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048.スプーン1杯の認知症

生きている証拠

母が、いろんなものをくれる。祖母の形見の指輪や大切にしていたものそれ以外の捨てるには愛着が在り過ぎて捨てるに罪を感じるもの。
中でも困ったのは、登山の道具。その中にビニールシートが入っていた。
最近書いたものでもないような気がする。
小さな付せんには、どう使うのかが書いてある。誰かに使ってもらいたい気持ちなのだろう。

いつか私は、認知症が進む母に「自分の事は忘れないでとい言う割に、人の事は忘れていくんだね」と声を掛けるのかもしれない。

記憶

母を見ていると、記憶というものは、大切なのだなって 深く思う。
モノはいつか壊れて無くなる。写真はいつか風化して破れていく。記憶は、一通りの多い廊下のように美しく磨かれていく。

断捨離で本当に必要なものは失いたくないものだなと思う。過去を手繰り寄せるそんなツールになるのなら、捨てることは良いことだ。とは思えない。たくさんの自己啓発本には、捨てることの推奨がされているけれど、本当の断捨離って、なんだか違うのかもしれないなって、思うこともあるな…。

何を残す?

母は、自分の若かりし頃大切だった、山を登ることで、母の記憶を残そうとしているのかな?と思っているんだけど、私は、何を残そうとしてるのかな、悩ましい。私の大切なものを改めて考えてみる。
部屋に雑然と並んでいる植物なのか???これは、難しい。枯れる。
何なんだろう。これからの課題と云うことで少し心に置いておこう。
母は、長生きしそうな気がする。

母からの伝言

先に語った、母に貰った登山一式の中の敷物。この「敷物あると便利、下(した)が濡れているので」という付せんメモ。これを書きながら、過去を振り返っているのだろうな。そう思うと、何度も書き直すたびに、どんどんきれいな記憶になっていくのだろう。
断捨離って、何を捨てることなのだろうか。

幸せって

幸せってなんだっけ?なんだぁっけ?
って歌があったような気がする。
幸せは辛いことや嫌なことが心にないこと。(出来事では、ない)でも、何度も思い出して、今生きていることと合わせると、キレイな記憶に変わっていくのかもしれない。
そのもの忘れることではなくて、あの時、超えたから、今があるって。

母は、何を思い出しながら、付せんを書いていたのだろうか。
忘れること、忘れられてしまうこと・・・たくさんの記憶や、思い出が美しいのではなく、今が過去を美しくしているのだろうね。

だとすると、今が幸せと思うことが、全てにつながるね。
幸せって人の数ほどあるから、今、母が笑顔になることが、父の幸せでもあるのかなと、ふと思う。

もし

母や父が、元気で何の問題もなければ、私は、こんな風には考えられないだろうと思う。きっと将来、私は、認知症について、違う見解をしているのだろう。そう思うと、一生懸命生きている母には、感謝だし、支える父にも感謝だね。
私の将来の気持ちが楽しみ。