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8年

昨日は3月11日でした。

毎年何かしら「あの日」の事を書くのですが、今年は書きませんでした。

(週末にワークショップを受けた話を書きたかったという事もあります)

今年は「書かなければ」という気持ちが起こらなかったのです。

14:46には黙とうをしました。

普段の事をしながら、その時間に意識を向けていた人が大勢いらした事でしょう。

それでも、8年で世の中の空気が変わったという感触がありました。

「みんなで下を向いているのはもうやめよう」という空気です。

「この日が誕生日の人は遠慮せずに祝おうね!」などなど、

不謹慎とか罪悪感などの圧力から目覚めた雰囲気を感じました。

私自身は、SNSでつながっている人と会話をしていた時に、

ふと自然にこんな言葉が出てきました。

8年間私たちはとても頑張ってきている。凄くえらいと思う。

復興できていないのは本当だけど、みんな自分を誇って良いと思う。

「出来てない」と自分や何かを責めて無理するのはやめよう。

その方向は途中でへたばるし誰も幸せじゃない。

長い道のりをみんなで笑って乗り越えていこう。

辛い思いをされていたり大変な状況の人が大勢おられるのは本当の事です。

ただ、そこにも他の人には判らない幸せがあるのかもしれないとも思います。

それを「辛いですよね」というフィルターをかけて見るのもどうかと感じたりもします。

昨日の投稿でも少しそこはひっかかりました。自分で書きながらも)

悲しみに寄り添う事と、悲しみに浸りこむのは違う事です。

TVなどに使うための「ネタ」を探しに記者の人たちが被災地に行って

「悲しませる」「感動させる」場面をとらせろと

そんな事を被災した人に要求したりするのだそうです。

そういうものを見聞きして座り込んで「悲しむ」をする人が一人もいなくなれば

こういう事はなくなるでしょう。商売にならないのですから。

妙な圧力から目覚めて自由になって、軽やかにそれぞれ出来る事を。
状況が動かないのなら自分たちで出来る事をさっさとやろうと

自ら動く人たちが互いにつながって新しい動きが拡がったり

少しずつでもちゃんと前に進んでいます。

写真は買い出しに出た時に遭遇したテントウムシです。

幸福の使者と言われますね。おすそ分けです。

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