【創作大賞2023】さらぬわかれ 8
さくらの言う「血だまりの中に」という言葉に、栄子は違和感を抱いた。
「ねぇ、さくら。あなたはその人と一緒に心中したんでしょう?『生き残った』ってどういうことなの?」
栄子はさくらの肩に掴みかかろうとしたが、実体のない体をすり抜け、泥濘に足を取られ再び転倒してしまった。
さくらは栄子を立ち上がらせようと手を差し出しかけて、引っ込めた。
「ごめん、栄子。私は何も役に立てないね」
さくらの泣きながら謝る表情に、栄子は姉の桂の面影を感じた。
(ずっとお姉ちゃんは、身動き取れないことで歯痒さを感じていたのかもしれない)
コウノシンを連れてくるのは無理だと、最初から諦めてしまったら、さくらは桂の肉体に戻れず、桂も人形みたいな状態のままである。
栄子はゆっくりと立ち上がり、さくらの霊体を抱き締めるような格好をした。
「『お姉ちゃん』、泣かないで。私がお姉ちゃんを助けるから。さくらの言う『コウノシン様』を見つけ出すから!」
「うん、うん」
雨の中、栄子とさくらは辺りが真っ暗になるまで泣き続けた。
「さくら、コウノシン『様』って呼んでるけど、身分が高い人だったの?」
栄子は少しでもヒントになることを聞き出そうとした。
「うん、コウノシン様はお武家さまだったの。本来はこんな田舎がとても似合わないひと」
さくらは淋しそうに微笑んだ。
武家ということは名字があるはずだと、栄子は気付いた。ここは小さな村だ。郷土の資料を調べれば、何か掴めるかもしれない。
「コウノシン様の名前、フルネーム覚えてる?漢字とか……」
「ごめんなさい。フルネームって何?あと、漢字は私…分からないの。私が生きていた時代は、女に学問は必要ないって言われていたし。かろうじて、桂の記憶に平仮名と片仮名の知識があるだけなの」
桂が倒れたのは、小学2年生。簡単な漢字ぐらいまでしか習っていないのだった。
「フルネームっていうのは、姓名…名字と名前のことだよ。図書館で調べてみたら、何か分かるかもしれないと思って」
栄子はさくらが分かるように説明した。
「コウノシン様の名前は……『山村』様。コウノシン様の名字は山村様っていうの」
さくらが口にした答えに、栄子の胸がざわついた。特に珍しい名字ではない。しかし恒太の名字も「山村」なのだ。
「さくら、『山村様』で間違いない?覚え違いとか」
「間違いない。栄子、どうしたの?」
不安そうにさくらが栄子を見ている。
「ううん、何でもない。山村コウノシン様、調べてみるね!」
(まだ恒太と関係があると決まったわけではない)
栄子は動揺を落ち着かせる為に、そう自分に言い聞かせた。
さくらと別れた後、栄子は真っ直ぐ自宅に帰った。
雨と泥にまみれた制服を玄関先で脱ぎ、お風呂を沸かした。
入浴がてら制服の泥を流していると、恒太に再会する前、同級生に泥団子を投げつけられたことを思い出した。
「祟りの子、出てけ~!」
と囃し立てる幼い声が耳に残っていて、栄子はその頃を思い出すと、今でも悲しくなるのだ。
親に泣きつけたなら、まだ良かった。あの頃には既に、ほとんど栄子が起きている時に家に居ることはなくなっていた。幼かった栄子は、独りで耐えた。
恒太に再会してからは、いじめはピタリと止んだ。どれだけ恒太に救われてきたのだろうと、栄子はいつも思う。
(出来るなら、祟りの件で恒太を巻き込みたくない。どうか『コウノシン様』が恒太と無関係であってほしい)
この夜、栄子は桂のベッドの隣に布団を敷いて眠ることにした。電気を消すと、姉の規則正しい呼吸が闇のなか聞こえてくる。
布団に入ってから、栄子は桂に話し掛けた。
「ねぇ、お姉ちゃん。私を独りにしないでね」
彼女の魂はさくらなので、ここには居ないことは分かっている。でも、今夜の栄子の心は淋しさで満ちていた。
「おやすみ」
しばらくして栄子の意識がほとんど溶けてきた頃、玄関で物音がした。両親のどちらかが帰宅したのだ。
両親は栄子が眠った頃を見計らって帰ってくる。桂を任せっぱなしにしている罪悪感からそうしているのだ。
自分の涙が枕にぽとぽと落ちる音を聞きながら、栄子は眠りに落ちた。
── 夢の中で、栄子は丘の下から桜の木を見ていた。
咲かないはずの桜が満開に咲いている。
栄子は着物姿の人影に気付いた。
『さくら?』
しかし、振り返ったのは恒太だった。涙を流している。
『恒太!』
栄子が叫ぶと、何か言って消えてしまった。
恒太がいたところには、血の付いた日本刀が地面に刺さっていた──
「はぁ、はぁ…っ!」
栄子は夜明け前に、恐ろしさで目を覚ました。
夢に出てきた血のついた日本刀、あれは恒太の家にあったものだ。
(やはり、恒太とコウノシン様は何か関係があるのだろうか?)
外から自動車のエンジン音が聞こえてきた。
栄子は立ち上がって、カーテンをちらりと捲って庭を見下ろした。
自動車の運転席に座る父親が見えた。栄子が親の姿を見たのは数年ぶりである。
父親は栄子が見ていることに気付くことなく、自宅を出ていった。
自動車のライトが見えなくなるまで、栄子は見送っていた。
(いつもこんなに早く出勤しているんだ)
桂の意識が戻れば、両親はここまで仕事をしなくても良くなるはずだ。
(頑張らなくっちゃ……ひとりで)
栄子はふらふらと桂の部屋を出て、1階に下りていった。
いつもは冷めている朝御飯もまだ温もりがあったので、そのまま食べた。
今日は、恒太と挨拶しただけでほとんど話すことなく放課後になった。
周りは栄子と恒太が喧嘩したのかと噂していたが、栄子はそれどころではなかった。
栄子は鞄に教科書を詰め込んで、村唯一の図書館に向かった。
郷土史のコーナーは、図書館の一番奥にあった。郷土史とはいえ、県や他の市町村のものがほとんどで、この村に関する書籍は、ほんの数冊であった。
栄子はそれらの本のページをパラパラと捲った。丘の上の桜の木のことが書いてあったが、栄子が知っている以上の情報は書かれていなかった。
山村コウノシンについて書かれたものを探していると、恒太の祖父について書かれた文章を見つけた。
恒太の祖父は村長をつとめていて、かなり貢献していたと書かれていた。
祟りの子が村長の家に入り込んでいたら、村人から告げ口があってもおかしくはないと栄子は腑に落ちた。
結局欲しい情報は見つからなかったので、帰ろうとしたら、見知らぬ男性がニコニコして立っていた。
「君、池上栄子さんだよね」
栄子は警戒して逃げようと思ったが、図書館の奥のため逃げ道がなかった。
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