0518_いつからか、文章を
保育園から、小学校、中学校、高校まで。
振り返ってみると僕って10代の頃、ずっとずっと、心から、本当に、文章を書くことが好きだった。気がしなくもない。
いや、今僕は20代前半なんだけど。10年以上も前のことを、思い出すなんて久しぶりのことだから。
ダンブルドア先生が憂いの篩を使ってる時みたいな。そんな表情で、昔を振り返ってみる。ことにする。
ツッコミ不在の中、一人でボケ倒せちゃうnoteって怖い...
◇
保育園を卒園する時、お世話になった担任の先生、みこ先生にお手紙を書いた。
- 保育園に初めて登園することが怖かったこと。
- でも、みこ先生のおかげで保育園が好きになったこと。
- 小学校に行っても、みこ先生のことが大好きだよってこと。
幼いながらも、みこ先生に対する感謝の気持ちを、丁寧に、そして素直に書き記した覚えがある。可愛い、6才のボク。
右が6才の僕、真ん中がみこ先生、左が、当時僕が恋してたソフィーちゃんです。嘘です。あ、いや、当時好きだったのはソフィーちゃんで間違いないんだけど、この写真は僕じゃないです(当たり前)
みこ先生はその手紙を読んで、僕の前で泣いてくれた。それは、それはもう盛大に。
その姿を見た僕は子どもながらに、
「おとなを、なかせるてがみがかけるなんて、おれっててんさいかも」
なんて独り悦に浸った笑。
僕の生意気なまでの「天才かも?」発言はこの際一旦置いておくとして、この時のみこ先生の姿は、今でも目に焼き付いている。僕の創作原体験みたいなものなんだと思う。
そしてこの頃から僕は「想いを言葉に託す」ということが好きな人間になった。
◇
で、小学校・中学校・高校もそれなりに勉強してそれなりに幸せに暮らしていたけれど。(記憶を辿るのがめんどくさくなって一気に高校生まで飛ばしてしまった)
でも、僕はずっと書くことが好きだった。
好きな子への愛を綴った黒歴史ノートはまだ押入れの奥にしまってあるし。
みこ先生への手紙以来、「人を言葉で感動させる」快感に味をしめた少年は、これまで何百通もの手紙をありとあらゆる人間に送ってきた。
時には、毎週家にやってくるCO・OPさんに感謝のお手紙を書いたりもした。CO・OPさんは勿論、その手紙では泣いてくれなかったけど笑、でもその手紙で笑顔になってくれた。嬉しかった
◇
けれども時は過ぎ…Time goes by(あ、僕Every Little Thing 好きです)。
大学受験勉強にもがき苦しみ。人並み以上に就活で荒波にもまれ。
結果的に、自分の思いを言葉にして託す、という営みから、次第に距離を置くようになった。
特段理由があるわけじゃない。
強いて言えば、忙しない日常の中で、ゆったりと自分に向き合い、そして気持ちを文字に起す、という作業が面倒くさくなってしまった。のだと思う。
かつて、手紙で伝えていた愛する人たちへの想いは、lineスタンプ1個に退化してしまったし。
かつて、永遠に言葉を紡げた僕の口は、140字しか囀らない鳥の嘴に退化してしまった(意訳:文章を書く気力がなくて、twitterでしか文章らしい文章を書いていません)。
勿論僕は「SNSがなかった時代はなあ、皆、紙にペンを携えていたんだ」が口癖の、昔はよかったなおじさんになるつもりはさらさらない。
ただ、単純に、気持ちの吐き出し方を忘れてしまうってことは、気持ちの豊かさも失ってしまうことと同じなのかもしれない、と。ふと思ったから。
だから、なんだか、悲しかったんだ。僕。
◇
今、僕は、大学4年生。
最近書いた文章は、御社への志望動機500文字。
あとは、テラスハウスに対するイライラを、100文字くらいにして、青い鳥に託して呟いただけ。
.........だけ?
これ、やばくね?
◇
今、僕は、学生として過ごす、最後の1年目を迎えている。
昔のように、誰かに向けて感謝を記すためでもない。
何かを書くための、高尚なモチベーションを持っている訳でもない。
ただ、心の豊かさまで失わないために。
日々の気持ちを記して、文章をかくことで、自分の心と向き合う時間をとっていきたいと思う。
2020年5月18日