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虎に翼111話)重遠の孫)

原爆裁判 準備手続 

漆間「ほかに主張されたいことはありますか?」

反町「いいえ」
雲野「ありません」

漆間「双方 これで基本的に主張されたいことはない ということで
準備手続を終了したいと思います」
昭和34年11月。

   ・・・・・

汐見「ここからが本当の
始まりです。
あの戦争をどう捉えるのか
という難しい問題を含む
裁判ですから
誠心誠意 臨みましょう」

漆間「この4年間ずっと
向き合ってきて
僕の感情は抜きにして  
原爆の被害者である
原告側が求めることを
法的に認めるのは・・・」

汐見「うん。
日本にもアメリカにも
賠償責任があることを
法的に立証するのは難しいと思う。国は早期の結審を求めてくるでしょう。
でも我々は法の下
法廷の場で
全ての論点について
議論を尽しましょう


寅子 漆間「はい」

   ・・・・・

雲野「第1回 口頭弁論の期日は
来年の2月8日となった。
2人とも是非傍聴してもらいたい」

「もちろんです。なあ?」
よね「ああ」

雲野「損害賠償の訴えが認められれば国に賠償を求める人間が何万 いや...何十万と現れる。
政府は何としても その事態を阻止しようとするに違いない。
それでもやらねばならん。
決して風化させないためにも今 動かなければ・・・」

雲野たおれる
よね「先生!」
雲野先生!」

📞「急なことで驚いたよな佐田には先に伝えておこうと思ってな」
📞よね「お前は来るな。
葬儀にも ここにも。
原爆の裁判
お前 関わっているんだろ。
判決に難癖
つけられたくないだろ?」
📞寅子よねさんありがとう。
私の分まで手を合わせてきて」
📞よね「ああ」

   ・・・・・

岩居「原告たちが不安がってる。
雲野先生亡き今
この訴訟は無理なのでは
って。
俺も無理だと思う」
岩居先生」

岩居「そもそも彼らは
必ずしも裁判に
乗り気じゃなかった」
雲野先生に手伝いを求められたあと広島と長崎に行ってきました」
よね「一体彼らはいつまで耐え続けなければいけないんだ?」

やっと裁判が開かれる
ところまで来たんです。
あなただって本当は
雲野先生の遺志を
こんなところで途絶え
させたくないはずだ!」
よね「やりましょうよ岩居先生」

年が明けた昭和35年1月。
日米安保条約の改定が行われ日米の協力体制が強化されたその翌月。原爆裁判第一回口頭弁論。

汐見「開延します。
それでは要約調書に基づき
準備手続の結果陳述でよろしいですね」

岩居「裁判長 いま一度訴状の骨子を法廷で陳述してもよろしいでしょうか?」
汐見「簡潔にお願いします」

岩居「提訴から既に5年。
救いの手を待つ彼らを
あまりに待たせ過ぎたことは
極めて残念です。
昭和20年8月。
広島 長崎への原爆投下
により原告やその家族
多くの広島市民長崎市民が
被害に遭われました。
民間人を無差別に殺害
苦痛を与えた原爆投下は
人道に反する国際法違反
であり米国は被爆者に対して
損害賠償を支払う
義務があります。
しかし 政府は 平和条約により
戦争によって生じた一切の
損害賠償請求権放棄している。
これは 国民の財産権
侵害したことにほかならない。
政府は米国に代わり
これを補償するべきであります。
以上の論理の下
損害賠償を求めます

竹中記者 傍聴席に出現。

   ・・・・・

の方針は公訴棄却 早期結審。
原告は戦争責任追及 賠償請求。
汐見の方針は「全ての論点について議論を尽」す。

「司法裁判」と「家族裁判」は、どこが同じで どこが違う?
そして、どちらが上等だろうか⁇?
          光

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