見守る勇気を
植物や猫ちゃんと暮していると
「もうだめかも」とコッチ(育てている・お仕えしている)の立場で感じる場面が結構出てきます。
猫ちゃんに関しては食事しないとか、体調悪そうとか、血尿が出るとか…(無限に出る心配事)
もうダメかもしれないと眠れず涙ぐみ部屋の隅で体育座りすること数え切れず。
植物に関しても
葉っぱが透明になる、茎が真っ黒になる、散る…など
これまた涙ぐみ、ハサミと殺菌・殺虫剤を片手に肩を落としまくっています。
植物に関しては、葉っぱの色が透明になったら危険信号で透明葉っぱをむしり取り、根っこを切り落とし、黒い茎をこそげ落とす…
そうすると、根っこもなければ葉っぱの数も減り
茎もほとんど原型をとどめておらず、まぁだめでしょ感は漂います。
そんな多肉植物が一人いまして、しばらく休養させていました
(という名の何もしない。いじりすぎるとよくないので我慢の放置)
昨日どうだい?調子は。と言いながらひっくり返すと
新しいピンクの根っこがボーボーになっていました。
おどろいて、思わず落としそうになりました。
猫ちゃんもそうです。腎臓の稼働率が低下して随分悲観的になりました。
もうダメだ…と
ただあれから食欲はカムバック、膀胱炎で数日落ちましたが
「なにかくれくれ」コールは今朝も鳴り響いていました。
コッチ側が勝手に判断してはならぬ。
以前も肝に銘じたはずですが
コッチ側の私は精神的に強靭なタイプでは全くありませんので
ちょーっとしたことで右往、左往。
挙句の果てには本猫、本植物たちをよそに「もうだめだ」と判断してしまいます。
何べんやっても変わりません。
それだけ悲観するってことは大事に思っているのは間違いないことなのですけどね。それにしても、です。
もっとそれぞれが持つ力を信じましょうか。
彼らは結構たくましいのです。植物も猫ちゃんも。
確かにお世話はしなければ自分たちでできないことも多い。
ただ、力はあります。
だから心配しすぎず構いすぎず。
…そして絶対必要な介入する。見逃しはしない。
見守りも必要なんだなと感じた週末でした。
いやー、猫ちゃんと植物に関しては見守るがいっちばん苦手だわー
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