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【短編小説】七年目の浮気

浮気だと言われればそうかもしれない。

後ろめたい気持ちをどうすることもできないまま、自宅の玄関ドアに鍵をかけた。

わたしを見下ろす冬の空は、今にも雪を降らせそうなくらい白い色をしている。
吐く息も一瞬で白くなり、少し昇ってから広がって消えた。
コートのポケットに鍵を入れて、わたしは歩きだす。

あなたと出会って、気がつけば七年もの歳月が流れていた。

初めてあなたと出会ったあの日のことは今でも鮮明に思い出せる。
わたしはあなたの才能に惹かれたのだ。

この日一日だけのことにしたくない。
あなたを忘れたくない。
また会いたい。
出会ったその日にそう思った。

時々自分のことが嫌いになるわたしは、その度にあなたを頼ってあなたに会いに行った。
定期的に自分の容姿がたまらなく恥ずかしくなるのだ。外に出るのも億劫になるくらいに。

そんな時にあなたと過ごすと、わたしは自信を取り戻すことができた。
忘れていた輝きを取り戻せた。
自然と笑顔が増えた。

自信を取り戻す自分に喜びを感じながら、わたしはあなたと楽しくおしゃべりをする。
その時にハマっているテレビドラマのこと、仕事で起こったできごと、スマホアプリで見つけた面白いゲームのこと。
あなたもわたしの話すことを興味津々な様子で聞いてくれる。
このひとときを笑顔で一緒に過ごす。

けれど先月、あなたは突然わたしの前から姿を消してしまった。

ちょうどわたしが自分の容姿に自信がもてなくなって落ち込み始めたタイミングで、あなたはいなくなった。
連絡さえもとれない。

なにがあったのだろうか。

そういえば、以前は会うと必ず紅茶などの飲み物をご馳走してくれた。
それがいつのまにかなくなっている。
ご馳走してほしいわけではないけど、そういう扱いになっているのは否めない。

今すぐにでも会いたい。
わがままだと分かってはいるけど今日会いたい。
その一心であなたの予定をスマホで確認したけれど、一ヶ月ほどあなたとは会えないことが分かった。

だから仕方がなかったのだ。

わたしはその時、どうしようもなくなってあなたの代わりになってくれそうな人を探した。

スマホアプリで探せばそんな人はいくらでもいた。

後ろめたさを感じながらも、わたしは別の人と会う約束をした。
だって、わたしが困っている時にいないあなたが悪いのだ。
今すぐにでもあなたに会いたかったのに。
やむを得なかったのだ。

新たに出会ったその人は、はじめは距離があったが、おしゃべりしているうちに共通点が見つかり、お互いに好印象だったように思う。
少なくともわたしは、またその人に会いたいと思ってしまった。
その人の才能までは分からなかったが、困っていた時に助けてくれたのは大きい。
わたしに自信を取り戻させてくれた。

そしてわたしを歓迎してくれた。
緑茶をれてくれて、お菓子も用意してくれていた。

だからその人との別れ際、わたしは思わず言ってしまったのだ。
「またお願いします!」
その人も言った。
「ぜひ。いつでもお待ちしています」

一ヶ月前のその日から二股状態は始まった。
けれど、新しく出会ったその人の才能を見極めるために完全に身を委ねることは、わたしにはまだできなかった。
その勇気はなかった。

どうしようかと迷い続けているうちに、あなたが戻ってきたのだ。

だからわたしは今日、あなたに会いに行く。

あなたがいなくなってからも、あなたがわたしにくれた施しは目を見張るくらいに完成されたものだと実感していたからだ。
やはりわたしをいちばん満足させ、いちばん分かってくれているのは、悔しいけれどあなたなのかもしれない。

商店街を歩き、駅を通りすぎ、自宅から10分ほどの道のりを進む。
ほどなく、あなたのいるあの場所が見えてきた。

心臓が高鳴る。
早足で歩いているからだろう。
会えるのは嬉しい。
会って話したいことがいっぱいある。

なんで突然いなくなったの?
どこに行ってたの?
なにをしてたの?
あなたがいなくて、わたし困ったんだから!

けれど、あなたと違う人に染められてしまったわたしを見て、あなたはどう思うのだろうか。

後ろめたさを振り払うかのように頭を振った。

いつもより緊張しながら、わたしはあなたがいるガラス張りの建物の扉を開けた。




「いらっしゃいませー」

白く明るい照明が、たくさんの鏡に映っている。キラキラしている店内で、たくさんの笑顔がわたしに浴びせかけられる。

左横の受付を見ると、あなたがいた。
あなたもいつもの笑顔でわたしに話しかける。
「いらっしゃいませー。お待ちしてましたよー」

あまりに能天気なセリフに、わたしはつい言ってしまった。

「待ってたのはこっちですよー。
 白髪が目立ってきて、髪も切ってもらいたかったのにいらっしゃらなくて困ってたんですからー!
 おかげでここに通い出して七年目にして、初めて他店に浮気しちゃいましたよー」

わたしが笑顔でひと息に言うと、彼女が言った。
「あはは、すみませんでした。勤続年数が長いので一ヶ月ほど連休をいただけたんです。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

腰にハサミやクシが何本も刺さったポーチを着けて、いつものようにゆるふわな髪型と服装で身なりを整えたあなたが明るく笑う。
いつもと変わらずこの美容師さんはかわいらしい。

五十代半ばになり、定期的に染めないと白髪が目立ってしまうわたしは、いつもこの美容室にお世話になっている。

白髪が目立つようになると、恥ずかしくて外を歩くのも億劫になる。
歳をとると増えるものではあるけれど、わたしも女性だ。
なるべく綺麗で若々しくいたい。
自信をもって堂々と商店街を歩きたい。

一ヶ月前も、ちょうど生え際が気になりだした頃に美容室の予約アプリを見たところ、いつも指名しているこのゆるふわな美容師、佑加ゆかさんの予約だけが一ヶ月ほどとれなくなっていたのだ。

それだけならまだしも、わたしもちょうど仕事が多忙な時期に重なり、美容室に行ける休日が一ヶ月前のあの日しかなかったのに、あの日はこの美容室自体が定休日で、この店で代わりの美容師さんにお願いすることさえできなかった。

困ったわたしは、美容室を検索できるスマホアプリで他店を探し、そこで出会ったのがこの間初めて白髪染めをしてくれた他店の美容師である和花のどかさんだった。

和花さんは一見物静かな人だったが、わたしの髪に合う白髪染めを見つけ出し丁寧に対応してくれた。
美容室によって使われているカラー剤が異なるため、初めてのカラー剤はアレルギー反応が起こる心配がある。だから他店を使うのは勇気がいるのだ。

けれど、白髪が目立つ頭で歩くのが耐え難くなっていたわたしは、初めて他所よその美容室に浮気をして予約をとりつけた。

幸いアレルギー反応もなく、和花さんはわたしに若々しさと自信を取り戻させてくれた。
困っている時に助けてくれたのは大きい。

だから佑加さんがいない時には、今後は和花さんにお願いしたいと思ったのだ。

けれど、和花さんにはまだカットをお願いしたことがない。
佑加さん以外の美容師さんにカットをお願いするのも勇気がいるのだ。

だって佑加さんはカットが上手い。
わたしの髪の生え方やクセをすべて分かったうえで、わたしの要望を聞きながら切る。
さらに、わたしが長期間美容室に行くことができなくても自分で整えやすいようにカットしてくれるのだ。
その才能に惹かれ、七年ものあいだ佑加さんを指名してきた。

コロナの流行をきっかけに、佑加さんの美容室では飲み物を出してくれるサービスがなくなった。
それが当たり前だと思っていた。
けれども、和花さんの美容室では飲み物のサービスが今でもあった。
お茶うけのお菓子まで出してくれた。
歓迎してもらえたことが嬉しかった。

だけどまだ、佑加さんのカットの技術にわたしは魅了されている。
やはりわたしをいちばん満足させ、いちばん分かってくれているのは、悔しいけれど佑加さんなのかもしれない。
白髪染めは正直誰でもいいけれど、カットは確かな技術を持った美容師さんにお願いしたい。
そこらへんにいる五十代のおばちゃんだけれど。


他所の店のカラー剤に染められたわたしを、佑加さんはどう思うだろうか。
この浮気を許してくれるだろうか。

荷物とコートをあずけ、大きな鏡の前のイスに案内される。

回転イスに腰かけたわたしは、浮気の顛末を佑加さんに話すため、大きく息を一つ吸いこんだ。

(了)

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