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【vol.6】 脳幹出血の後遺症から奇跡的回復!鈴木康弘さん 「自分の経験を障害を持つ人の支援に」

 39歳の時、自宅で飲酒中に突然倒れた鈴木康弘さん。致死率が高く、仮に命が助かっても、植物人間か一生寝たきりになる確率が極めて高い「脳幹出血」が原因だった。右半身感覚麻痺、体幹麻痺などの障害が残ったが、発症から6年経過した頃、右腕・右手を除く右半身の後遺症が突然良くなりはじめ、自転車に乗れるまでに回復。発症から今年で12年、不動産業で生計を立てる中、失調が残る身だからこその障害者支援を模索中だ。

ダイエット目的のウォーキングが奇跡を起こす

――発症して6年目に劇的に回復されました。当時どんなことを心がけていましたか。

 ダイエット目的で毎日8km歩いていたんですが、毎日続けているうちに歩くのが楽しくなってきて、自然と「上手に歩きたい」という気持ちがついてきた。歩く練習を誰に強制されるわけでもなく、ただただ遠くまで自分の足で行ってみたいと思うようになりました。そしたらある日、突然脳のスイッチが入ったのか後遺症が急に回復し始めたんです。

――そこに至るまでにかなりの気力が必要だったように思います。

 発病して最初の1〜2年は、寝たきりで自暴自棄に陥ることもあり、正直死んだほうがマシと思うことも。でもヤフブロで似たような障害を持った人と知り合って、オフ会でよく情報交換をするようになり、それが励みにもなって生きる気力も湧いてくるようになりました。

 歩くモチベーションになったのは、なんといってもスマホの万歩計アプリの集計です。毎日何km歩いたとか、貯金と一緒で「今週は何km」「今月は何km」と、歩いた成果が得られるのがすごく楽しくて、万歩計アプリがなかったら回復してなかったかも…と思うほど役に立ちました。

(写真)近所の公園でバランス感覚を養うリハビリに励む

――リハビリも「楽しむ」ことが重要なんですね。

 脳細胞は20歳くらいをピークに細胞が死んでいくとも言われるけど、メンタリストDaiGoの説では脳細胞は年齢に限らず再生する、と。そのためには楽しく体を動かすことが有効らしく、それを身をもって実感しました。

 リハビリ病院では、理学療法士さんや作業療法士さんから正しい歩き方を教わります。もちろんそれは大事ですが、たとえ正しい歩き方じゃなくても、自分で試行錯誤しながら体を動かして脳を刺激することが何より大事なんじゃないかと思うんです。

 そうやって脳に刺激を与える続けることで神経がつながる?というのか、「ああじゃないこうじゃない」と考えながら実践することが大事だと。変な歩き方、宇宙人みたいな歩き方になったっていい。試行錯誤しながら体を動かして脳に刺激を与えることが一番リハビリになるし、回復につながるのではないかな。

――回復しやすい周期などはあるのですか?

 脳卒中になると、「急性期」「回復期」「慢性期」という段階があって、「急性期」は発症から1カ月、急激に回復する時期と言われている。その後の半年間が「回復期」で緩やかに回復する時期。その半年以降が「慢性期」、いくらリハビリしてもあまり良くならないと医学的には言われているけど、稀に回復する人もいて、それがたまたま自分だった。

 結局、脳の世界は、現代の医学をもってしても未知の部分が残っているのではないかと。「脳幹」は神経の束。後遺症の数を数え上げたらキリがなく、一番大きな後遺症が右半身の体幹を含めた感覚の麻痺だった。鈍麻というのか。まず筋肉をコントロールするには感覚が必要なんです。

 発症直後は全く感覚がなく、右半身は触られても全くわからない。感覚には2種類あって、触られた感覚「触覚」と、目をつぶっていてもどの辺にあるかがわかる「深部感覚」。その両方がなくなり、触られてもわからず、どこに腕や指があるかもわからない。目で見ないと動かせない、目で確認しないと筋肉をコントロールできなくて、動かせても細かい動きができない…。

 あとは体幹麻痺。全身の筋肉は実は協調して動いていて、歩く時、いちいち右足を30cm出して、左足を引っ込めて、腹筋をねじって…などと考えず無意識に歩いている。それは脳が自動でコントロールしているから。体幹が麻痺するとそれができなくなる。脳が筋肉を協調させられず、無意識に歩くことができなくなって、歪な歩き方になってしまう。理解してもらいにくいけど、自分で意識しながら足を動かさないと歩けないんです。

(写真)失調が残る右手で書いた文字

脳に意志・行動を操られた時期

――自動と手動、オートマとマニュアルみたいな感覚でしょうか。

 自動=無意識とすれば、手動=意識的かな。それがある日突然、無意識(自動)に体が動いた。健康な人には理解できない感覚だと思うけど、勝手(オートマチック)に足と腕が動いたんです。それまで右半身の感覚がなかったのに、歩いた時に右足と右の足の裏の感覚が戻った。しかし感動したのもつかの間、一瞬で終わってしまい…。その後、もともとあった左半身の感覚もなくなって、まるで自分が透明人間になったような感じになった。鏡を見ると自分の体はあるのに感覚はない。本当に不思議な感じでした。

――普通は、「自動」を意識できないですし、脳と体を切り離して考える機会もないですよね。

 脳が体と意識を乗っ取ったというのかな…。自分の欲求と脳の指令が異なっていて、意志と関係なく体が動く。例えば、自分は水を飲みたくないのに、勝手に体が動いて水を飲む。自分は眠っていたいのに、夜中にムクッと起きて体を動かしたりすることもあった。それは自分の意志じゃなく、脳が勝手に体のリハビリをさせているというか。本当に不思議な体験で、発症から6年目に半年間くらい続きました。

 透明人間のようになった期間に、脳が失った感覚を取り戻そうとして、情報を蓄積し、蓄積した情報を体にインプットしたのだと。なぜならそれから3〜4カ月を経て1日で右半身の感覚が急に戻ったから。それで透明人間から普通に戻って、その体験から5年くらい経過しました。

――それは大変な経験でしたね、回復したとはいえ、辛いプロセスだったと思います。

 実は、それが起こった4〜5カ月めごろの記憶があまりないんです。半年経って処理能力の限界で脳がリセットしたと思われる時に入院しました。記憶もあまりなく、性格もコロコロ変わったりとか、右・左もわからなくなった。脳が後遺症を回復させるために能力の限界ギリギリまでいっていたのだと思う。

 パソコンも処理能力がなくなるとフリーズしてリセットしますよね。脳も同じで、処理能力の限界を超えてリセットされたんだと。それから現在も再インストール中なんだと思います。再インストールは睡眠中に行われるからか、寝るたびに体の状態が変わる…。辛い時もたまにあり、これが一生続くのかと不安になることもあります。

(写真)発症から6年後、自転車もこげるように

経験を障害のある人の支援に生かしたい

――発症のきっかけは何だったと思いますか。

 高血圧とストレスですね。DTPやデザインがメインの仕事で多忙を極めていた。酒もタバコもすごい量で、倒れて運ばれる時の血圧は180くらいあったとあとで聞きました。実は倒れる1週間くらい前、経験したことない頭痛があり、それが予兆だったのだと思います。

――今後目指してみたいことは?

 自分は死にかけて、それまで当たり前にできていたことが一瞬にしてできなくなりました。明日死んでしまうかもしれない、今できることがあるならすぐにやるべきだと。一瞬一瞬の時間を大切に生きていかなければと痛感します。

 5年前に体が急に変化してきた頃、医師に相談してもまともに取り合ってくれなかったり、相談相手がいなかったことにとても苦労しました。自分が身をもって体験したことだからこその、体に障害のある人のための支援ができればと思います。それをやるためには、自分の体をもっと良くしないといけない。今も毎日歩いているし、少しでも後遺症を回復させてできることを増やしていきたいです。

\鈴木さんひとくちコラム/ 
 ストイックにリハビリに打ち込み、奇跡的な回復を遂げた鈴木さん。「もともと一度スイッチが入るととことんやってしまう性格」で、健康な時もスノーボードにハマり、毎週末欠かさず雪山に通い続けた経験も。病気になる前は「歩くのが楽しいなんて思ったこともなかった」が、リハビリのウォーキングにスイッチが入ってのめり込んだことが思いがけず良い方向に向かった。現在は母親の介護もあり、家事はすべて一人で行う。クックパッドの有料会員になり、料理もストイックに極めはじめている。

【PROFILE】
鈴木康弘(すずき やすひろ) 1970年、東京都生まれ。1991年、日本ジャーナリスト専門学校卒。就職後は釣り関係の雑誌やマンガ誌の編集を経て、デアゴスティーニ・ジャパン社発行の分冊百科シリーズの編集を主に手掛ける。2009年、自宅で飲酒中に突然、脳幹出血で倒れる。右半身感覚麻痺、体幹麻痺などの障害が残ったが、自転車に乗れるまでに回復。現在は編集職を退き、リハビリにはげみながら、主に不動産業で生計を立てている。障害等級は、体幹3級第1種。

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