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その声をあげてもらえれば

昨日はどうしたの?みんな夏休み中に示し合わせたの?
そんな相談の数でした。
今日も最初の相談枠に予約。

今日の学生さんは先週一度来ていましたので、その後どうなったかなぁと気になりつつ話を聴いていきます。

聴いていくにつれ”結構精神的に参っちゃっているのでは”と
そんな言動が目立ってきます。


その学生さんも「対誰かとの間で起きたこと」を発端に迷い続けて
前回相談の時に考えたやり方、考えて決断を下したのですが
やっぱり後悔が残っているようでした。

頭の中でずっと考え続けて、参ってしまった。
それが体調面に出てきている。といった様子。


語弊を恐れず率直な私の胸の内は「よかった」

そう、よかったんです。

このよかった、は今置かれている現状とか
学生さんの抱いている感情の話ではありません。


自分に対しての後悔や
他者に対する気持ちを抱えきれずに
そのまましまっておかずに
「どうしよう」
「助けてほしい」
辛い中でも、今日相談で聴いてほしい!とアクションをとったことに。


辛くても、悲しくても
「こんなことでくよくよしてはいけない。他の人はもっとつらいはず」

こうやって、自分の感情を”ないもの””存在を認めない”こととして
がまんという「フタ」をする人を見かけることがあります。

そのフタ、そんなに耐久性ありませんよ。ほらもうヒビが‥‥

そんな風に肩をたたいてお知らせしたい。


今日の学生さんのように「どうにもならないんです」と
助けてを言ってもらえると
じゃぁ、私のできる範囲になりますが…
そんな枕詞をつぶやきつつ、本当にできる範囲で話を聴き交通整理ができるのです。


ただ、その感情をおしこめて蓋をして我慢していたら…?
助けてほしいという自覚がそもそもなかったとしたら…?


想定するだけでぞっとします。


人と比べて自分なんてそうでもないよ

っていう基準て、全部なくせってわけではないのですが
自分の感覚で辛かったらそれが事実じゃないですか?


ちょっとでもその感覚を大事に
無いものにしないでもらえると
微力ながら、お力添えできるよう、万全の態勢で臨んでおります。

その感覚を信じてみることを、ぜひぜひお願いしたいところです。

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