【創作大賞2023】さらぬわかれ 1
「ただいま~。」
池上栄子は玄関の引き戸を開けた。木造2階建ての家にカラカラと音が響いた。
両親は働きに出ていて、不在である。
栄子は中学のセーラー服を着替えないまま、2階の南の部屋に向かった。
「お姉ちゃん、ただいま。」
そこにいるのは、8歳位の小さなコドモ。栄子は少し陰りのある瞳で彼女を見つめた。
お姉ちゃん、と呼ばれたそのコドモは、ベッドから上半身を起こし、こちらを見ているものの、人形のように表情はない。
「今日も、ずっと寝てたの?」
栄子が話しかけても、返事はない。
コドモに見えるが、実は彼女は16歳である。だから、れっきとした栄子の姉である。
ある日を境に、彼女は8歳のまま止まってしまったのだ。
まるで、生き人形のように──
8年前、池上家はこの村に引っ越してきた。家を買ったので、両親も年子の姉妹もとても喜んでいた。
村を探検していた姉妹は、当然の如くあの桜のある丘に登った。新参者の彼女たちが村の伝承など知っているわけもない。
「栄子ちゃん、早く~!」
姉である桂が、遅れて登ってきている妹を呼んだ。
「お姉ちゃん、早すぎるよ~。」
栄子は息を切らして登ってきた。
「見て!ここから村が見えるよ。」
と、桂は嬉しそうに村を指差した。栄子は息が苦しくて、景色を眺める余裕は無かった。
ようやく息が整い、栄子はうつむき加減だった顔を姉に向けた。その時、一本の木が目に入った。
「この木、なんの木?」
栄子は姉に聞いた。
「ほんと、なんだろう。」
桂がその木にそっと触れた。
まさかその行為が、桂に異変を引き起こすことになるとは……
それは、本当に一瞬の出来事だった。花も葉もないその木が強い光を放ったかと思うと、桂はその場に倒れこんだ。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
栄子は桂に駆け寄った。桂は眼を開けたまま、虚空を見つめている。いくら桂の体を揺すっても、もう彼女は何の反応も示さなかった。
「どうしたんだ?変な光が見えたけど……」
後ろから、声が聞こえた。声の主は、同じ年頃の男の子だった。
「お姉ちゃんが倒れたの!」
栄子は叫んだ。すると、男の子は近づいてきて、栄子の頭をそっとなでた。
「ちょっと待ってろ!すぐ大人を呼んでくるから!!」
そう言うと、男の子は風のような速さで丘を下っていった。
小さくなっていく男の子の姿を栄子は祈るように眺めていた。
桂は、大人たちによって村の診療所に運ばれた。
「特に異常はありませんね。」
と先生が抑揚なく言った。
「そんなわけない!これのどこが異常じゃないっていうの?」
栄子は先生のくたびれた白衣に掴みかかった。眼から涙があふれた。
後ろの方にいる大人たちの、ひそひそ話す声が聞こえてきた。
「やはり……の祟りじゃないのか?」
「そんなこと言うもんじゃないよ。あんたまで変になっちまうよ」
(タタ……リ?)
さっきから、彼らは栄子が知らない「何か」について話しているようだ。
倒れている桂本人には気にもかけずに……
「とりあえず、ここではこれ以上どうしようもないので、親に連絡を取って、大きい病院で精密検査を受けてください」
栄子は無責任で事務的なこの先生の発言が腹立たしかったが、何も言い返せなかった。
次の日になっても、桂の状態はまったく変わらなかった。
村には精密検査の出来るような病院はなかったので、村の外の大きな病院で桂を診てもらった。
しかし、この病院の医者も原因を突き止めることは出来なかった。
何度も何度もいろんな病院で検査をしてもらったが、結果は変わらなかった。
「──もう、疲れた。」
栄子の母が、ある日ぽつりと言った。すぐに栄子がいたことを思い出した母は動揺し、一生懸命何事もなかったかのように振る舞った。
(お母さんは、お姉ちゃんがこうなったのは私のせいだと思っているんだ。)
栄子は、そう感じた。
(どうせなら、もっと激しく責めてくれてもいいのに……)
栄子はどうすることも出来ない自分自身が一番許せなかったのだ。
しかし、誰も彼女を責めることはなかった。
結局、何の進展もないまま桂は家で静養することになった。意識がないのと成長しないこと以外はすべて【正常】だったからだ。
両親は、定期検診をする日以外は2階の南の部屋から外へ出さなかった。本当はいろんな刺激があった方が桂のためなのだが。理由は、
「あの子が、祟られた子供よ。」
と、外出する度に後ろ指をさされるからだ。その度に両親は、嫌な思いをしてきた。
他所へ引っ越すにも、桂の通院費でお金がかかるので出来ず、両親は早朝から深夜まで仕事に没頭するようになった。
栄子も最初の頃は学校でいじめられた。あるきっかけで、その件は解決したのだけれど……
外に出ない桂は、そのうち存在を忘れられてしまった。
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