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日記 : タイムマシンにじょうずに乗れない人間は


このnoteは、わたしが日々のちいさなできごとを備忘録的に書き留める、ひとりごとみたいな日記です。飾らず無理せず、素直に生きるための練習でもあります。結構投稿遅れちゃったけど、今日で3日目!

ちなみに日記の総称を「瑣末な日々のアラカルト」としたんだけど、noteのタイトルとしてはいかにもカッコつけてておもんなさそうなので、今日からその日の日記のタイトルを、そのままnoteのタイトルにしています。見てもらいたいという商魂が逞しすぎてほんとうに申し訳ない。

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230628-230708_タイムマシンにじょうずに乗れない人間は

クッッッッッッッッッッッッッソサボった!!!!!!!!!
日記を、ですね、すげえサボりました!!!!!!!カカカ

だがしかし、いくらサボっても最後に続けていたらそれは継続だと思っているので、大丈夫。ちなみにしんどいときは、「うわ〜〜〜〜大丈夫、実は大丈夫、まじで大丈夫なんだよな〜〜〜〜〜」などと唱えつつ我武者羅に動いてみると、ほんとうに大丈夫な気がしてくるのでやってみてほしい。

わたしが日記をサボっているそのあいだにも、大学で突然知らない人に「人生の目的はなんだと思いますか?」と聞かれたり、IVSというスタートアップ(スタートアップとは起業の形態のひとつ)のイベントのために京都に行って友達がたくさんできたり(ゆるふわ参加すぎてウケるな)、ひとり日帰り温泉に入って自由な大人ムーブを堪能したり、週に1回友達とやっている自己肯定感について話し合う会で「モチベーションって、突き詰めると社会規範的な強迫観念(つよい言葉だけど)由来なことがおおいのでは?」というなんとも世知辛い結論に至ったり、いろんな出来事があった。

だれにも見せない日記はシコシコと書いているけど、人に見せる用のこの日記はしばらく書けなかった。書く手が止まった理由としては、人生に迷っていること。何者でもない自分が、なにを書けばいいかわからなくなったこと。バカ壮大ですみません。



正直わたしは、ほんとうにたくさんの、前向きでたのしい生き方をする友達や先輩や上司に恵まれている。超面白いSNSクリエイターの仲間もいるし、絵とか文章とか表現することを生業にしている友達も、起業してたくましく資本主義を生き抜いている先輩も、世の中に楽しみを企てつづける大人も、就活を立派にやり抜いた同級生も、かたや将来についてアグレッシブに模索している大学1年生の後輩もいる。

わたしはそれぞれの人生についての話を聞くことが大好きで、全員を余すことなく超絶リスペクトしているのだけど、そのぶんすべての生き方たちが、あらゆる角度からわたしの四肢を絡め取って引っ張ってくる。


自分語りをしてしまうと(全部自分語りか)、わたしは普段、髪をピンクの姫カットにしていたり、わりと個性的な色や形の服を着ていたり、今のところ大学生をしながら自己肯定感についての発信をしたり、企画の仕事をしたりしながら生きていて、「自分軸を持っていて楽しそう」「ポジティブでいいね」「今らしい働き方でキラキラしているね」と言われることが多い。

けどその実わたしは、クソほど考えすぎで、斜に構えていて、悲観的で、だいぶ生きづらい人間である。なんなら派手な格好をしているのは、もちろん可愛いからというのもあるけど実は、他人からダルいレッテルを貼られる前に見た目のインパクトで「女性」「大学生」「悩んでいる」「無個性」といった複数の土俵から降りる、百人一首決まり字戦法(そんなものはない)の一環でもある。ちなみに誰に言われるでもなく書き始めたくせに、この文章も徐々に恥ずかしくなってきてつらい。太宰かよ。

そんな治療不可人間(ひどい言葉だけど仲良しの友達に言われてめちゃくちゃしっくりきて泣きながら大笑いしてしまった)なわたしは、人間なんてみんな何者でもないのに、職業、性別、年齢、なにかの枠に納得してしっかりはまって、「自分はこれでぶち上がっていくぞ」、あるいは「こういう立場でこう悩んでいる」「自分の幸せはこうだからこう生きていく」などと言えることが、ほんとうにすごいなと感じてしまう。

わたしは「女だから」という理由でなにかを強いられたり諦められるのがすごく嫌だし(一時期己が女であることがつらすぎてスカートが履けなかった)、年齢を言った時に「大学3年生……就活の時期だよね!」と言われるのが無理すぎて就活をしなかったし(もちろんほかの理由もあるけど)、かといって「フォロワーさんがたくさんいてすごいインフルエンサーですね!」と言われるのもなんかつらいし、稼いでる、稼いでない、仕事ができる、できない、みたいなのももちろん嫌いだし、なのに「学生でインフルエンサー、お小遣いぐらい稼いじゃってるの!?」とか言われたときはマジでムッときてしまった。

根底にナメられたくないというメラメラな気持ちはありつつ、「何者であるか」「できる、できない」みたいなフィルターを通して会話するのは、やっぱり窮屈でつらいと思ってしまう。もっと、目玉焼きにはなにをかけて食べるとか、今のところ人生でいちばん大切なものはなにかとか、最近恥ずかしかったはなしとか、そういうことを人類全員としたい。ありのままがなにか定義するのは難しいけど、それでもなるべくありのままを認め合って生きていたい。エゴまみればぶちゃんはわたしです。


イキイキと自分の道を生きるということは、タイムマシンに乗っている状態に近いと思う。人生の目的に向かうマシンに乗って、濃密で、その分ものすごいスピードで日々を過ごして、ビューンとたのしく終わりまで向かう。乗っている間は起きていられて、いつでも方向転換ができて、でも時空の流れはじょうずに乗りこなす。

一方治療不可人間のわたしは、一度タイムマシンに乗ると、窓から見える景色がこの世のすべてと思い込んで方向転換なんてできないんじゃないかと思ってしまうし、チクチクマウント人間から攻撃を受けたらタイムマシンがベッコベコになってしまいそうで心配だし、一度乗り込んだタイムマシンから外に出ようものなら、息ができなくてもがき苦しんだ末に死んでしまうのではないかと思う。

思うけど同時に、辛いのは絶対にわたしだけではないので、悲劇のヒロイン面をしてはならないぞ、とも強く思う。隣の芝が青く見えるのは、青い理由を知らないだけで、みんなせっせと毎日水をやって、害虫に泣いて、外に出るのがダルくても、芝が青くあるようにと必死に努力している。


最近は、なんとか己の力で斜構(シャカマ:斜に構えていること)を治療するために、まずは目の前の現実に感じられる愛の総量を増やすようにがんばってみたり、こうやって楽しんで書ける日記をつづけてみたり、外見至上主義に基づく恐怖心を解き放つためにコンビニで成分表示の脂質量と糖質量を見ずにごはんを買ってみたり、我武者羅でも、休みながらでも、方向がおかしくても、とにかくあらゆる主体的な欲望の火種、つまり「確固たる意志を持った何者かであること」の火種を絶やさないようにしている。わたしなりの、「うわ〜〜〜〜大丈夫、実は大丈夫、まじで大丈夫なんだよな〜〜〜〜〜」を、ひとまずやってみている。

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