【創作大賞2023】さらぬわかれ 7
朝起きると、雨が降っていた。池上家の南の部屋も日差しがないので肌寒い。
栄子は桂の上半身を起こし、肩掛けを掛けてやった。
「今日こそ桜の木の幽霊に会ってくるね。雨でも幽霊だから会えるよね?」
栄子はふと思った。桂の前世の幽霊と現世の肉体に、今でも繋がりはあるのだろうか。
桂の手をぎゅっと握り、桜の木にいるさくらをイメージしてみる。
「『さくら』……今日こそ会いに行くから待ってて」
桂自身はいつもと同じ、栄子の手を反射で握り返しただけだった。しかし、いつもより手に温もりを感じた気がした。
学校に行くと、恒太が登校していた。同級生の男子と廊下で楽しそうに喋っていた。
すっかり元気になったらしい様子を見て、栄子はほっとした。
「恒太、おはよう」
さすがに昨日のこともあり、緊張で少し声が震えた。
ちょっと間が空いて、恒太も「おはよう」と返した。
何故か恒太が無言で栄子から視線を外さないので、栄子は顔が熱くなってしまった。
その様子を見ていた、恒太と喋っていた男子が、にやにやしながら恒太をツンツンつついた。すると恒太は「何だよ」と訝しそうに男子を見た。
どうやら邪推されたらしいと気づいた栄子は、顔が真っ赤になってしまった。
この場をどう対処すればいいか困っていると、ちょうど予鈴が鳴ったので、教室に入ることが出来た。
(ふう、助かった)
座り慣れた自分の席に着き、ようやく安堵出来た。
安堵したのは、束の間だった。
席に着くと、恒太は隣の鈴原と何か話していた。昨日のノートを取り出したから、借りたお礼を言っているのだろう。
それだけのはずなのに、栄子はモヤモヤしていた。
授業が始まった。恒太は勉強に集中しているのだが、鈴原は時々恒太のことをチラッと見ている。
(やっぱり鈴原さんは、恒太のこと好きなんだ)
今まで自分のことで精一杯だった栄子は、鈴原の想いに気づかなかったのだ。おそらく恒太が昨日学校を休まなければ、まだ気づいていなかったかもしれない。
(そうだよね。恒太は明るくて優しいし、恒太のことが好きな女の子がいないわけがないよね)
恒太はいつも栄子の側にいた。そして栄子にとって、それが当たり前になっていた。
(いつまでも恒太に助けてもらうわけにはいかない。私がいつまでも頼ってばかりだと、恒太の幸せまで犠牲にしてしまう)
栄子は決心した。
(恒太をこれ以上、私やお姉ちゃんのことに巻き込んじゃいけない!)
実際、恒太は友達と仲が良いにも関わらず、栄子や桂のことを優先してくれた。下手したら、恒太だって栄子と関わることでいじめられていたかもしれないのだ。
今のクラスでは、そんなことはないけれど、高校に進学したらどうなるか分からない。学校の外では、栄子のことをいまだに偏見の目で見る人もいたりするのだ。
(恒太には幸せでいてほしい。お姉ちゃんと幽霊の件が解決するまで、離れなきゃ)
そう決めたのに、鈴原のことが頭をよぎった。
もしも二人が恋人として付き合うことになったら…。
栄子は頭を左右にブンブン振った。
(イヤだ!!そうか、私恒太のことが──)
栄子は恒太に恋をしているのを自覚したのだった。
「山村さん、お久しぶりです」
校長がビニール傘を差し、校門で恭しく頭を下げ、山村という男性を出迎えた。40代前半位、田舎には似つかわしくない高級スーツを着こなしている。差している傘も、高級ブランドのものだ。
「お久しぶりです、先生。私がこの村を出てから、何か変わったことはありましたか?」
山村は穏やかな口調で尋ねた。
「かっ変わったことですか?そうですね……ああ!例の桜の木に祟られた娘の妹が在学していますよ。」
校長は畏まった口調で答えた。
「ご子息とその生徒は同じクラスでして……」
「そうですか。それは興味深い」
山村は、何か含みのある笑みを浮かべた。
下校時刻になった。雨は止まない。
恒太が栄子に近づいてきた。栄子は通学鞄をぎゅっと抱えた。
「栄子、一緒に帰ろう」
(ダメだ。幽霊の件が解決するまでは、恒太に関わらないって決めたの)
「恒太、ごめん。しばらく一緒に帰れない」
「え、何で?」
「受験、勉強するから。恒太、バイバイ!!」
もちろん受験勉強は言い訳だ。逃げるように栄子は教室から立ち去った。
「待っ……」
恒太が追いかけようとした時、校内放送が流れた。
「山村恒太さん、校長室まで来て下さい」
(ごめんね、恒太)
一応受験生なので嘘にはならないけれど、恒太を拒絶したことで、栄子の心は痛んだ。
雨は止むどころか、強くなってきた。遠雷が低く鈍く響く。
丘へ向かう途中、泥濘に足を取られた。全速力で走って前へ突っ伏したため、顔から足まで泥まみれになった。その拍子に傘の骨も折れた。
「ぅ……う~」
小さく唸るように栄子は泣いた。涙は雨に流されていく。
しばらくしてようやく起き上がると、ふらふらとした足取りで桜の木にたどり着いた。
栄子を待っていたように、さくらは既に姿を現していた。
雨の中でも、彼女は濡れることなくほの暗い光を放っていた。
「栄子……悲しいことがあったのね」
栄子は静かに頷いた。
さくらは栄子の肩に触れようとした。やはりすり抜けてしまったのだが、不思議と温もりを感じる気がした。
(ああ、さくらは『桂お姉ちゃん』だ)
理屈ではない。朝握り返してくれた温もりと同じ感じがした。
「私……今まで恒太がいるのが、当たり前だと思っていたんだ。でも、あまりにも恒太に依存していたって気付いてしまったの」
栄子の声は震えている。
「鈴原さん……恒太のことを好きな人がいるって分かって、恒太は私のせいで幸せを逃してしまっているんじゃないかって。恒太は優しいから、もし好きな人が出来たとしても……私を優先してしまうんじゃないかって」
「栄子は彼が他の女の子と一緒になればいいと思っているの?」
さくらは栄子に問いかけた。
「ち、違う。恒太が誰かと付き合うなんて嫌だ!」
栄子は頭を抱えた。
「栄子は彼が好きなのね」
さくらは静かに言った。栄子は黙って頷いた。
「恒太はずっとそばにいてくれた。私だって一緒にいたい。でも私といると、どうしても祟りの件が付きまとう。恒太を巻き込んでしまっている」
栄子は顔を歪めた。
さくらも複雑な顔をしている。
「栄子。私が桂の中に戻れるかもしれない方法がひとつだけあるの」
さくらが呟いた。栄子は目を見開いた。
「私のもとに『あの人』を連れてきてくれれば、もしかしたら桜の木の祟りの縛りが解けるかもしれない。元々は『あの人』の残留思念が私を桂から引き剥がしたようなものだから」
「『あの人』って?」
栄子はさくらを質した。とても嫌な予感がする。
「コウノシン様。私と共に逝くはずだったひと」
それは、とても無理な条件だった。
「そんな昔の人、連れてこられるわけないじゃない!」
栄子は絶望した。だいたい目の前にいる彼女だって、本来はこの時代にいるべき存在ではない。彼女はとうの昔に男性と心中しているではないのか。
「……逝く『はず』だった?」
栄子はもう少しで、さくらの言葉の真意を聞き流すところだった。
「あの人は生き残った。私には分かる。そして、あの人は肉体が滅んだ今も、成仏することなく存在している」
そう言うと、さくらは手で顔を覆い泣き出してしまった。
「血だまりの中置いていった私を、あの人はきっと許していないの──」
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