検索「カタルシス」に我思う

11/23(月)のメモより「検索「カタルシス」に我思う」

幼稚園児に対して「ユビキタス社会が〜」などと話す人物は利口であろうか。一部の組織でしか通じない専門用語を一般人にも使ってくる人は? 中国語で話しかけてくる人にイタリア語で返す人はどうだろう。「辞は達するのみ」という孔子の思想は、例え話を用いるととても分かりやすい。

最近ハマっている教育系YouTuberがいる。中国2000年の歴史を1分半で網羅したりアダム・スミスの経済学をうんこで説明したりとなかなかにユニークな試みをたくさん行っている彼の、ほとんどすべての動画を視聴した。時にはメモを取りながら、追加で調べながら、面白そうな知識を自分の中に蓄えた。中でも特にお気に入りなのは小学生でもわかる項羽と劉邦の戦い。韓信がご飯をもらえなくなるシーンは何回観ても笑ってしまう。

そんな彼の人気シリーズ「偉人論破」は既に2周しているのだが、その論客として何度もこの動画シリーズに出演している偉人のひとりに孔子がいる。この偉人論破シリーズとは、一言で言えば「ダメな現代人を歴史的偉人が論破していくアニメシリーズ」である。最高に面白いことを保証するし、ひとつひとつはとても短いので、興味が湧いた人は是非見てみてほしい。法家が好きなので、韓非のものをおすすめしておく。皆さんの好きな諸子百家は何ですか?

孔子曰く、難しい言葉を多用してくる奴はバカ。辞は達するのみを現代語訳すればそうなる… らしい。本当に学のあるものは、適切な場面で正しい言葉を選び取って使う。言語ゲームなどというように、言葉は通じてなんぼなのだ(言語ゲーム言いたいだけではない)。

調べては学んで、メモしてを繰り返してきた。最近になってノートをつける習慣ができてからは余計にそれが酷くなった。学んだことの中には、実践的なものももちろんたくさんあるが、何やら小難しげなだけのカタカナ言葉も色々と並んでいたりする。ある時「カタルシス」という言葉の意味がわからず検索エンジンに手を伸ばし、調べ終えてメモ帳に新たに「カタルシス」「精神的浄化」などと乱雑に書き込んだ後にふと疑問に思うことがあった。普通に「精神的浄化」って言えば良くね? カタルシスって市民権ある言葉かどうかも肌感でわからないし。カタルシスって何ですか? と聞かれてああカタルシスって言うのはね… などと説明するのも時間の無駄だ。第一小っ恥ずかしい。

相手のことを考えて、通じやすい言葉を選ぶことが出来るという簡単なようで難しいこのスキルは、昨今大事にされているいわゆるコミュニケーション能力などよりも先んじて身につけるべきものであるような気がしている。例えば「カタルシス」などという通じるか通じないかギリギリのラインの言葉を敢えて使わず精神的浄化ってちゃんと言う、とか。アウフヘーベンなんて急にドヤ顔で言わない、とか?

かつて「詭弁と誤謬」についてとある動画で見て学んだことがある。詭弁とはこじつけや言い訳などのことで、誤謬(ごびゅう)はその無意識版という感じだ。一言で言えば「話にならないお話」。その中で「意図的に難しい言葉を使って相手を煙に巻こうとする」というものも紹介されており、「精神的優位」と命名されていた。難しい言葉使っちゃう症候群は、下手すれば悪質な論点ずらし構図を形作ってしまうらしい。非常に面白いなと思った(小並感)。

自分が平易な日本語文章しか書けないことをずっと気にしていた節があったのだが、この一連の学びや考えと、何より孔子が味方についてくれたお陰で、ようやくすっきりできた気がした。かと言って、面白みのない日本語をダラダラ書く言い訳にはなり得ないとは思うが。

さらに思い出して勝手に心の支えにしていたのが、高校二年生の時の世界史の先生だ。彼の剣さばきはいつも素晴らしく、国語の小難しい論説文や説明文を、ただの著者の「こんなこと考えて書ける俺すげーだろ自慢」だからねと斬り捨てていた。彼はもうすでに人生のどこかで偉大なる孔子に出会っていたのだろうか。それともただの主観だろうか。今となってはわからない。

蓄えたカタカナの知識は、取り消すのにはあまりにももったいないし、必要も無い。適切な時に取り出すだけにしておこうと思う。小人の学問は耳より入りて口より出づ。しかしながら立派な人物というのは、それらを心に留め、様々なことに役立てることが出来る人のことなのだから。

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