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読み書きそろばん

最近読み書きができてないなぁ……

昨日、仕事が終わって駅から自宅へ向かう商店街を歩きながら思いました。
忙しさで創作活動が滞っているのです。

すると唐突に「読み書きそろばん」という言葉が浮かびました。

いつのまにか、読むこと・書くこと・計算することは、生活する上で必要な基礎知識であると認識して生きてきました。

私は読むこと・書くことについては現在も勉強中ですが、計算については過去に習いごとで学んでいました。

そう。
そろばん教室に通っていたのです。
公文ではないのが、なんだか時代を感じさせます。


私がそろばん教室に通いだしたのは、小学3年生くらいの頃でした。
当時、私が住んでいた地域の小学生の習いごとといえば、そろばんだったのです。
それに次ぐ2位が習字で、3位はピアノだったように感じます(あくまでも私の感覚値です)。
少年野球もありましたが、ミニバスケットやスイミング、英語塾などはもう少しあとの時代に登場し、サッカーやダンス、体操教室といったものはありませんでした。田舎だからかもしれませんが。

小学生の頃は、クラスメイトのほとんどがそろばん教室に通っていました。だから、学校で「ばいばーい」と別れても、そのあとでまたそろばん教室で再会するという流れでした。

そろばん教室は週2回あり、私は月・木でした。
クラスメイトの中でも、少し離れた地域に住んでいた友達は火・金に通っていました。
私が習っていたそろばん教室の先生が、周辺の地域でいくつもの教室を手掛けられていて、「月・木はA教室」「火・金はB教室」というように日替わりで移動して、一人でそろばん教室を運営されていたんです。水・土の地域の教室もあったように思います。

先生は、30代後半くらいの小柄なショートカットの女性でした。ショートカットも一見男性のように見えるベリーショートでした。
私の周辺の友達も親世代も、そろばんの先生といえば誰もがその先生を思い浮かべました。

そんなふうに、周りみんながやっているからということで薦められて始めたそろばんでしたが、順調に級が上がっていきました。

各級ごとにテキストが新しいものになっていくのですが、テキスト代を持参して新しい級のテキストをもらったときのうれしい気持ちは今でも思い出せます。

そしてたしか6級くらいからだったかと思うのですが、その級を合格すると、薄い小さなシールがもらえました。縦1センチ×横3センチほどの大きさでした。
シールには合格した級の名前が書かれており、背景の色が級によって色々でした。
おそらく珠算連盟の公式なシールかと思うのですが、その小さなシールを自分のそろばんの外枠に貼るのです。するとその人の級が周りの人にも知られることになり、ちょっとした優越感に浸れるのです。今で言う、SNSでの承認欲求が満たされるのと似ているかもしれません。

そんな中で、私もいつのまにか小学6年生になり、3級に合格して2級の練習をしている状況でした。

来年には中学生です。
中学生になると学習塾に通わないとならないことが分かっていたので、そろばんはやめる予定でした。
せっかくやってきたんだから、やめる前に2級まではとりたい。
キリのいいところで完結にしたい、と子供ながらに思っていました。

そこである日、私はそろばんの先生に言いました。

「先生、2級の試験を受けたいです」

検定試験の申し込みは、そろばん教室を通して行うことになっています。
だから先生の許可がないと申し込めません。
言われた先生は驚いたんだと思います。
返ってきた言葉はこれでした。

「まだ早いよ。もうちょっと練習してからにした方がいいよ。落ちるよ」

詳細には覚えていないのですが、こういった反応が返ってきました。
私はその言葉を聞いて悔しくなったのでしょう。
「それでも受けたいです」と食い下がりました。

そのあとも「検定料がもったいないから」など色々言われたような記憶があります。
けれどそこまで言われたら逆に私も引けないし、当時の私はよく両親から「頑固だ」と言われていました。言い出したら曲げません。
結局、先生が折れて、2級の検定を受けることになりました。
冬の日のことでした。

その日から私は必死でした。
学校から帰ってきても遊びにも行かず、趣味の漫画描きもせずにそろばんの練習をしました。

寒いのでとりあえずこたつを独占します。
いつものように漫画本ではなく、そろばんを広げている私に、母も協力的でした。夕飯準備のお手伝いを免除してくれたりしました。

時間を計って、検定と同じ形式の問題に挑みます。
2級の検定には次のような種目がありました。
●かけ算
●わり算
●見取り算(加減のみの計算)
▲伝票算
▲暗算
▲応用計算

●は必須種目で、▲は選択種目です。
▲の中から2種目を選択し、合計5種目すべてで合格点を出せるように練習します。合計点での基準があったかどうかは覚えていません。

選択種目の中で、私は暗算が苦手でした。
ですので、必然的に「伝票算」と「応用計算」を選択することになりました。
「伝票算」というのは束になった伝票の数値をそろばんで計算するというものです。左手で紙をめくりながら、右手でそろばんをはじきます。
桁数が少なめなので、1枚とばして伝票をめくったり、別の問題の数値を足したりしない限り点数がとれそうでした。
「応用計算」というのは文章題です。文章を読んで、そろばんをはじいて計算して答えを出します。パーセントや、何割何分何厘ですか?のような小数点以下の問題も出てきます。

応用計算、初めはコツがわからず点数が取れなかったのですが、繰り返し練習するうちに、出題の文章のパターンが決まっていることに気付きました。数値が変わっているだけで、文章自体は決められた数種類なのです(今はどうなのか定かではないですが)。

テキストに載っている20回分くらいの模擬試験に何度も挑戦しました。コツが分かると、なんだか楽しくなってきました。
すると、応用計算では10問中9問は必ず正解できるようになりました。
いつしか、いちばん確実に点数のとれる武器になっていました。

あとは必須の「かけ算」「わり算」「見取り算」です。
これについても何度も何度も練習しました。
見取り算は、2級になるとたしか0以下の数字も扱うマイナス計算も入ってきます。
繰り下がりが特に苦手だったので、引き算の入っている問題を集中的に練習しました。

そんなふうに対策できることはすべてやりきり、2級の試験を受けました。
当日のことは実はなにも覚えていません。
それくらい目の前の問題に集中していたんだと思います。


それから数日が経ち、そろばん教室に行きました。
合否が分かるかもしれない、と思いながら行き、先生から言われました。

「2級合格してたよ」



勝った……

そのとき思ったのはこれでした。
受験を反対された先生に勝ったというのもあります。
また、趣味を我慢してそろばんに時間を費やした末に自分との闘いに勝った、という意味もありました。
ちなみに応用計算は満点でした。
嘘みたいな本当の話です。

このことを経験してから、私は「人数制限のないものについては、自分が努力することでなんでも手に入れることができる」という考えを得ることができました。
そして、相手が子供であっても意志をもってやろうとしていることは応援すべきだなと思いました。どこまで本気なのかを見極めるのは非常に難しいですが。これは大人になってから思ったことです。


ところで、今日この記事を書いていて、ひとつ気になったことがあります。

あの時のそろばんの先生、今どうされているのでしょうか。

年齢的に、今でもご存命なのでしょうか。
最近またそろばんをする子供が増えていますが、一時はほとんど見かけなかったので、教室を閉めて静かに暮らされてるのでしょうか。
それとも現役世代の別の方に教室を引き継いで任せられているのでしょうか。

気になってネット検索してみました。

すると……


「ご存命でしょうか」なんてとんでもない!


今でも私の出身の街で、2教室の指導者として現役で教室を運営されていることが分かりました。
教室の責任者・指導者に、堂々とその先生の名前が書いてありました。
2教室は「月・木」と「火・金」が通塾日となっていました。

先生、本当にそろばんが好きなんだな、と思いました。
先生も教室も変わらないでいてくれたことが少し嬉しくなりました。

今度実家に帰ったら、あの時のそろばんを引っ張り出して、はじいてみようと思います。


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