【創作大賞2023】さらぬわかれ 2
「ん…。ん~!」
栄子は目を覚ました。いつの間にか眠ってしまっていたのだ。
「昔の夢見てたんだ」
眠っている間にすっかり夜になってしまっていた。部屋に闇が立ちこめている。聞こえているのは、時計の音と、桂の呼吸だけだ。
「私だけは、絶対忘れないからね」
そう言って、栄子は桂の小さな手を握った。桂は反射で握り返した。ほとんど動かすことのないその手は恐ろしく冷たい。
栄子は夕飯を食べるため、人気のない1階に降りていった。
(ここ数年、出来立てのご飯というものを食べていないな)
と、母が早朝作っていったおかずを見て苦笑した。
レンジで温めようと皿に手を伸ばした時、めったに鳴らない玄関チャイムが鳴った。
(こんな時間に、いったい誰だろう?)
栄子は恐る恐る、玄関の方に向かった。
引き戸を開けると、そこには恒太がいた。
「こんばんは~」
気が抜けるほど満面の笑みをたたえて、鍋を抱えて立っている。
栄子は脱力し、
「その鍋、何…?」
と指差した。
「これ、一緒に食べようかと思って母さんに作ってもらったんだ」
と恒太は鍋を差し出した。
「あれから、ちょうど8年だろう?きっと1人でへこんでるんじゃないかと思ってさ」
(恒太は優しいな。)
栄子は胸が熱くなった。
山村恒太は、栄子のクラスメイトである。
そして、8年前あの木の下で出会った男の子である──
桂が倒れてからすぐの頃、学校で栄子はあからさまな無視をされていた。
話しかけようとしても避けられ、時にはひそひそ「あの子に近づくと祟られる」と遠巻きに白い目で見られていた。
小学2年生になると、栄子の心は誰にも関心を示さなくなっていた。そうしなければ、狂ってしまいそうだった。
クラス替えをしても、現状はあまり変わらない…そう思っていた。
「あれ?あの時の女の子だ!」
どこかで聞いたことのある声が栄子に話しかけた。
(どうせ、また悪口でしょう?)
と、栄子はシカトをした。けれど、その声は栄子を諦めなかった。
「覚えてない?オレ、あの木の下で君のお姉ちゃんと会った奴だよ!!」
そう言われて、栄子はやっと顔を合わせた。
栄子はあの時の男の子とクラスメイトとして再会を果たした。
「君の名前は何ていうの?」
久しぶりに「祟り」以外の関心を示されたことに戸惑いつつ、
「池上…栄子」
とだけ小さな声で答えた。すると、恒太はまっすぐ栄子を見て、
「栄子ちゃんか。これからよろしく!」
と、手を差し出してきた。
真っ直ぐな彼の行動に困惑していると、遠巻きにひそひそ声が聞こえてきた。その中の1人が、
「おい、恒太!こいつに関わるとお前も祟られるぞ!!」
と、恒太の腕を引っ張った。すると、
「そんなことない!オレはその現場にいて、このコのお姉ちゃんに触ったけど、何ともないじゃんか!」
と、激昂した。教室中がざわついた。
「栄子ちゃん、改めてよろしく!」
恒太はもう一度握手を求めた。
「…よろしく」
聞こえるか聞こえないかの声で、栄子は言った。
握った右手はとても温かかった。
恒太と同じクラスになってから、栄子の世界の見え方が変わった。
はじめは他のクラスメイトとぎこちなかったけれど、恒太が栄子と一緒にいることで祟りが起きないことを証明してくれた。栄子はクラスに溶け込むことが出来た。
いつだったか、恒太が村の伝承を教えてくれた。
「あの丘の木、実は桜なんだ。昔、あの木の下で心中した人がいて、それ以来花が咲かなくなってしまったんだって」
たしかに栄子は、桂があの木の前で倒れた日から、花が咲いたのを見たことがなかった。
「村人があの木を切ろうとする度に、良くないことが起こって、それで『祟り』が起こる木って言われるようになったんだって」
こんな伝承、信じたくもない。
しかし、桂の身にふりかかった災厄は現実なのである──
(もしも恒太がいなかったら、私は誰も信じられないで生きてたんだろう)
15歳になった今でも一緒にいてくれる恒太に、栄子は感謝の気持ちでいっぱいになった。
恒太と栄子は、テーブルを挟んで向かい合わせに座った。
「いただきます」
先ほど出来上がったばかりの肉じゃがは、とても優しい味がした。
「ど…どうした!?」
恒太に言われて気付いた。栄子の目からぽろぽろ涙があふれていたのだ。
「わ…わかんない。なんで泣いているんだろう」
(悲しいわけじゃないのに。どうして?)
今まで1人で食べていても涙なんて流さなかったのに。
「せっかく温かいのに冷めちゃう!食べよ!!」
栄子は涙をぐいっと拭った。そして恒太と2人、黙々と夕飯を平らげた。
「ごちそうさまでした」
久しぶりの「誰かと一緒の夕食」がとても嬉しかった分、終わりが淋しく思えた。
だから栄子は思わず、
「恒太!恒太の家まで送ってくよ!」
と言い出していた。
家の外に出ると、空気が生ぬるかった。
「普通、こういう時って男が送っていく方じゃないかな」
恒太はそう言ったが、栄子の寂しさを察したのか、それ以上は言及してこなかった。
「…恒太、さっきは泣いちゃってごめんね」
「泣きたい時は、思い切り泣いてもいいんだよ」
(どうして恒太は私に必要な言葉がわかるんだろう)
栄子は再び涙ぐんだ。
話しながら歩いていると、あっという間に恒太の家に着いた。
「じゃあ、また明日!」
恒太は手を振った。
「うん、また明日」
栄子も手を振り返した。
明日という言葉が、栄子にはとてもくすぐったかった。
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