私はアダルトチルドレン
私にとって両親とは何だったのかなと思う時がある。例えば大事にしたいとか、助けなければとか、愛しいとか、そういう感情、何もかもが無かったと思う。
感情を両親に感じないのは当然で、私は自分の感情を両親に否定されて育ったからであり、感情を表す事によって罪悪感を植え付けられるような育て方をされたからである。
彼らが亡くなった時、無の感情に支配されていて、葬式の時、周りに悲しそうなふりをするのが面倒くさかったことを覚えている。
二人が他界してやっと私は二人に人生をコントロールされていることに気づいた。しかも暴力とかそういうのではなく泣き落としとかそういう人の罪悪感に訴える質の悪いコントロール。
私は、欲がなかった。お金には不自由しなかった。服とかは買ってくれたものを着ていた。大学になるまでは全く世界に興味がなかった。
私は大学には行かせてもらった。本来それが無償の思いならば両親に感謝しなくてはならないが、実際のところ大学行かせてやってるんだからその代わりに店を継げ、という等価交換だった。
私の意志というものが全く尊重されず大学というアメを与えられただけでずっと私は縛られていた。
あなたは何がやりたい?何が欲しい?何になりたい?
そして、私はあなたを愛している・・・・・。そんな親が子供に持つ当たり前の愛情・・・知りたかった。
幼少期に両親と過ごした記憶が全くない。
アルバムを見るのが怖い。
とにかく従順な子供だった。自分の意志を表現したら怒られていたんだろう。泣いたり笑ったりしたら邪険にされていたのだろう。
母は私のことを「箱入り息子」と言っていた。母はその「箱入り息子」がお気に入りのようだった。私は母の大事な作品だった。
反抗したことがある。何をしたのかは覚えてないがリモコンを投げつけたことがある。彼女は私の怒りの本質を知っているがあまつさえ目をそらす態度をとるのだ。
彼女は私を見てくれなかった。大事な話、本当の話がしたくても逃げていく。
本質とか大事とか私のことを必要とするとかそういうことは私をコントロールするのに最も邪魔なものだからだ。
両親は菓子屋を経営していた。物心ついた時から継がなければうちの子供ではない、と洗脳されていたように思う。
私に夢とか目標とかそういうものを持たせないように、そのためには、自信を持たせてはならない、そういう教育をされてきたように思う。
そういえば褒められたこと一回もないな。一回も。
事件レベルのいじめを中2から3にかけて受けていたが教師とともに「お前にも原因がある」と言われていた・・・・。
大学には行かせてもらったがそれは店を継ぐという等価交換だった。
菓子屋を継がすことが彼らにとってコントロールの集大成かと思っていたがそれは全くの間違いであった。
20代は関西の洋菓子店で修行していて(結局罪悪感でコントロールしてくるので他の職業の選択肢はなかった、その当時は)30歳になって実家に帰って一緒に働いてみてわかったことはそうではなくて
単に自分の手元に置いて私を支配したいだけだったのだ、と言うことに気づいた。
だから父は私に何の権威付けもしてくれなかった。自分が死んだ後のことなんか、コントロールが及ばない息子なんかどうでもよかったんだろう。
父の部下に「私は社長の部下であってあなたの部下ではない」と言われていた。
私が指示するどころか父(社長)の部下に指示される様になってしまった。
うつ病を発症してリストカットと酒におぼれるようになった。
父は私の本気の話ははぐらかされまともに取り合ってくれなかった。本当に私の話を聞いて私と一対一で向き合ってほしかった。私のことが好きなのか答えてほしかった。
そして私の精神障害の原因はあなたたち両親ということに本人たちは薄々気付いているが彼らは謝らない。絶対に誤ってくれない。一度も私に対して謝ったことなどないのだ。
親が死んだことによって幸い?にも私は自分の家族がおかしいことに気づき親の価値観のコントロールから逃れつつあり自分の感情を取り戻すワークをしているが、本音を言うと
できれば生きてるうちにコントロールから逃れたかったです。
たかが親のことぐらいで、と恵まれた人は言うが
子供にとって親は世界そのものであり
親に拒絶されるということは世界から拒絶されるということ
もし子供のころの自分と話ができるとすれば、「親に従わないとあなたは死んでしまう、あなたは決して悪くない」
そして今の自分に「生きづらいのはあなたが悪いんじゃない、でも悪いのはそれを受け入れて不幸な人生を送る事であり、少しでも今より幸せな人間になれるように運命を切り開くことが大切」と。
親の道具にされてしまったという事実は最も不幸な事であるが、そのコントロールから逃れることが出来た暁には、自分のやりたいことをする、自分の意志を大事にする、好きなことをする、自分の感情に従うといった当たり前の人間の生きているという実感、喜び、それが手に入る事は本当に素敵なこと幸せなことだ、と思う。
私は少しだけ自分が好きになりました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?