作品創作に使えそうな西洋音楽の話1,ざっくり音楽史解説、中世〜20世紀まで
こんにちは。Vtuberのさくやです。
創作に使えそうな西洋音楽のお話を更新していく予定です。
まえがきはこちら
大雑把に、各世紀の西洋音楽について解説して参ります。本当に大雑把です。
それでも長く文字数の多い記事となりますが
今回は分断しないで音楽史の流れを説明することを目的とします。
どのジャンルの歴史でもそうですが、〇〇時代、〇〇様式と分けられてはいても、ある日突然時代が変わるわけでは無くて前の時代からの流れがあることが必然なので、今回はその流れを何となく知っていただき、創作に活かしていただければといったところです。
最後に参考資料をお伝えしますので、もし気になりましたら是非そちらで詳しく知識を深めていっていただければと思います。
さて、早速参りましょう。
4〜7世紀
ゲルマン民族の大移動を経てヨーロッパ社会の基盤が作られていく時代です。
この民族大移動などで社会全体がごちゃごちゃしていたので、
ローマ帝国のテオドシウス帝が、社会生活のマニュアルをキリスト教に準じようと決めました。
これによって中世ヨーロッパ社会というものが確立していきます。
人々が教会でお祈りを唱えるのが日課となる中で、
それらが次第にリズムやこぶしを伴っていき、歌のようなものが生まれていきます。
8~11世紀
お祈りの歌といっても当然その教会ごと、地域ごと、地方ごとに違いが出てくるのが自然です。
それらをまとめて記録、編纂する作業をグレゴリウス2世が行いました。散らばっていた歌たちはすっきりと統一され、それらは「グレゴリオ聖歌」と呼ばれるようになりました。
このグレゴリオ聖歌は「クラシック音楽」(西洋芸術音楽)の元祖と呼ばれており、現在でも演奏や鑑賞が可能です。
グレゴリウス1世や2世が作曲した歌、というわけではないので、一応覚えておきましょう。
(作曲者は不明、歌を集めて記録した人がグレゴリウス2世です。)
グレゴリオ聖歌が西洋芸術音楽の元祖、といわれるのは、当時大層な貴重品であった紙(羊皮紙)に記録されることを許された存在だったからです。記録が残っていたから、後々にその水脈のようなものを広げることができたというわけですね。
そう考えると、記録の残っていない名曲や、
キリスト教以前の、土着の神などに捧げていた祈りの歌など、永久に失われた音楽というのもきっと数知れないのでしょう。
12世紀頃
ノートルダム楽派、という人たちが台頭してきます。
その名の通りフランス・パリのノートルダム大聖堂で活動していた音楽家のことを指します。
彼らによってオルガヌムという様式が生まれ、聖歌にハーモニーが生まれるようになります。
とはいっても「ハモリ」で想像するところの「ドミソ」の三和音ではなく、「ドソ」など五度を基調にしたハーモニーで、
その響きのイメージは「硬い、冷たい、神秘的」なものです。
12世紀といえば「12世紀ルネサンス」「中世の秋」とも呼ばれる、後世のルネサンス運動にも繋がる文化的な進展が見られた時期でもあり、同時に「黒死病」などの感染症の大流行、そしてそれらの社会不安による「異端審問」「魔女狩り」などが横行した時期でもありました。
このオルガヌムは、ハーモニーの誕生、発展という文化的進展と、冷たい死の世界を壁一枚で感じる響き、という世相を多面的に反映した様式だといえるでしょう。
ちなみにノートルダム楽派として一応名前が残っている人はレオニヌスという人とペロティヌスという人の2名のみです。
他にも多くいたはずですが、音楽家たちが「これは自分の作品です」と自我を持つまでにはあと数世紀待たなければいけません。
13世紀~14世紀
オルガヌムが更に発展して、「アルス・ノーヴァ」という様式が生まれました。
またもやその中心地はフランスで、緻密で数学的な作風が特徴です。
当時の有識者たちにとっての音楽は、実際に音を出したり聞いたりして楽しむのは二の次で、「数学のような理系の学問として扱うのが高尚なこと」みたいな風潮がありました。
(ボエティウス「音楽綱要」などより)
(それよりももっと高尚なのが、「音を鳴らさずして脳内で再生される人それぞれの中の音楽」なのですが、このことについてはまた別に解説したいと思います。)
また、この頃には世俗曲も多く作られました。
代表的な作曲家はギヨーム・ド・マショーという聖職者ですが、マショー作品も宗教曲より世俗曲が多いです。
4世紀頃より長く続いたカトリック教会中心の社会体制が限界を迎え、
人々が無意識に次の時代を見ていることが伺えます。
14~15世紀
ルネサンスが始まります。
ルネサンスは「再生」「復興」を意味するフランス語で、イタリアの北部を中心に広まっていった政治・学問・文化の一連の風潮です。
もう教会中心の社会には無理があるので、昔のローマ帝国や古代ギリシア社会をヒントにしてみましょう、と様々な分野で盛んになりました。
ある日いきなり始まったわけではなくて、じわじわとその動きはあったのですが、明らかな変化が見られ始めたのがこの頃です。
アルス・ノーヴァ全盛期などとの大きな違いといえば、やっぱり「ドミソ」などの三和音が感じられる点でしょうか。
これまで神秘的でどこか冷たいハーモニーの響きだったのが、柔らかく聞きやすくなり、音楽が神の世界や死後の世界への捧げ物ではなく、生きている人間のためのものになったことが窺えます。
代表的な作曲家にはデュファイ、バンショワなどがいます。ブルゴーニュ地方(当時のブルゴーニュ公国)で活動していたので、ブルゴーニュ楽派と呼ばれています。
15〜16世紀
ヨハネス・オケゲムやジョスカン・デ・プレといった巨匠がついに台頭してきます。
彼らは「フランダースの犬」の舞台であるフランドル地方で活躍したので、フランドル楽派と呼ばれています。
それぞれ独立したメロディーが3、4声部で歌われる合唱曲などが多く作られました。宗教曲も、世俗曲もたくさん作られたようです。
ルネサンス時代の合唱曲は均整が取れていて繊細な美しさがあるのですが、その静寂をあえて破ることで「躍動感」「迫力」「感情」などを表現しようとする人たちが出てきました。
代表的な人物は、イタリアのクラウディオ・モンテヴェルディです。
モンテヴェルディは、「モノディ様式」「通奏低音」という比較的自由に、即興的な演奏ができる様式を確立して、音楽の劇的な表現を可能にしました。
それらの新しい様式と、ルネサンス(復興)運動によって行われた古代ギリシアの仮面劇(ギリシア悲劇)の研究が融合すれば、オペラ(歌劇)が誕生するというのも必然だったのでしょう。
こうしてルネサンスから、緩やかに「バロック」の時代へと移り変わっていきました。
16~17世紀
世は大航海時代、ルターは宗教改革をして、コペルニクスは地動説を唱えました。
この進歩的な時代の恩恵が音楽の発展にも大きな影響をもたらしました。
まず楽器が改良されたり、新しい楽器が生まれたりして、楽器演奏だけの曲(器楽曲)も多く作られるようになりました。
ヴァイオリンやリコーダー、ギターの曲などもこの頃からあります。
鍵盤楽器は、オルガンやピアノの前身であるチェンバロなどが使われました。
イスラム文化圏から製紙・印刷技術が伝わったこともあり、記録メディアも発展しました。
またルネサンス時代では教会と宮廷(王や貴族)の権力が大体同じくらいでしたが、この頃になると宮廷の権力の方が強くなりました。
王侯貴族向けのBGMや、式典のためのオペラなどが多く作られます。
なかでもオペラはとても流行しました。イタリアでは「カストラート」という超人的な歌手の歌声が流行し、フランスではバレエ付きの優雅なオペラが発展しました。ルイ14世がバレエの愛好家で、王もバレエダンサーとしてオペラに出演したようです。
イギリスでは劇場がすでに市民に向けて開かれており、ドイツ人のG.F.ヘンデルが渡英してオペラやオラトリオの作曲家として一時代を築きました。
ヘンデルはじめ、スカルラッティ親子やヴィヴァルディなど、教科書で見たことのあるような作曲家の名前が登場するのもこの頃です。
さて、音楽史では珍しく、「バロック音楽」には明確な終わりがあります。それは1750年、J.S.バッハという音楽家の没年をもって、きっぱりと幕を閉じているのです。
J.S.バッハについて
バッハの活動時代の17世紀末頃~18世紀初頭は、バロックから次の時代の音楽様式に移り始めている頃でした。
実際バッハが死去した1750年といえば「アマデウス」でお馴染みのアントニオ・サリエリの誕生年であり、年表的にはほぼ次の古典派の時代です。「メロディー+伴奏」というシンプルかつ合理的なスタイルで音楽が作られ始めていました。
しかしバッハは、中世の「アルス・ノヴァ」時代から脈々と受け継がれてきた「ポリフォニー」という様式で作曲したり、それを極限まで進化、複雑化したような作品を作ったりしたかと思えば、当時のちょっと「今風」な作曲法で作曲したりと、バロック時代の新旧を網羅した様式で作曲していました。
そのためバッハの死没をもって、バロック時代の様式に完全な幕が下りたというように認識されています。
いずれバッハに関係する記事は、また別に執筆してみたいと思います。
18世紀
自然科学や哲学の発展などによって、理性的に物事を考える風潮がヨーロッパ大陸に広まっていきました。
「たとえ王でも、国が決めた法律は守りましょうね」という考え方などがイギリスから輸入されたのもあり、偏見や先入観より理性や知性が大事、と思われるようになっていきます。これを啓蒙主義といいます。
音楽史的には「古典派」と呼ばれるこの時代、
音楽でも啓蒙的な思想の影響は少なからずありました。
まずは和声(ハーモニーの響き)の大きな変化です。
中世から続く教会旋法に囚われず、あくまでも音楽的に聴きやすい響きが追求されました。
これは比べて聞いてみると一目(?)瞭然ですので、スカルラッティ、ヴィヴァルディ(バロック)とハイドン、モーツァルト(古典派)などと是非聴き比べをしてみて、感想を教えていただきたいところです。
一方、オペラは次第に歌手人気に頼りきりなヘンテコ作品ばかり作られるようになり、グルックという人がオペラ改革を始めました。
オペラは歌手の歌唱力自慢のステージではなく、「脚本」「演出」「美術」「音楽」「歌」「演技」など総合的にどれも大事、と改革を行います。
この作風はサリエリやモーツァルトなどに引き継がれていきました。
そして交響曲(オーケストラの曲)の形ができてきます。ハイドンはエステルハージ家という大貴族に仕えながら生涯108曲も交響曲を作曲し、その技法などは後にベートーヴェンに引き継がれました。
18〜19世紀
18世紀後半のフランス革命によって、ヨーロッパ社会は大きく変わりました。
それは音楽界でも多大な影響を与えます。
貴族の力はもうそんなに無いので、音楽家たちもそれまでのように王侯貴族のオーダーに沿った作曲や演奏をしているだけでは仕事(お金)になりません。新時代の音楽家たちには、インパクトのある作品を作り、演奏し、自分の力でお客様を呼ぶ能力が求められました。
音楽家が雇われの仕事人ではなく、「自らの意志で作品を生み出すアーティスト」となったのは恐らくこのタイミングであり、その風穴を開けたのは紛れもなくL.v.ベートーヴェンでしょう。
ハイドンやモーツァルトにも、皮肉たっぷりで自由奔放な作品が多くありますが、あくまでお行儀よく貴族的なルール内の遊び心にとどまっています。
ベートーヴェン作品、例えば「交響曲第5番『運命』」のような力強さ、強烈なインパクトは、貴族社会との断絶宣言、旧時代への絶縁状ともいえるでしょう。
同時代には、ドイツ語と詩の美しさを歌で表現したシューベルト、オーケストラ編成の見直しを行ったウェーバーなどがおり、ロマン派の時代へと移っていきます。
19世紀
私たちが「クラシック音楽」と聞いて想像するイメージのものは、実はほとんど19世紀に形ができています。
例えばピアノですが、今私たちが想像するあの音と形になったのがこの頃です。作曲家と演奏家(ピアニストなど)が分業化したのも、ブルジョワ家庭の習い事としてピアノ演奏が参入したのもこの頃です。ショパンやR.シューマンなどが活躍しました。ツェルニーのような練習曲の需要も上がりました。
オペラは劇場が広く市民に開かれ、ブルジョワ市民の憩いの場となりました。「グランド・オペラ」という豪華絢爛、大スペクトルなオペラが流行します。代表的な劇場はパリのオペラ座、マイアベーアやヴェルディなどが活躍しました。
音楽家自身で集客しなければいけない時代になったので、誰がどう聞いても「すごい」とわかるような超絶技巧の楽曲がどのジャンルでも持て囃されました。ピアノだとリスト、ヴァイオリンではパガニーニなどが自身で難曲を作曲、演奏し、アイドル的な人気となりました。彼らのようにテクニカルな演奏家はヴィルトゥオーゾと呼ばれます。
また、「サロン」といってオペラや音楽、美術の趣味が合う人同士で同好会的にお茶をしながら語らい合うことも社交界で流行しました。
サロン文化の中心は女性だったこともあり、この頃は女性音楽家の名前も登場してきます。
ピアニストやピアノ講師として長年活躍したクララ・シューマンや、「乙女の祈り」を作曲したバダジェフスカなどが挙げられるでしょう。
そして昔の曲を再演する動きも出てきました。
メンデルスゾーンなどの研究活動によって、バッハなど「音楽の専門家たちの中で教科書的な存在」だった音楽なども広く聴衆にも広がっていきます。
またメンデルスゾーンは、高等教育機関としての音楽院を開設しました。現在の「音楽大学」のイメージに近いものがこの頃にできたということになります。
こうして華やかな時代を迎えたのですが、世紀末の不穏な足音は静かに近付いてきていました。
19世紀~20世紀
産業革命による科学技術の発展は、当然音楽の分野のあらゆる面に恩恵をもたらしました。
金管楽器のように新しい楽器が開発されたり、既存の楽器もより大きく美しい音が出るように改良されたりしました。
楽器が増えたのでオーケストラの規模が大きくなり、楽器の数が増えると楽曲の設計も複雑になりました。
それらの最新鋭の楽器や技術を駆使して、極限まで巨大化させたゴージャスな作品を作る風潮と、
逆に敢えてミニチュア化させたり、不思議な音の響きなどを使って他の作品と差別化していくような風潮とに分かれていきました。
また東欧(ロシア、ハンガリーなど)、北欧(フィンランド、ノルウェーなど)の音楽と西洋音楽が出会い、新たな作風が生まれていく時期でもありました。
ブルックナー、ベルリオーズ、マーラーなどは大編成の交響曲を作曲し、ある意味でオーケストラの表現における終着点となりました。
フランスではドビュッシー、ラヴェルなど印象派と呼ばれる作風が誕生します。長調(明るい曲)とも短調(暗い曲)ともどちらともいえない浮遊感のある不思議な響きが特徴です。
オペラでは、社会派でリアリティのある「ヴェリズモ・オペラ」や、ミュージカルの前進となったといわれる「オペレッタ」など、
比較的小規模な作品が上演される一方で
ワーグナーはバイロイト(ドイツ)に自作品のための劇場を設立し、徹底された世界観の大規模なオペラ「楽劇」を上演しました。
このように巨大化とミニチュア化の二分化というのもこの時代の特徴です。
ロシア五人組(ロシア)やシベリウス(フィンランド)、グリーグ(ノルウェー)など、
東欧や北欧の作曲家による、西洋音楽と自国の伝統音楽の両方を取り入れた作品も作られました。
これらは現在国民楽派と呼ばれています。
ロシアのチャイコフスキーやラフマニノフなど、比較的西洋的な作風の人もいました。
さて、フランス印象派やロシアのスクリャービンなどによって、これまでの和声や音感にとらわれない不思議な響きの音楽がつくられていく流れで
シェーンベルク、ストラヴィンスキーなどは不協和音や変拍子を駆使し、前衛的な作品も多く生まれました。
それらのある種不安な響き、暴力的なまでの躍動感は、世界規模の経済的恐慌、戦争を無意識に予見していたのかも知れません。
20~21世紀 おわりに。
20世紀では兵器を使用した世界規模の戦争が2度勃発しました。
当然音楽界へ与えた混乱、ダメージも相当なものです。
アメリカのジョン・ケージなどが「4分33秒」という楽曲で告発したように、
コンサート会場や劇場は名作の再演が繰り返される古い権威と化し、
新たな戦争も起こる中で未だにクラシック音楽の現状と未来というものは見えにくいです。
一方で電子音楽とクラシック音楽の融合やインターネット環境の中で一種の盛り上がりを感じられるものであり、
これからは新しいカルチャーの中で、新旧の音楽が網の目のように織り交ざった面白い作品が多く生まれるのではないかと思っています。
クラシック音楽は昔の音楽でありながら、
着実に私たちの現在にも息づいています。
この記事が皆様の創作の助けになることを願います。
長い記事でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
参考
ニューグローヴ音楽辞典
西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)
バロック音楽 ――豊かなる生のドラマ (ちくま学芸文庫)
決定版 はじめての音楽史: 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで
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