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確実にあるけど見えないものなーんだ

昨晩
スマートフォンの中に保存してある写真を、ハードディスクに移してくれない?

なんて母にお願いされて、パソコンをせっせと持ち込み
(cloudを使えば楽なんでしょうが、できる範囲がこれ)
ちまちま作業に取り掛かりました。


最初うまくいかなくて、動画が再生できなかったのですが
一度母の携帯から、私のパソコンにデータをコピーすると
うまいこと再生できました。


試しに姉家族にお願いされて、父が一緒に旅行に行った時の動画があったので再生してみました。


まだ甥っ子二人が小さく
新幹線が駅のホームに入り、駆け寄りそうになるところを父が手を引く
そんな様子から動画が始まり
座席に座るまでを姉が撮影したのでしょう。収められていました。


背が高いからちょっと猫背だったり、
こんな歩き方だったよなぁなんて、生前の父を一通り眺め


ほら、きれいに再生できてるよ。


と、隣に座る母を見ると
涙目。


・・・・・

ただ背中をさすることしかできませんでした。



亡くなって数年ですが、悲しみは全然消えてないのですよね。

ぱっと見、孫や親族・自分の母親の世話をするエネルギッシュ。
そんな風に他の人からは見えるようで


日常を忙しく過ごしているように見えると思います。



ところが
そんな簡単には「悲しみ」は消えないし
きっとずーっと残り続けていくんだろう。と思います。



私もとある人に
「悲しんでばかりいないで、お父さんに元気な姿を見せなきゃ」
と亡くなった1か月後に言われたことがあります。


なんと声をかけようとか
多分相手方も困ったんだと思います。
・・・・
・・・・


じゃぁ、何も言ってくれなくていいっすわ。
その時気持ちがスーッと冷えたのがわかりました。


そんなめそめそするんじゃないといわれているような気がしました。
(結構近しい人だっただけにかなり衝撃だったんだともいます。
近しくてもわかんないよね、とあきらめたのを覚えています)


同じ出来事に対して、親子であっても
感じ方は全く違うと思っています。


完全に母の悲しみは私にはわからないまま、生を終えるんじゃないかなということもわかっています。


ただそこにある悲しみにそっと寄り添っていけたらいいな
いつもは隠れていて、たまに出てくる
その時にはまたそっと背中をさすってあげられたらいいなと思います。


写真はかなり多いのですが、ぼちぼち進めようかな。

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