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【社寺001】高山寺

京都駅からバスで約50分。

市街地の喧騒を離れ、やがては日本海に抜ける周山街道を北上すると京都の「三尾」にたどり着く。

京都の「三尾(さんび)」とは、高雄・槇尾・栂ノ尾のことであり、今日とり上げるのはその一番奥に位置する栂ノ尾・高山寺である。

無事故無違反無運転(そしてゴールド免許)の私はバイクも車も使うことなく、ジェイアール西日本バスで当地へ向かった。ほかに京都市バスを使用してもいくことができる。どちらに乗ってもよい。

以前は京都駅から乗ると580円(多分)の運賃がかかっていたが、最近は均一運賃の区間が高雄まで拡張されたらしく、京都市街地に向かう際と同様230円の運賃で当地へ向かうことができる。もちろん一日乗車券も使用可能だ。

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バスを降り、若干来た道を戻るかたちでいよいよ高山寺に入山する。バス停からは裏参道が便利だ。

ここ高山寺は開創は未詳であるものの、文覚(1139-1203)が神護寺の別院とし、1206年には明恵(高弁)が華厳宗の道場としたことで知られている。

明恵は栄西とも親交があり、栄西が入宋した際に入手した茶の種子をもとに当地で栽培をはじめ、この栂尾茶が宇治の地に移され宇治茶となった。

なお、明恵が宇治に移植した場所は黄檗宗の萬福寺の門前にある駒蹄影園跡碑(こまのあしかげえんあとひ)にしのぶことができる。

さて、裏参道をのぼっていくとまず右手に石水院が見えてくる。鎌倉時代につくられた堂宇で、明恵の時代唯一の遺構。現在の位置にうつされたのは近代になってからだそうだ。

ここは高山寺の中心的な建物であり、拝観料をこちらで払って中に入る。鳥獣戯画や明恵上人樹上坐禅図のグッズもここで買える。というかここでしか買えない。人がいないのだ。

受付を済ませ、狭い廊下を抜けるとかつて「春日・住吉明神の拝殿であった」西正面、庇の間にいたる。

開け放された蔀戸の先に見える山々の景色とあいまって突き抜けるような開放的な空間がひろがっており、明恵が敬愛したとされる善財童子の像がぽつんと置かれている。

堂内は撮影禁止であったから、ここでその光景をお見せする準備はないが、これだけでも山道を上ってきたかいがあろうと思う、そんな景色であった。

石水院を出るとさらに山道が続き、開山堂、明恵上人御廟、仏足石、金堂の順でまわることができ、最後に表参道にもどってくるかたちになる。

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山深い、人影もまばらな寺院であったが、歴史の息遣いと人を包み込んでくれる自然のやさしさが確かに感じられる場所であった。


我は師をば儲けたし、弟子はほしからず。
尋常(よのつね)は、聊かの事あれば師には成りたがれども、
人に随ひて一生弟子とは成りたがらぬにや。


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