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おもしろも、しんどいなぁも

人に「おすすめですよ」という事は
実際私がやってみたことをベースにお伝えすることが多い。
…まぁ、そのような事を尋ねられることがほぼないので伝えることはあまりありませんし、相談者にはあまりしません。

相談者には「という考え方もあるんですよねぇ」というぼやかした言い方を。

ごく親しい人にも「おススメだよ!」という直接的に言うというよりは
自分がやって楽しいんだよなー!という様子を見て
「おもしろそうだから一緒にやってもいい?」と言われて
いいね!おもしろいよ~。と最終的には取り入れてくれているという感じ。


そんなわけで、70代の母も毎日運動する習慣が付いたそうです。
すっきりするし、夜眠りが深くなったそうでほっとしております。


こういう自分がやってみてのおススメは、運動とか猫を愛でるとか多肉植物とかおいしいカレー屋さんだとか…(以下割愛)
その様な個人的な趣味炸裂というもの以外でも大事だよなと思います。

ところがどっこい

趣味炸裂というもの以外はどうも、うまいこと活かされていない気がします。

特に仕事。
例えば相談者に自己分析について尋ねられた時に
「自己分析、こんなにおもしろくて」という事ではなく
「如何に将来役立つか、実際何につながるか」と面白さ完全排除という内容になってしまっていることに気が付きました。

確かにメリットについて話すことは大事。
じゃぁやってみようかな、につながる可能性があるかもしれませんし。

ただ、メリットあるだけでいいのか?というとそれも違う気がして
勉強すれば将来の選択肢が広がるよ!と言われてはぁそうですねぇと
頭ではわかると思うんですが、一つ行動することにつながる…のかなぁ。

メリットあるんだぁ。じゃぁやるかぁ。と「必要に応じて」取り掛かることも一つですが
これ、めちゃ面白そうやん!と感じて動くと
その人にとってスッと「面白そうだからやるぜ」と自己選択した感じがあるのかな…と勝手な推測をしています。


自己分析は自分になぜなにを問いかけて
見たくもなーい自分を自分をぐっと受け止める認識でいるので
そうか、必要性に逃げてしまったんだな私。と気が付きます。

一種どろどろとした部分をみても
「そうかい、受け止めるのは辛いがこんな一面が見えておもしろくなってきたぜ」と体感していくために私自身が自己理解を再度じっくりやってみようと思います。

面白いと思えるか…さて楽しみになってきたぞ。

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