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絵で考える人、言葉で考える人

ここ最近「人の才能、能力を開花させるためにどうすればよいか」をテーマに、色々と情報を探したり、本を読んでいたりしていた。

そんな折に出会ったのが、好きなYouTubeチャンネル「ゆる言語学ラジオ」で紹介されていた『ビジュアル・シンカーの脳』という本。

人の才能、能力を意識するために非常に重要な考え方を教えてくれる本だったので、まとめと思ったことなどを書いてみたいと思う。

思考タイプの分類

この本で定義されている思考タイプは、言語思考者と視覚思考者のまず二つに分かれると記載されている。

①言語思考者
…一般的な概念を理解することが得意で、時間の感覚には優れるが、方向感覚は弱い。プリントをバインダーにファイリングして整理したり、PCのデスクトップのフォルダ整理もする几帳面さもある。口が達者で、社交的。

②視覚思考者
…頭の中でイメージを持ち、高速で連想する。地図や絵画、迷路が好きで、一度しか行ったことのない場所も行ける。子供の頃に話し始めるのが遅く、代数は抽象的で苦手。実作業に直接関係することを考えるのが得意。

さらに、視覚思考の中で、物体視覚思考者と空間視覚思考者に分かれる。

②-1 物体視覚思考者
…写真のように正確なイメージで周りを見る。コンピューターの組み立てが得意なことが多い。

②-2 空間視覚思考者
…パターンと抽象的な概念で周りを見ている。プログラムのパターンを見出すプログラマはここに当てはまることが多い。

この3タイプの人に、未知の惑星の絵を描いてもらうと、異なるタイプの絵を描いてもらった結果は以下の通りだ。

物体視覚思考者の場合は、色鮮やかで、ファンタスティックな惑星を描き、空間視覚思考者の場合は、明確なコンセプトは持ちつつも、球体に色はなく、よくあるタイプの惑星を描いた。
言語思考者の場合は、想像力に欠け、点描の抽象画のような絵を描いた。

それぞれの特徴が前面に出た結果だと思う。
本にはこの他にも、歴代の天才たちのビジュアルシンカー的な特徴などを挙げているが、一旦各思考タイプの特性の概要は上記の通りである。

思考パターンからそもそも違う人間

普段「どうやって物事考えてる?」なんて、他人に聞くことはない。だから、人の思考パターンを意識すること自体、この本を通して初めて行った。

この本がなければ、思考方法が他人と違うことすら、一生気がつかない可能性があっただろう。

言語思考者であれば、ある程度そのまま人に伝えることは容易いかもしれないが、視覚思考者が絵で考えたものを言語に変換して伝えるなど、容易ではないだろう。

本にも記載があるが、ビジュアルシンカーは、言語で設計された学校のテストでは、本来の力を発揮しづらい部分がある。

そう考えると、ビジュアルシンカーの特性を持って生まれた人は、かなり生きづらい世界で生きていると考えて良さそうだ。

本の中にビジュアルシンカーであるかの18項目のチェックリストがあり、これに10個以上チェックがつくと、ビジュアルシンカーと思われる、とのことだ。

私は8-9個くらいで、ビジュアルシンカー寄りの思考者に当てはまりそうだ。思考法について振り返ってみると、ビジュアルで考えることも、言語で考えることも両方あるなぁという感覚だった。

本でも、言語思考、物体視覚思考、空間視覚思考のどれか一つではなくグラデーションになると記載もあり、どれか一つだけ、と考えるのではなく、どの傾向かあるか・強いか、という視点で考えるのがよさそうだ。

私の場合は、イメージの浮かびやすい単語や文章などは絵、プログラムを考える時は空間視覚思考、もやもやと悩んでいる時は言語思考、のようなイメージだ。

過去、仕事でプログラムを書いていたので、それを考えると空間視覚思考はわりと得意な方なかもしれないと思った。

ただ、街中の景色や物の見た目など、あまり精緻なビジュアルは覚えていないことが多いので、ざっくり見ている程度で、物体視覚思考者の性質は弱めなのかもしれない。

こうやって、「普段どう考えてるか?」を振り返ると意外と知らない自分を発見できるので、ぜひ試してみてほしい。

言語化だけが正義なのだろうか

言語化できる人、喋りが上手い人が、世の中では持て囃されがちだ。

けれども、それは"目立ちやすい"からそうなっているだけで、言語化が上手いことだけが、優れていて価値があることだとは、断言できないのではないだろうか。

私も「言語化ができなければ社会でやっていけないのでは?」という危機感で、「言語化」「話し方」みたいなキーワードのつく本を読み漁っていた時期があった。

確かにある程度は、練習や意識をすればできる部分もあった。ただ、喋りに関しては才能として生まれ持ったものではない、という感覚があり、そこを極めることが自分のベストではないとも思っていた。

ビジュアルシンカーだからといって、一概に言語化をする努力をしない、というのは極端すぎる。けれども、それぞれの人に得意不得意は存在するのは事実なので、その領域に合わせた力の伸ばし方、活かし方をすることは重要だと思う。

私自身も以前は言語化だけが正義、と思い込んでいたので、「とにかく言語化だ!」と思って、このnoteやXを始めた。

それらを始めて、言語化できる力やスピードは確実に上がっている感覚がある。だから、今後も継続していきたいとは思うが、言語化だけにとらわれず、もっとぴったりくる表現方法があるのかもしれない、と視野を広げてもらった感覚だ。

好きでもなく苦手な土俵では、努力するにも力が入らないし、頑張ってもなかなか成果が出づらい。私はそういうフィールドで、特に仕事などでは、頑張ろうとしていた。

それだと、やっぱり何となく合わないと感じるし、このフィールドでずっとやっていこう、とも信じきれないのだ。

そういうミスマッチを世の中から少しでも減らせれば、自分に自信をもって活躍できる人が一人でも増えるのでは、というのが私の信念でもある。

また同時に、自分には想像し得ない才能や能力を生まれ持った人がいる、と知ることで、心も広くなれる。

いつもなぜか分かり合えない、噛み合わない人のことも、「もしかしたら自分と全然違う思考法なのかも?」と思えれば、ちょっぴり、ほんの少しでも、理解してあげられるきっかけになるのではと思っている。

ビジュアルシンカーの本は、個性や能力、才能を整理する上でも、異なる性質を持つ人への理解を深めるためにも、非常に参考になる。今後、どんな思考者なのか、という視点でも人を見ていきたいと思う。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

salar


P.S.

ちなみに、ビジュアルシンカーの本は、タイトルとは裏腹に、ビジュアルはなく言語のみで書かれているので、ビジュアルシンカーの方が読むのは少し苦労するかもしれません…。(私も読んでいて、さらっと読める系の本ではないな、という印象でした。)

言語思考者に対して、ビジュアルシンカーとは何か伝えるという意味では成功している本だと思います!

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