再会することになります。
大事な資料は何年も使うし、だんだん増えていくので、仕分けファイルから取り出したときに古いものは整理しています。

教員用教科書は借り物なので、
直接書き込みはしないのです。

三浦哲郎の「盆土産」。
えびフライを食べるときの『しゃおっ』という擬音語が印象的な作品です。
そろそろ授業で扱うので、仕分けファイルから出したところ、もう10年近く前の教科書のコピーが出てきました。
しばらく使っていない…というか、もういらないコピーなのですが、なぜか残っていたものです。
(整理をサボっていただけかな)

コピーには、懐かしい生徒の名前がたくさんメモされていました。
『印象に残った表現』を書いてもらい、誰がどこを選んだかを記録してあります。授業の中で指名するときの資料として作ったものです。
卒業以来会っていない生徒たちだし、下の名前しか書かれていませんが、結構顔が浮かんできます。

懐かしい!とか、あーこんな子いたな、なんて思いながらパラパラとコピーをめくっていたら、
中2の冬に突然亡くなってしまった生徒の名前があり、手が止まりました。

Aさん。

このときは元気だったのにな。
いや、亡くなる前日に話したときも、元気だったのにな。


Aさんは、ちょっとのんびりしているけれど明るい子で、宿題を忘れても「明日持ってきます〜」なんてニコニコしているのに結局持ってこないような…なんというか憎めない子でした。
仲良しのMさんといつも一緒で、絵が得意な子でした。

最後に話したのは「走れメロス」のこと。
課題の『メロス新聞』(走れメロスの登場人物にインタビューした体で新聞記事を書くもの)が締め切りまでに出ていなくて、廊下で会ったときに「ちょっと〜、メロス新聞できたの?」と聞きました。
そうしたら「まだです!完成しないかもしれないです!」なんて冗談を言っていたのに。
その翌日、彼女は自宅でヒートショックを起こし、亡くなってしまったのでした。
メロス新聞、本当に完成させないまま逝ってしまいました。

朝の臨時職員会で彼女が亡くなったことを知らされて、こんなに心が重くなることがあるのかと思いました。
あまりにも急で、あまりにも彼女は若くて。
一昨日までニコニコ笑っていたのに。
あの子がもうこの世にいないなんて。

臨時職員会議では、今日のAさんののクラスの授業について打ち合わせが行われました。
生徒には、朝の学活でAさんが亡くなったことを担任から伝える。
午前中の授業は、教科担任が行くけれど自習課題をやらせる。そんな気持ちになれない生徒もいるだろうから、提出はさせない。
5時間目は、簡単な作業。卒業生を送る会の準備を、できる生徒はやる。やりたくなければ強要はしない。
6時間目のことは忘れてしまいましたが、
私が受け持っている国語は5時間目でした。
作業って…。そんなのできる?

昼休みが終わって、Aさんのクラスに向かいました。
いつもは3分前に教室に行って、授業の準備をしたり生徒と雑談したりするのですが
(この学校は「チャイム3分前着席」というルールがかなり守られていました)
この日は廊下の曲がり角で足が止まってしまいました。チャイムが鳴るまでの時間をどうしていいか分からなくて。すぐに教室に入る気にはなれませんでした。

チャイムが鳴り、教室に入ると、真っ赤な目をしている子、うつむいている子。誰も声を発しません。
Aさんと仲がよかったMさんは机に突っ伏していました。
挨拶をして、「今日は、卒業生を送る会の装飾作りを手伝ってもらいます。できる人だけでいいです。折り紙を切って繋げて、カラフルな鎖を作ってください。先輩たちに感謝の思いが伝わるように、丁寧にお願いします」と伝えました。
Aさんのことには触れなくていいと言われていたし、触れることはできないと思いました。話題にしてしまったら、私も平気な顔をしていられないだろうから。

半分くらいの生徒が教室の前に集まり、静かに折り紙を切り始めました。
そのうち、「これでいいのかな?」「黄色の折り紙ある?」などと会話が始まり、手伝ってくれる生徒もポツポツと増えていきました。

私は自分の席で静かにしている生徒たちの様子を見に近くまで行きましたが、やっと起き上がったMさんに何か言えるわけもなく、ただ頭をポンポンするしかなく、作業をしている生徒たちの方に戻りました。

そのうち、お調子者のYくんが、「ヤバい!集中しすぎて、全部同じ色でつないじゃった!」と、2メートルにわたってピンクの輪が連なった鎖を持ち上げました。
「もー、Y何やってんの!」
「カラフルにって言われたじゃん!」
ツッコミとともに笑い声。いつもより元気はありませんでしたが、彼らが笑えたことにちょっとホッとしました。
「やっちまったー!」
Yくんも笑顔。天然なのかわざとなのか…。多分天然なのですが、彼の天然に私も救われました。そして、最後にはほぼ全員の生徒が手伝ってくれて、5時間目は終わりました。

後日、廊下を一人で歩くMさんを見かけたり、卒業生を送る会でひときわピンクが続く鎖を見つけたりしました。
そのたびにAさんのことを思い出して切なくなっていたけれど、時が経って、新しい生徒たちとの出会いがあって、感傷的な気持ちからは遠ざかっていました。

私のまだ短い教員生活を振り返っても、3人の生徒が亡くなりました。
事故だったり、病気だったり。
理由は何であれ、生徒が亡くなるのは本当に悲しいです。
中学生なんて、まだ何にでもなれる、何でもできる、可能性しかない時期なのに。

教員という仕事は、今目の前にいる生徒たちの人生に関わっています。
彼らの可能性を開かせる、または、たくさん可能性があることを知らせてあげる仕事。
それを忘れちゃダメですよ、と、古い教科書のコピーの中からAさんが教えてくれたような気がします。

Aさん、ありがとね!


#私の仕事

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