"経験値"のあるべき姿を考える

こんばんは。

人生や日々の仕事において、経験がものを言う局面はたくさんあるかと思います。
仕事面で言えば、上司は若手よりも経験があるのは当たり前です。だから仕事は、学校の勉強と異なり人や環境から学んでいくウエイトが大きい。
そして自らも経験を積んで成長していくのだと思います。

話は変わって、
現在の与党が目指している「成長と分配の好循環」についての記事を新聞でよく目にします。
デジタルで各産業の生産性を向上するといったことや、科研費の予算を増額するなど、好循環の基点となる成長の実現に向けての施策が打ち出されています。

一ミレニアル世代の社会人として考えた時、自分の関わっている業界の生産性を上げるのに最も大切なことは何か?
(高度成長期を経験していないので、日々の仕事をこなしていれば給料が上がるという感覚を知らない世代?)

与党の政策がこれからの日本社会全般の成長に対するものであれば、自分の仕事(土木技術領域)では具体的に何が成長の足枷となり得るか?

色々考えました。
そこでカギとなってくるのが"経験値"です。
経験値は以下の3種に大別し、具体例を私の仕事分野で記述します。

・知識的経験値(知っているか否かの違い)
・行動的経験値(やったことがあるか否かによる違い)
・思考的経験値(文脈に対する思考法による違い)

土木分野では、"新しい構造物の建設"の時代から、
"既にある構造物の維持管理"の時代へと移り変わって来ています。
これが何を意味するかというと、
「構造物の造り方(設計)」を実務で経験することが難しい時代になったということです。
"知識的経験値"は書店にある設計入門書を理解すればある程度分かりますが、実際に設計業務をやることで生まれ行われる行動や思考は経験できません。

3種の経験値から成るトータルの経験値において、
"行動"と"思考"のウエイトは大きいと感じます。
仕事内容が高度・高次になるほどその傾向はあるのではないでしょうか?
(知識的経験値は先に"行動"が成されることで、自らに足りていない知識を認知できるという側面があるため)

自分の仕事以外の分野においては上記の考え方が成り立つか分かりませんが、通ずる部分はあるのでは?と思っています。

経済成長を支える具体性の第一線には、社会人の若手がいかにして良質な経験を積み成長できるかという課題があると思っています。
(少子高齢社会化及び、生産年齢人口における若年層の割合を考えると、一人あたりの生産性向上が経済成長には不可欠なため。)

仕事において欠かせない知識や考え方を学べる機会を提供することが、経験値(を持つ人たち)のあるべき姿です。

経験値は自分とは違った経験をしてきた他者に共有されるものであり、未経験者にマウントを取るためのものでは決してないのです。

他者は自分とは異なる人生経験をしています。
年齢や性別は関係なく、謙虚に他人から学び自らも経験から学んだことを共有できる環境が当たり前の社会になってほしいものです。

少し話が大きくなりましたが、
これからの人生で他人の様々な経験値に触れられることを楽しみに明日からも仕事をがんばりたいと思います。

それでは。


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