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【留学】異文化理解ってどこまで相手を許容するべき?

こんにちは。
今日はこの間別の国に留学中のお友達と電話でお話した時に考えた異文化理解の上限というか、異文化理解という言葉で許容される範囲ってどこなんだろう?私の気持ちと相手の当たり前、どっちが大事なんだろうということを考えてみたいと思います💭

お友達とのお話

まずはこのことを考えるきっかけになったお友達との話を皆さんにもシェアします。

お友達はヨーロッパのとある国に留学中なのですが、やっぱりヨーロッパの方のパーソナルスペースと日本人の友達のパーソナルスペースには大きな違いがあるみたい、、
それを理解することは出来てもいざ実践となると難しいというのが今回のお話のきっかけ。

私自身もパーソナルスペースは広めの人間で、たとえ相手が親友であってもベタベタするのは好きではないです、。お友達も親友レベルならまだしも留学中に出会った人はまだあったばかりのカテゴリにはいるらしく、そんな相手に言い方悪いですがズカズカこられるのはちょっとという感じ。。。
欧米文化のチークキスやハグはきっと自分たちにはそういう文化もあると理解出来てもその文化の当人となって受け入れることは出来ないんじゃないかな、、相手にとっては当たり前だしなんなら好意を示してくれているはずなのに、それを受け入れられないのはなんだか申し訳ないし悲しいね、、。という話をしました。

私にもタイでできたヨーロッパ圏の友人(異性)がいるのですが、距離の近さにドギマギしたことがあります、、、💦
でも不慣れな英語であまり触らないで欲しいと交友関係を崩さないよう気遣いながら伝えるってまあまあ難易度高いですよね、、。

どれが正解かという結論は出せませんでしたし、そう簡単に結論が出るのなら異文化理解、異文化共生に関する学問がここまで深く研究されないよって話ですよね。
と、言うわけなので今日はさらにその後タイ人の友人にたいして感じたジレンマ的なものを書いてみたいと思います。

許容できないと感じたタイ人の当たり前

日本でほとんどの時間を過ごしてきた私ですが、こちらに来て食に対しての意識がとっても日本人らしいなと感じました。
それが何かと言うと、ご飯を残さず食べる。ということ。
少し前に話題になったもったいない精神ですね。
私は日本の食への貪欲さというかご飯大好きなところ(偏見混じってるかもです)大好きで誇らしく思っているので、自分にもしっかりその感覚があること自体はとても誇らしかったです。
それにこれ、日本にいる時はみーーーんなこの感覚を持ってたのであまり強く感じなかったんです。
だからこそもったいない精神なんて意識しないし、自分がその感覚を持ってるかも当たり前すぎて確認しなかったんでしょう。

ところがどっこいタイでは逆に食事を残すことが当たり前なんです。(タイ人みんなかはわからないです!少なくとも私の周りの友人は、という話です🙏🏼)

私たちが集まれ集まれをしてご飯粒を残さずに食べるのが普通としたらそういうことをせずに残ったままごちそうさまをする、というのが当たり前なのかも。
これ小さいことですが文化の違いに当てはまると思うんです。
一緒に食事をしていたらやっぱり目に付くしきになってしまう。
私は両親から美味しいもの沢山食べさせてもらって、そのうえでご飯を食べるということ、他の命を頂いているということをよくよく教えてもらって育ったので、他人が残してるのすら罪悪感というか、胸の当たりがモヤモヤする感じで正直しんどいです。

とはいえ、他人の当たり前を変えるのはとても難しいことで、ましてやこの件に関しては私自身が直接被害を受けている訳でもない。
よく他人の3秒で変えられないことは言うな。
とかも言いますし、ご飯を残さず食べるっていうことを100パーセント正しいことと思っているのは私だけでそれを他の人に押し付けることはきっと正義の押しつけになってしまう。
そんな人にはなりたくないなあ。
ならどうするか、私には距離を置くかこのまま耐えるという案しか出ませんでした、笑
大好きな友人たちなので距離も起きたくないとなればひとまず私のモヤモヤした気持ちを押し込んで耐えるしかないのかなあと今は思っています。

ここまで読んでくださった方でこうすればいいんじゃないかな!って案があればぜひぜひ共有していただきたいです。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。

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