【創作大賞2023】さらぬわかれ 6
「しばらくは、栄子と目も合わせられなかったな……」
あの頃から成長した恒太が苦笑いした。
「うん、私も」
栄子も苦笑いし、頷いた。
「でも、気まずいままでいるのも嫌だったから……」
まっすぐ栄子の目を見て、恒太が囁いた。
「恒太?」
心なしか、その目が潤んでいる。顔もほんのり赤い。恒太の顔がゆっくり近づいてきた。
「……今度は、ちゃんと護る……から」
顔が触れるか触れないか、すれすれの距離まで近づいたその時、玄関から声がした。
「ただいま~。恒太、ちゃんと寝てる~?」
恒太の母親、波留が買い出しから帰ってきたのだ。
栄子の体が驚きでびくっとした瞬間、恒太の体が栄子の肩にもたれ掛かってしまった。どうやら熱が上がってしまったらしい。
栄子が恒太を急いでベッドに横たわらせたすぐ後、波留が部屋に入ってきた。
「あら、栄子ちゃん。久しぶり」
「こんにちは、波留さん。お久しぶりです」
(さっきの見られなくて良かった~!)
栄子は内心ドキドキしていた。さすがに恒太との密着現場を恒太の母親に見られるのは、下心がなくても気まずい。
栄子は動揺を隠しつつ、恒太の熱が上がってしまったことを伝えた。
「……わっ、私、うちに帰りますね!お邪魔しま……」
栄子が帰ろうとしたら、波留が栄子の制服の袖を引っ張った。
「栄子ちゃん、もう外は暗いから車で送って行くわ」
波留は笑みを浮かべて言った。
「いえ。恒太君も熱があるし、ついていてあげて下さい」
「だからこそよ!帰り道にあなたに何かあった方が、恒太に怒られてしまうわ!!」
(参ったな……その「何か」に会いに行こうと思っているのに)
栄子は帰りに、桜の木の幽霊に会いに行こうと思っていたのだ。
「桂ちゃんも、あなたの帰りを待っているでしょう?」
「あ……!」
栄子は波留に指摘されて気づいた。
姉の桂は、自発的には動けない。食事も栄子が口に運んではじめて摂ってくれる状態なのだ。
姉の前世かもしれない幽霊より、今生きている姉の方が大事なはずなのに。
いろんなことがあって、肝心の桂のことを忘れていたのだ。
「すいません、波留さん。よろしくお願いします」
半ば押しきられるように、栄子は波留に家まで送られることになった。
栄子と波留は軽自動車に乗り込んだ。
「今日は、お見舞いに来てくれてありがとう」
エンジンをかけながら、波留は語り掛けた。
恒太の優しさは母親ゆずりだと、栄子は再認識した。
「実はね、ずっと謝りたかったの。お義父さん……恒太にとってはお祖父さんがあなたにした仕打ちを」
「え……?」
栄子は謝られて驚いた。波留は悪いことは何もしていないのに。
「見ているだけで、あなたを庇ってあげられなかった……」
波留の顔は沈んでいる。恒太の前でこの話題を出したくなかったのだ、と栄子は察した。
栄子にとっても恒太にとっても、あの出来事は苦い記憶として刻まれている。
「波留さん、そんなに自分を責めないでくださいっ!あなたは何も悪くないです!!」
「……優しいのね、栄子ちゃん」
波留が言ったひと言に、栄子はこらえられずに反論した。
「優しくなんて……ないんです。私は…姉や私たち家族に侮蔑の目を向けた人たちを許せてはいないんです。今でも、昔を思い出すのが苦しいんです。『あの時』のことも、思い出すのが怖い……」
栄子は全身が震えてしまっていた。そんな栄子の話も波留は黙って聞いていた。
「……でも、恒太君がいてくれたから、今の私がいるんです。優しい人間もいるって、信じることが出来るんです」
「──そう、うちの息子は栄子ちゃんの支えになれているのね」
波留が母親の顔で微笑んだ。
二人が乗った軽自動車は山村家を出発した。
家に帰った栄子は、真っ先に桂の部屋の電気を点けた。
「ごめん、お姉ちゃん!遅くなって……」
栄子は事情があったとしても桂をないがしろにしてしまったことを反省した。
「今日はね、恒太が学校を休んだから、お見舞いに行ってたんだ」
桂が無反応なのは分かってはいるが、その無反応さが逆に堪えた。
栄子は昨日、恒太が栄子たちの家に来たときのことを思い出していた。帰り際、恒太は桂にも会ってくれていたのだ。
その時恒太は桂に、
「いつか桂さんとも話せる日が来るといいな」
と語りかけてくれたのだ。
恒太が言うと、本当にそういう日が来る気がするのだった。
「今日、お姉ちゃんの前世と言っていた幽霊に助けてもらったよ。でも桜の木には行けなかった。明日は絶対に行くからね」
さくらに会えば、きっと桂の意識を取り戻すヒントが得られる。
栄子はそわそわしてなかなか寝付けなかった。
──誰だ
眠りを妨げるのは。
あの人は血だまりの中に
置いていってしまったのに。
否、
あの人を血だまりに
置いていったのだったか。
嗚呼、
もうそっとして置いてくれ…
眠りを妨げるのなら、
何人たりとも容赦はしない──
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